この中に魔女がいる - 10
薄暗い廊下からは人間の気配は感じられなかった。壁の向こうから、かすかに風の音が聞こえてくる。
目的である二組の部屋は、どちらも二階にある。今や一階の客室で生きた人間が使っているのは夜子の部屋だけだった。
死体が置かれた部屋の近くで眠ることに夜子は抵抗がないのだろうか。そんな疑問が頭をよぎるが、隣を歩く彼女に気にしている様子はなかった。
俺はまず鏡音たちの部屋のドアを叩いた。
「なんでしょうか?」
閉ざされたままの扉越しに、アリスの声が返ってくる。透き通った声は扉越しにもはっきりと聞き取ることができた。
俺は一ノ瀬千花が殺されていたことを端的に話した。現場を直接見た夜子に説明してもらったほうがいいようにも思えたが、実年齢はともかく、女子中学生の見た目をした子に死体の話をさせるのは酷に思えたし、彼女を鏡音やアリスと接触させたくなかった。
「そうですか。わかりました」
俺の話を聞き終えたアリスはそっけない態度でそう言った。殺し屋に取って人の生き死には日常なのかもしれないが、少しは事件に動揺する一般人を装ってほしい。
手ごたえのない報告を終え、俺たちは次に神藤たちの部屋を向かった。
ドアノブに手をかけたとき、自分が重大なミスを犯していることに気が付いた。
嫌な汗が額に浮かぶ。
「どうしたんですか?」
夜子が後ろから声をかけてくる。俺は頭をフル回転させる。
「神藤さんたちに話すのはやめておこう」
「どうしてです?」
「神藤さんが言ってたんだ」
言い訳を吟味する時間もなく、思いつくまま口にするしかなかった。
「何があっても部屋には来るなって」
「部屋に入る必要はないですよ。扉越しに伝えるだけなんですから」
「そういうのを含めて構うなってことだろ。それに彼女のほうは神経が細そうだったし、不必要に不安を煽ることはない」
「そういうもんですかね」
「誰もが君みたいに図太く生きられるわけじゃないんだ」
「図太いって言い方、乙女を相手に失礼だと思います」
夜子は納得したわけではなさそうだったが、俺の意見を飲んでくれた。なんとか窮地を脱した俺は彼女の気が変わらないうちにそそくさと神藤の部屋を離れる。
とりあえず応接室へ向かうことにする。
これからのことを考えていると、どちらともなく腹の虫が鳴り出した。どんなときでも腹は減るんだなと人間のたくましさに感心する。
時刻を確認すると、正午になろうとしていた。
「魔女狩りの男が言っていた言葉を覚えていますか?」
「どんな言葉だっけ?」
「『魔女を見つけ出せたら解放してやる』って言ってたやつですよ」
そのセリフは覚えていた、それと同時に夜子が何を言いたいかも理解する。
彼女は灰谷に助けを求めようと言っているのだ。
「いいのか? あいつは君を殺そうとしているんだろ?」
「もちろんあたしが魔女だと名乗り出る気はありません。ただ、この状況を説明すれば監禁を解いてくれるかもしれません」
そうだろうか。魔女の疑いがあるという理由で、若者全員を幽閉するような男に期待できるとは思えない。
「無駄だと思う」
「ですよね」
夜子はあっさりと俺の意見に同意する。彼女も無理だとわかったうえで言ってみたのだろう。
「やっぱり犯人を捜しましょう。安全を確保するには、それが一番確実だと思います。だって、これまでの被害者が室内で殺されていたということは、部屋に引きこもっていても無駄だってことじゃないですか? 先手必勝でいきましょうよ」
「まあ、そうかもな」
正論を言う彼女に俺は反論する言葉が咄嗟に見つからなかった。本当は鏡音たちと一緒にいることが一番安全なのだけれど、ここは話に乗るしかなさそうだ。
「東館に来てから起きた事件を一つずつ整理してみませんか。まずは犯行時刻を絞って。アリバイの有無を考えてみるというのはどうでしょうか?」
推理小説の探偵のようなセリフだが、それを言っているのが小柄な女子中学生というのは違和感があった。中身は俺の祖父祖母よりもずっと年上ではあるのだろうが。
「殺害される前に三瀬さんを最後に見たのは誰でしたっけ?」
「三瀬?」
「一ノ瀬さんの従弟さんですよ。自己紹介したじゃないですか」
夜子が呆れ顔で肩を竦めるので、俺は取り繕うように頭を掻いた。
「監禁された初日の夜、みんなでここに集まったときはいたよな。解散してそれぞれの部屋に戻ったのが彼を見た最後になると思う。二十時くらいだったかな」
「あたしも同じです。そうなると犯行は、夜の二十時から死体が発見された翌朝十時の間ということになります」
夜子は顎に手を当てて、何やら考えだした。仕草だけは探偵のようだ。
「犯人を絞り込むには時間の幅が広すぎですね。ちなみに赤峰さんはその時間なにをしていました?」
「ずっと部屋にいたよ。誰にも会っていない」
嘘だった。実際には鏡音とアリスに会っていた。
「あたしも一人で部屋にいました」
「どちらもアリバイはないってことになるな」
「そうですね。あたしたち以外の二組の話も聞きたいところですが、先ほどの様子から相手してくれるとは思えませんし、聞いたところで有益な情報を得られる気もしないです。アリバイから犯人を見つけるのは難しかもしれません」
「そうだな」
このまま彼女が諦めてくれないかと心の中で祈ってみる。しかし、俺の期待をよそに、夜子は立ち上がると「もう一度現場を見てみましょう。現場にはすべてがありますから」と歩き出してしまった。仕方なく俺も付き合いことにする。
結果として、犯行が行われた二つの部屋を調べ直してみたところで、手がかりを見つけることはできなかった。もっとも、室内をくまなく調査する夜子とは違い、すでに犯人を知っている俺は調べ物をするふりをしながら、夜子が終わるのを待っていただけだったのだが。
応接室に戻った俺たちは、その後もしばらく推理ごっこを続けた。夜子があれこれと案を出しては、俺が矛盾を指摘する。その度に夜子は不機嫌そうに眉間に皴を寄せていた。
結局時間だけが過ぎていき、実りのないまま時刻は七時を回っていた。
俺たちは慣れた手つきで夕食を準備して、すっかり人数が減った部屋の中で食事を取る。
「楽しいですね」
カップラーメンをすすりながら夜子は言った。
「人が死んでるうえ、こんなインスタント食品しか食べれない状況でよくそんなことが言えるな」
「それでも楽しいんです。良いことじゃありませんか」
そんな彼女を見ていて思ったことがあった。
もしかしたら失礼に当たるかもしれなかったが、どうしても聞いてみたかった。
「何百年も生き続けることは、しんどくはないのか?」
夜子の手が止まった。しばらく不思議そうに俺を見つめたかと思えば、次にはこれまで見たことのない満面の笑みを浮かべて言った。
「楽しいですよ。何年生きたって、あたしは未来が楽しみでしかたありません」
それを聞いて自分の胸に芽生えた感情は自分でもわからなかった。羨望、嫉妬どれも少し違う気がする。なぜだか、夜子の顔から目が離せなかった。
しばらくして、今日のところは解散することになった。
別れの挨拶を告げると、それぞれの部屋へと戻る。
俺は階段を上がると、自室ではなく鏡音の部屋へ向かった。
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