魔法使いの同居人 - 11
翌日、学校中が生徒会長の話でもちきりだった。
教室の中にいるときも廊下を歩いているときも、どこからともなく誰かがその話題を話しているのが聞こえてきた。『人形遣い』という名称も何度となく耳にした。
生徒会メンバーの度重なる不祥事に、他人を操る謎の人物の存在を連想する生徒は少なくないことがわかる。
僕はと言えば、目撃者の一人として朝から質問攻めにあっていた。
「噂は本当なのか?」「生徒会長は操られていたのか?」「文化祭の抗議活動の一環として生徒会が計画していることなのか?」質問が次々に飛んできては、あいまいに答えていく。
そんなことが休み時間の度に行われていたせいで、午前の授業が終わるころには体がぐったりとしていた。
しかしそれ以上に僕を悩ませていたのは、自分が次の標的になるのではないかという猜疑心だった。常に誰かに見られている気がして、心休まる時間がない。気が抜けないストレスは精神を少しずつ蝕んでいき、それは頭痛や目の疲れという形で表面化しだしていた。
こんな目にあっているというのに、僕にプレッシャーを与えた張本人である紗月さんは未だ学校に来ていない。今朝も登校前に部屋を訪れたのだが、いつも通りベッドから出てくることはなかった。
一人が不安だった僕はしつこく学校へ行こうと呼びかけ続けたのだが、返ってきたのは「先に行っててください」という言葉だけだった。恨めしい思いを抱えつつ、僕は一人学校へやって来たのだった。
「昨日は大変だったね」
何とか迎えたお昼休みに、僕の肩を指でつんつんと刺しながら涼川さんが言った。
あいかわらずの淡々とした口調ではあったが、こちらを気遣っているのが伝わってきて、少しだけ心が軽くなった気がした。どこぞの居候にも見習ってほしい。
「涼川さんも大変だったでしょ」
「私は別に」
涼川さんの顔色は良く、見たところ疲れている様子はない。彼女も目撃者ではあったが、僕のように質問攻めにあってはいないようだった。
「僕が呼び出された後、涼川さんはすぐに帰ったの?」
「ううん。そのまま帰る気になれなかったから、鶏小屋に立ち寄って小屋の掃除をした。あの子たちといると安心するんだよね」
涼川さんは珍しく柔らかな表情を浮かべる。動物が本当に好きなんだなと改めて思う。
「そういえば」
涼川さんは机の横に掛けられたスクールバックを漁ると、中から手帳を取り出し、机の上に置いた。表紙に載っているアルパカの絵はどこか見覚えがあった。
「どうしたのこれ?」
「小屋の近くで拾ったの。誰の物か心当たりはない?」
真っ先に浮かんだのは昼食を取る生徒の姿だった。下の学年の女子たちがブロックを椅子代わりに、中庭で弁当を広げながら駄弁っているのを何度か見たことがある。
体育の時間のとき下駄箱からグラウンドへ行く際に中庭を通る生徒もいたはずだ。その中に持ち主がいるかもしれない。可能性を考え出せばキリがなかった。
「取り合えず生徒会で預かっておくよ」
「それなら大丈夫。持ち主はわかってるから」
「あれ、そうなの?」てっきり落とし物を預かってほしいということかと勘違いしてしまった。「なら、本人に直接返せばいいじゃないか」
「私のコミュ障は一ノ瀬も知ってるでしょ」
「僕だって知らない人に話しかけるのは苦手なんだけど」
涼川さんはおもむろに手帳をひっくり返す。裏表紙には丸文字で「雨森比奈」と書かれていた。名前の周りには、ハートマークやリスらしき動物の絵などデコレーションが施されている。特に目を引いたのは「のぞき見厳禁!」と赤いマジックで大きく書かれた文字だ。これだけ主張されると、逆に見たくなるのではと余計な気を回してしまう。
「この子、一ノ瀬の知り合いでしょ?」
雨森さんの物だとわかると、記憶がよみがえってきた。この前取材に向かう雨森さんと遭遇したときもこの手帳を持っていた。新聞部の活動で使っているのだろう。
「なるほどね。涼川さんの言いたいことは理解した。僕から雨森さんに返しておくよ」
「よろしく」
一つのことを思い出すと記憶が連鎖し、別の記憶が呼び起こされる。
それは以前、昼休みに雨森さんと出くわしたときの記憶だ。あのとき雨森さんは人形遣いの正体がわかったと言っていた。そしてそれを新聞部の記事にするというと息巻いていた。
もしかして。そんな思いが僕の脳裏をかすめた。
あのとき人形遣いの存在を信じていなかった僕は彼女の話を適当に流してしまった。しかし、雨森さんが本当に人形遣いの正体を掴んでいたとすれば――。
僕は受け取った手帳を見つめる。心臓が大きく脈打った。
この中に人形遣いの名前が書かれているかもしれない。そんな考えが頭から離れない。僕は本能に誘われるがまま、手帳の小口に指先で触れる。そのままページを捲ろうとしたときだった。
「ダメだよ」
その一言で我に返る。
顔を上げると責めるような目つきの涼川さんがいた。
「人の物を勝手に見ちゃダメ」
諭すように涼川さんは言う。
そこで僕は冷静さを取り戻すことができた。あと一歩のところで、ラインを超えるところだった。
僕は抵抗の意思がないことを示すため手帳から手を離す。中を見たい気持ちは相変わらず消えないが、正しいのは間違いなく涼川さんのほうだ。ここでごねて涼川さんの僕に対する評価を落とすのも避けたい。
言い訳ではなく、僕は本当に引き下がるつもりだった。悪気がなかったことは声を大にして言いたい。だから、僅かに空いた手帳の隙間から一枚の紙が落ちたのはまったくの不可抗力だった。
紙はひらひらと空中を舞うと、僕と涼川さんの間にある机の上にゆっくりと落ちた。
反射的に僕らは無意識にその紙を見てしまう。それは写真だった。
少しして、これも雨森さんの所有物で、僕らが勝手に覗いてはいけないものだと気づいたが、今となっては後の祭りだ。
「校庭だね」
涼川さんは写真を見て呟いた。
他人の落とし物を覗くのを咎めていた彼女だが、見てしまったものは今さらどうしようもないと開き直っているようである。涼川さんにはこういう潔さがあった。
「そうみたいだね」
写し出されているのはこの学校の校庭の一角だった。校庭を囲うように建てられたフェンスと、その手前に等間隔に並べられた桜の木。季節外れの桜は青々とした葉を繁らせ、次の春に向けての準備を始めている。なんてことのない風景を切り取った写真だ。
「何の写真なんだろう」
涼川さんが呟く。
僕も彼女と同じ気持ちだった。新聞部が撮った写真なのだから、何かしらのスクープを収めた物ではないかと期待したのだけれど、特に目を引くものはない。
「でもほら、ここに子供が写ってるよ」
よく目を凝らして見ると、フェンスの奥にカメラに背を向けて歩く二人の女の子がいた。赤いランドセルを背負っているのがかろうじてわかる。
「これが被写体なのかな? 他に目立つものはないし」
「さあ」
二人して首を傾げる。
「とにかく。他人に見られて困るものではなさそうだし、今回は見なかったことにしましょう」
「そうだね。そうしよう」
意見が合ったところで、そそくさと写真を手帳の中に戻す。
この件はこれでおしまい、と言わんばかりに僕らは話題を変えたのだった。
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