魔法使いの同居人 - 10
「とんでもないことになりましたね」
言葉に反して紗月さんの声は楽しそうだった。
一方の僕は疲れを隠し切れずにいる。
「笑い事じゃないよ。大変だったんだから」
あの事件の後、教師陣によって募金活動を行っていた生徒会メンバーに対して、解散を言い渡された。しかし目撃者を代表して、副生徒会長である僕だけが生徒指導室に呼ばれたのだった。
室内には学年主任と被害にあった先生そして会長の三人がいた。
事件についての事実確認を行われているところで、僕もそれに加わる。先生は学年主任に向けてことの経緯を説明しながら、時折、僕と会長に同意を求めてきた。
僕は自分が知っている範囲で受け答えしていたが、会長は終始無言で頷くことはなかった。そして先生の話が一通り終わったところで「覚えていないです」とはっきりとした口調で言った。
会長の一言に先生たちはうろたえていた。目撃者も多く、言い訳する余地がないと思っていたところに、力強い否認の言葉が飛び出したので無理もない。
「本当に私がそんなことをしたの?」
会長は隣に座る僕に問いかけてきた。嘘をつくわけにもいかず、僕は首を縦に振る。僕の返答を受けた会長はあごに手を当て、何かを考えているようだった。
会長が嘘を付いているようには思えなかった。もとより、会長がこんなことをするはずがない。僕は事件が起きた直後から頭にあった考えを三人に話すことにした。それは噂になっている人形遣いに会長が操られたのではないかという推論だ。
こんなことを言っても先生たちが納得しないことはわかっていた。しかしどう考えても、あのときの会長の様子はおかしかった。
背を向けていた先生にはわからなっただろうが、離れた位置から見ていた僕らにはそれがはっきりとわかった。
ただ事ではない何かが起こっている、そんな確信があった。
案の定、僕の話は一蹴された。高校生にもなって何をわけのわからないことを言っているのだと聞く耳を持ってもらえなかった。信じてもらえないことに悔しい思いはあったが、あのとき自分が見たこと、感じたことを上手く言葉にできなかったことは自覚していた。
最終的に、今回は大目に見るということで決着した。これまで多分に学校行事に貢献した会長に対する最大限の情けなのだろう。
僕としては会長に責任があるとの判断で片が付いたことに対する不満はあったが、これ以上どうすることもできなかった。
僕らは解放されたが、考え事を続ける会長に掛ける言葉が見つからず、無言のまま校門に着くと挨拶もそこそこに別れた。とぼとぼと歩く会長の背中は元気がなく、いつもの彼女らしさが消えていた。
しばらくそのまま突っ立っていると、背後から咳払いが二回聞こえた。紗月さんが校門で待っていてくれていたらしい。僕らは並んで帰り道を歩いた。
「人形遣いは本当にいたんだ」
「信じてなかったんですか?」
僕は頷いた。これまでは学校の七不思議のような現実離れした他愛のない噂話にすぎなかった。しかし今や僕も当事者の一人だ。面白がる立場だったのに、今は恐怖でいっぱいだ。
「この手の話は鵜呑みにしたほうが面白いですよ。暇のプロからのアドバイスです」
紗月さんは冗談めかして言った。もしかしたら不安がっている僕を元気づけようとしているのかもしれない。
「紗月さんには感謝しなくちゃね。僕がいま比較的冷静でいられるのは、きっと紗月さんのおかげだと思うから」
「それは私がいると心強いってことですか?」
「紗月さんのようなびっくり人間がいることを事前に知っていたから、人形遣いの存在を確信した状況でも冷静でいられるってこと」
「人を幽霊みたいに言わないでください」
ふてくされた様子で紗月さんは言う。しかし「幽霊」という表現は的を射ているように思えた。
「人形遣いの目的は何だろう。あんなことをして、いったいどんな意味があったのかな?」
「いずれの犯行も子供じみていますよね。ただの愉快犯にも思えますけど、本当のところは犯人に直接聞く以外にないと思います」
「そうだね」と僕は同意する。
「でも手掛かりがあるわけでもないし、犯人を特定するのは難しそうだ」
「そうでもないですよ」
はっきりと言い切る彼女に、僕は首を傾げて「どういうこと?」と訊ね返す。
「犯行に使われたライン引きですが、私たちはあれを事件前に見ているんです。覚えていませんか?」
質問の意味がわからなかったが、僕は記憶を遡ってみた。しかしすぐに心当たりに行き着く。ライン引きがありそうな場所で、僕たちが事件前に寄ったところと言えば一つしかない。
「体育倉庫の中?」
「その通りです。私たちは募金活動の直前に体育倉庫に募金箱を取りに行きました。そのときライン引きは確かに室内にありました。そしてあの事件が起きたとき、会長さんは校門に立てかけてあったライン引きを手に取り犯行に及んでいるのも私は見ています」
「つまり」僕は頭の中を整理しながら言う。
「僕らが倉庫を出てから事件が起こった三十分足らずの間に体育倉庫に入った人が犯人であるということだね」
「そういうことです。そう考えればある程度犯人を絞ることができます」
紗月さんの言う通りだ。しかしそれでも容疑者はたくさんいることに変わりはない。
「けど学校にあるライン引きは一つとは限らない。使われたのが倉庫内の物とは言い切れないんじゃないかな?」
「そこは問題ありません。紗月さんが先生に連れられた後、体育倉庫に戻って確認したんです。ライン引きは倉庫から消えていました」
「なるほど」
話の辻褄は合っている。
納得すると同時に女の手際の良さには感心した。
「ただ、どうしてもわからないことがあるんです。私たちが出るときに倉庫の扉を修理していた用務員さんがいましたよね?」
「ドアノブを取り換えようとしていた人でしょ」
「あの用務員さんですが、私が事件後にライン引きを確認しに行ったとき、ちょうど扉の修理を終えたんです」
「それがどうかしたの?」
「どうもこうもありませんよ」
紗月さんはいつになく真剣に言う。
「私たちが倉庫を出ると同時にドアノブのない扉を閉め、新しいドアノブの取り付けが事件後に終わったということは、私たちが倉庫を出てから事件が終わるまでの間、あの倉庫にはドアノブがなかったんです。ドアノブがなければ、当然ドアを開けることはできません」
紗月さんが言わんとしていることがようやく僕にもわかった。
「倉庫の中からライン引きを持ち出すことは誰にもできなかった」
「そういうことです」
「でも倉庫には窓があるから、そこから侵入したのかもしれないよ」
「窓が閉まっていたことも確認済みです。あの窓は室内側のつまみを押さえながら上にスライドさせると開くタイプでした。窓を閉めると自動でロックされ、外からは開く術がありません」
紗月さんの言葉を聞けば聞くほど混乱してしまう。せっかくライン引きが持ち出された時間から犯人を絞り込められると期待したのに、これでは誰一人として犯行が可能な人物はいなくなってしまった。
人形遣いは他者を操ることだけではく、物質を通り抜けることもできるのだろうか。それこそ幽霊みたいに。
ただでさえ得体の知れない人形遣いが、ますます理解できない存在になっていく。
今も学生たちに交じり校内を徘徊する人形遣いを想像し寒気が走る。
「これ以上この件に首を突っ込むのは危険だ。たかだか一人の学生には手に余るよ。紗月さんも人形遣いを追うのはやめよう」
ここがいい引き際だ。紗月さんには別の暇つぶしを用意してあげればいい。
「私はそれでいいかもしれませんが、千花くんはそうはいかないんじゃないですか?」
「どういう意味?」
「え?」驚いた様子で紗月さんは言う。
「生徒会の会長と副会長が被害を受けたんですよ。単純に考えれば、次のターゲットはもう一人の副会長である千花くんになるじゃないですか」
言葉が出なかった。まったくもってその通りだ。
これまでの被害者が生徒会役員だったことが偶然だとは思えない。人形遣いの狙いは明らかに生徒会だ。だとすると、次に魔の手が伸びる先が僕であることは十分に考えられる。いや、そうとしか考えられない。
背筋が凍り付いた。寒気がするのに額には汗が浮かび上がる。数秒前の能天気な自分を殴ってやりたい。人形遣いの糸はすでに僕の身体に巻き付いていたのだ。
僕は縋りつきたい思いで隣にいる紗月さんを見つめる。
しかし僕の目に彼女の姿が写ることはなかった。
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