魔法使いの同居人 - 4

 夕食後に授業の復習を行うのが僕の習慣となっている。今日もいつも通りに自室の机に向かうと、一限目の国語を手始めに体育を除く五教科の勉強を進めていく。


 目の疲れを感じて手が止まる。時計を見ると一時間半ほど時間が経過していた。凝り固まった身体をほぐそうと伸びをしたときだった。


「トン、トン、トン」


 作業が途切れるタイミングを狙いすましたかのように、扉をノックしたような音がする。「扉をノックしたような音」という曖昧な表現をしたのは、その音が明らかに人間の口から発したものだったからである。


 ドアの方へ目を向けると、そこには誰の姿もなかった。

 僕はそこにいるだろう人物に向けて声をかける。


「ノックを口で言う人を初めて見たよ」

「仕方がないじゃないですか、私が扉を叩いたところで千花さんには聞こえないんですから。自分にできる範囲で最大限マナーを守ったことを褒めてもらいたいです」


 声の主は僕の背後を通りすぎるとベッドの前で足を止める。ベッドの上がこの部屋での彼女の定位置となっているようだった。


「男子の寝床に踏み入れるのを危険だとは思わないのかい」

「私は千花くんの理性を信じてますから。それとも美少女を前にすると、千花くんと言えど野生動物みたいになってしまうのでしょうか」


 そう言われても、姿が見えない僕には彼女の容姿など知りようがない。

 僕は無言で机に向き直ると、復習の続きに取り掛かることにした。


「ところで、本は借りてきて頂けましたか?」

「そこにあるよ」


 僕はノートから目を離さず、机に端に積まれた本をペンで指す。

 背後から足音が寄ってくると、僕の隣で停止した。横目で様子を窺っていると、置かれた三冊の本のうち一冊が突然消える。からくりを理解したうえで見ても超常的な現象に目を奪われてしまう。


「どうしました?」


 傍らから紗月さんの声がする。思ったよりも近かったためびっくりする。


「何度見ても不思議だなと思って」

「催眠術のことですか?」


 僕は頷く。

 初めて僕の前に現れたとき、紗月さんは「催眠術が使える」と自らの能力について説明した。僕と母は催眠術で彼女のことを認識できなくされているらしい。


 あまりにも突飛で現実感のない話だったが、疑う余地はなかった。実際問題として僕は彼女の姿を見ることができなかったし、紗月さんが家中をうろついていることに母も気づいていないのだ。


 僕の頭がおかしくなった可能性も考えてみたが、記憶も意識もはっきりしている。これが幻覚なのだとしたら何も信じられない。


 彼女は僕に手助けを求めてきた。要約すると「泥棒としてこの家に忍び込んだけれど、とある事情でしばらく家に滞在することになった。住み込むうえで住人の協力がないと不便なので、快適に生活できるよう手を貸してほしい」とのことだった。


 そのため、紗月さんの声だけ聞こえるよう僕に催眠術を掛け直したらしい。


 泥棒が侵入先の住人にサポートを求めるとは厚かましいことこの上ない。


 しかし完全に主導権を握られている僕に反論する術はなかった。約束を断ってしまえば、再び彼女の声すら聴くことができない状態にされ、完全に認識できなくなった紗月さんに住みつかれることになる。それを考えれば、条件を飲んだ方が幾分かマシだと考えたのだった。


 ということで、僕は大人しくゲスト用の客室を紗月さんにあてがい、たびたび彼女の世話を焼くことになったのである。


「どれもいまいちですね」


 借りてきた本の吟味が終わり、紗月さんは不服そうに言う。


「それは残念。流行りの本を選んできたんだけどね」

「若い人はすぐに流行りものに走りますけど、流行っているものと面白いものは別ですよ」


 一段上からものを言われ、少し頭に来る。

 僕は思わず「紗月さんはいくつなのさ」と聞いていた。


「十九歳です。千花くんより一つ年上のお姉さんです。敬ってもらっていいですよ」


 泥棒がパーソナルな情報は漏らさないだろうと決めつけていた僕は、予想に反して答えが返ってきたことに面食らう。紗月さんには自分が犯罪者である意識がないのだろうか。


「そんなことよりも本ですよ。テレビゲームもない千花くんの家で暇をつぶすのは大変なんですから。この間なんてやることがなさ過ぎて、フライパンでたこ焼きづくりに挑戦したくらいです」

「……夜食に食べさせられたのはそれか」


 てっきりお好み焼きの失敗作を処理させられたのだと思っていた。タコも入っていなかったし。それ以前に、人の家のキッチンを勝手に使うのはやめてほしい。


「千花くんは、もう少し私にかまってくれてもいいと思うんですよ」

「そうは言っても日中は学校があるし、帰ってからだってなかなか暇はないんだよ」

「私と学校どっちが大事ですか?」


 やっかいな彼女みたいなことを言い出した。もちろん答えは『学校』だ。しかし素直に言っても角が立つので、僕は無言を貫いた。


「何か面白いことはないでしょうか」

「そんなこと言われても――」


 そこで僕は放課後に涼川さんと話した『人形遣い』についての噂話を思い出した。


 退屈と嘆く紗月さんの気が少しでもまぎれるのではと考え、全校集会での事件そして学校で広まる噂について説明する。


 無言で聞いている紗月さんが話に食いついているのかは不明だったが、とにかく自分が知りえる情報をすべて伝えた。


「なるほど、面白いですね」


 話をすべて聞き終えると紗月さんはそう言った。

 続けて彼女は予想していなかった一言を発する。


「私、学校に行きます」

「はあ? 紗月さんが学校に? 冗談でしょ」

「私が人形遣いの正体を暴きだして見せますよ」


 思った以上に人形遣いの噂は彼女の琴線に触れたらしい。紗月さんはすっかり乗り気だった。


 余計なことをした。このままでは本当に紗月さんが学校に来かねない。自分の不用意な発言を後悔せずにはいられなかった。


「校内に部外者は入れないよ」

「問題ありません。泥棒はいつだって部外者ですから」

「無理だって。生徒に成りすまして入ろうとしているのかもしれないけど、絶対にばれるから」

「催眠術があります」

「学校関係者全員に催眠術を掛けるっていうの? いったいどれだけ多くの人が校舎の中にいるかわかってる?」

「大丈夫です。手は打ってありますから」


 紗月さんは自信満々に断言する。


 暖簾に腕押しとはこのことだ。その後しばらく問答を繰り返すが、紗月さんに折れる気配はなく、最終的に観念するしかなかった。


「明日は一緒に登校しましょうね」


 かわいい幼馴染に言われたのであれば垂涎ものの台詞だが、この状況ではうれしくとも何ともない。望んでいない方向に物事が進んでいる。


 一方的に明日の約束を取り付けると紗月さんは部屋から出て行ってしまった。


 勉強の続きをする気になれず、少しでも気晴らしになればと借りてきた本を手に取るとベッドに倒れこむ。仰向けで本を開くと、照明が逆光になって読みづらかった。気にせず読み進めてみるが、ぜんぜん頭に入ってこない。冒頭部分を繰り返し眺めているだけだ。


 本を傍らに投げ捨て、天井を見上げる。

 面倒なことになったと心の中で嘆くことしかできなかった。

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