第10話 新生活の幕開け
突然、僕の耳に騒音が響いてきた。何事かと思い、僕は慌ただしく飛び起きた。
そこで僕は、自分が今まで眠っていたことを思い出した。この音は目覚まし時計の音だ。昨日黄昏さんに教えてもらった。
「やーーーーっと起きたか、この寝坊助が」
隣のベッドには既に黄昏さんの姿は無く、着替えを済ませた状態で僕の前に立ち尽くしていた。
「あ、おはようございます」
「もう朝食はできてる。早く準備しろ」
黄昏さんに言われて鼻を動かしてみると、これまでに嗅いだことのない甘い匂いが漂ってきていた。
深く息を吸えば体の奥底に花畑があるかと錯覚させるような匂いを嗅ぎながら、僕は急いで朝の支度を済ませて、ダイニングという食事処に急いだ。
白色の清潔感のあるテーブルの上には、黄土色の柔らかそうな物体の上に、黄金色の透き通るような液体をかけた食べ物が置いてあった。
「フレンチトースト。パンを卵に浸して焼いた後に、上からハチミツをかけてやった。これくらいはお手の物よ」
黄昏さんがいたずら好きな子供のように笑った。心なしか、昨日の鍋のおかげで少し黄昏さんと仲良くなれた気がする。多分気のせいだけど。
「いただきます!」
僕の前にはフォークとナイフという物が置かれていた。昨日一通りの説明はしてもらったが、やっぱりまだよく分からない。元の世界では基本的に物を食べるときは箸か手づかみだったから。やはり、色々と文化の違いはあるんだなと痛感する。
右手にフォーク、左手にナイフを握る。いざ食べようとすると、
「逆。右がナイフで左がフォーク」
黄昏さんに注意された。黄昏さんはもうすでに食べ始めていたが、ちゃんと僕の事も見てくれていたのかと少し驚いた。
「あとそんな風に握るんじゃない。それでどうやって食べるつもりだ」
そう言われ、僕は改めて自分の持ち方を確認した。フォークもナイフも柄の部分をがっちりと握っていて、先端が上向きになっていた。確かに、これだと食べるために手首をものすごく曲げなくてはいけない。
「いいか、フォークはこう、ナイフはこうで…」
その後五分くらい、黄昏先生による持ち方講座を受け、僕はようやくフレンチトーストにありつくことができた。
「…! うんめー!」
口の中に花畑が広がるような甘い感覚を覚え、僕の表情はパンの上のハチミツに負けないくらいトロトロに溶けていった。
「お…おう、そんなに美味いか?」
「はい! 今まで食べたものの中で一番おいしいです!」
僕がそう言うと、黄昏さんはそっぽを向いてしまった。
「そ、そうか、そりゃ良かったな」
ぎこちない返事が聞こえてきた。こんなに美味しい物を作れる黄昏さんは凄いんだから、こういう時こそいつものように堂々としていればいいのに。
あっという間にフレンチトーストは無くなってしまった。それでもちゃんと食べた感覚は残っていて、朝から充実感に満たされていた。
「よし、そろそろ行くから準備しろ」
黄昏さんに言われ、僕たちは家を出て会社に向かった。この街は道が恐ろしいほど入り組んでいて、すぐにここがどこだか分からなくなってしまうので、黄昏さんが先導してくれる。ただ、その時の表情があまり良くない。
しばらく歩くと会社に着いた。もうすでに何人かは来ていたようで、既に仕事を始めていた。
「おはよう。レイメイ君、新しい生活はどうだい?」
社に入って早々に、柊さんからそう質問された。
ここは社長室と言うらしい。柊さんはこの会社で一番偉い社長という存在らしく、彼の一言でこの社はどうとでもなってしまうらしい。
「もうとにかく最高です! 目に入るものすべてが新しくて、まるで夢みたいです!」
僕は目を輝かせながら語った。もうそうとしか言い表せないほどに、新しい生活は最高なものだった。だが。
「…でも、今頃みんなはどうしてるかな…」
島のみんなや仲間たちのことが頭をちらついて、素直に喜びきれない自分もいた。
「…レイメイ君、君さ、島のみんなや仲間に申し訳ないって思ってる?」
柊さんは、まるで僕の心を見たかのように的確に言い当てた質問をしてきた。あまりに的確だったので、僕はしばらく言葉を失ってしまった。
「あ…はい。自分だけこんな思いしてていいのかなって…」
「レイメイ君、もっとポジティブに考えよう。自分だけって考えじゃなくて、みんなにも同じ経験をさせてあげたいなって。そうすれば、少しは明るい気持ちになれるでしょ?」
何故だか、柊さんと話しているととても安心する。僕の心を包み込んでくれるような、謎の安心感があった。まるで、違う世界から来た人の扱い方を熟知しているみたいだ。
「良かった。君が明るくないと、みんな明るくなれないからね。…さて! 本題に入ろう」
柊さんは自分の足を叩いて、空気を作り替えるように言った。
「君はこれから、それはそれは恐ろしい戦いの場へと赴くことになるだろう。そこで生き延びるには、自らを守る術が必要になる。だからまずはトレーニングだ。君を戦場に放って大丈夫だと私が確信を持てるまで、君には訓練を積んでもらう」
訓練、と聞いて昔の記憶が蘇って来た。魔王を倒すために血反吐を吐くような努力をしてきたが、それよりもさらに苛酷になるだろうか。
「もう、犠牲は出したくないからね。死なないためにも頑張ってもらうよ!」
柊さんは立ち上がって僕を見下ろすような形で言った。ここから、地獄のような訓練が幕を開ける。
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設定こぼれ話
シュウの料理の腕はすさまじく、恐らく店を開いてもやっていけるレベル。
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