僕の願い~ねぇご主人様、早く空腹になって

(今日はこのワインにしよう)


 地下室の棚からワインボトルを一本取り出し、ついでに明日と明後日はどれにしようかと数本手に取る。「いまの季節、ご主人様マスターの好みだとそろそろこのあたりかな」なんて、産地と年代を見ながら予想できるようにもなってきた。そんな自分を少しだけ誇らしく思いながら階段を上ると、ちょうど食料品を届けてくれたトムが裏口から入ってくるところだった。


「トム」

「あぁ、ちょうどよかった。今日は新鮮なイチジクと梨にリンゴ、それに干した果物もたっぷり入れておきましたよ」

「いつもありがとうございます。それに毎回こんな丘の上まで運んでもらって、大変ですよね」

「かまいません。それにその細腕じゃあ運ぶのは大変でしょうからね。そうだ、そろそろ新酒のワインが出回る頃ですから、次はいくつか持って来ましょうか?」

「ありがとうございます。あの、できれば十年ものも何本か見繕ってもらえるとありがたいんですが」

「承知しました。いつもお買い上げありがとうございますコーさん、じゃなかった。ええと、コー……」

「コータローです」

「あぁ、すいません。東洋の名前はなかなか覚えられなくて」

「気にしないでください」


 そう言ってニコッと笑うとトムの顔がサッと赤くなった。今年三十歳になると聞いたけれど、そういう表情をすると年齢より若く見える。それに熱っぽい視線は初心な青年の気配を漂わせていた。


「しかし、毎回果物だけで本当にいいんですか?」


 顔を赤くしたままトムがそう尋ねる。


「どうしてですか?」

「いや、パンや肉、それにチーズなんか注文しなくなったでしょう? 最初の頃はそういったものも買われてたのに半年以上買ってらっしゃらない。そうだ、ベジタリアンなら野菜なんかどうです? 朝収穫した新鮮なものが手に入りますよ?」

「ありがとうございます。でも気にしないでください。これで十分なので」

「でも、」

「ふふっ。トムは優しいんですね」


 そう言って微笑むと思ったとおり首まで真っ赤になった。僕がじっと見ているからか慌てたように「じゃ、じゃあ三日後にまた果物と、それからワインも見繕ってきますんで」と早口で告げて背を向ける。そんなトムの背中を見送った僕の口から小さなため息が漏れた。


「あれがご主人様マスターだったらな」


 思わず口を突いて出た言葉にハッとし、慌てて口をつぐんだ。たとえ寝室から遠く離れた裏口でもご主人様マスターにはきっと聞こえてしまう。この時間なら寝ているとはいえ聞こえていないとも限らない。僕が少しでも不満を抱いていると知ったら用なしだと放り出されてしまうかもしれない。


(そんなの絶対に嫌だ)


 文句を言わない限り城に置いてやる、それがご主人様マスターとの約束だ。少しでもご主人様マスターに何かを要求すれば城から放り出される。それも困るけれど、まだ願いを叶えてもらっていないのに城を出ていくことなんてできるはずがない。


(いつになったら叶えてもらえるかわからないけど)


 この城にやって来て一年が経つけれど、そもそも叶う日が来るのかもわからなかった。

 だからといって努力を惜しんだりはしない。毎日口に入れるものには十分気を遣っているし、ようやくご主人様マスターの好みに添えるようになってきたところなんだ。


(口にするのは上質なワインと果物だけで、酸味が強いものはあまり好まない。だから僕もそうしたもので作られない・・・・・といけない)


 肉やチーズなんかを口にするのは御法度で、そういうものを体内に入れると獣臭がして吐き気がするのだという。それなら野菜はいいのかと思ったけれど、今度は土臭くて好みじゃないと言われてしまった。

 そうして最終的に大丈夫そうだと判断したのがワインと果物だった。もともとワインはご主人様マスターの好物だし、果物も割と口にしている。きっと自分と同じものを食べる体のほうが好みなんだろう。


(外側も毎日綺麗にしてるし、見た目だってよくなってきたと思うんだけどな)


 その証拠に、食料品店を商っているトムの様子が随分と変わった。一年前に初めて顔を合わせたときは胡散臭そうな目で僕を見ていたのに、いまでは情熱的な眼差しを向けてくる。さっきみたいに笑いかければ顔を真っ赤にするし、それだけ僕の魅力が上がったということに違いない。


(それなのにご主人様マスターは僕を食べてくれない)


 城門近くで倒れていた僕を拾ってくれたご主人様マスターは、目が覚めた僕を見たとき「ないよりマシか」と口にした。少し経って意味を尋ねると「非常食という意味だ」と教えてくれた。


「非常食?」

「そうだ。それに東洋人は食べたことがないからな」

「……」

「なんだ、恐ろしくなったか?」

「いいえ」

「恐ろしいと思ったのなら城から出て行くといい」

「いいえ、出て行きません」


 僕の返事に美しい眉がピンと跳ね上がった。そうして「おもしろい」と言いながらニヤリと笑ったご主人様マスターは、自分に何も要求しないのなら城にいていいと口にした。

 それから一年あまりが経った。その間に僕を食べてくれたのはたったの二度だけだ。はじめは獣臭や土臭くて口に合わなかったのかもしれないけれど、あれから半年以上かけて中身を綺麗にしてきた。いまならどこに牙を立てても土臭くないはずだし、もちろん獣臭いこともないはず。


(好みの味になってると思うんだけどな)


 残念ながら自分で味見してもわからないから、こればっかりはご主人様マスターに味見してもらうしかない。


(はやくお腹を空かせてくれないかなぁ)


 そして、あの鋭く美しい牙を僕の肌に突き立ててほしい。毎日だなんて贅沢はいわないから、せめて非常食だというくらいには食べてほしいと思っていた。


(そうすれば、僕も生きてる意味があるって感じられる気がする)


 生きていてもいいという許可を得られるような気さえしていた。

 大金を払って僕を買った異国の商人は、売りつける予定だった貴族様がお気に召さなかったということでこの地に僕を捨てた。こんな遠い異国の地で生きるなんて僕には難しすぎて、あと数日も経てばあの世に召されていただろう。

 そんなとき出会ったのがご主人様マスターだった。暗闇からにじみ出たような真っ黒な髪に真っ赤な眼を見た瞬間、僕は雷に打たれたような気がした。この人は人間じゃないと感じたけれど、そんなことは気にならないくらい美しいご主人様マスターに釘付けになった。

 ご主人様マスターの気まぐれで拾われた僕は、その後こうして生き長らえている。温かな寝床にお湯で体を洗うこともできるし、食べ物を買う許可もくれた。最近はご主人様マスターの寝室の掃除も任せてもらえるようになったところだ。


(身の回りの世話もいいけど、でも僕はやっぱり願いを叶えてほしい)


 捨てられた僕にも生きる価値はあったのだとご主人様マスターに教えてもらいたかった。


「ねぇご主人様マスター、早く空腹になってよ」


 そして僕の血を思う存分すすってほしい。その血がご主人様マスターと一つになるのを想像するだけで、僕は全身が震えるような喜びを感じた。

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