真夜中の求婚~変な宇宙人を拾った人間の話
ネトゲに夢中になりすぎた。時計を見たら午前二時前で、そんな時間なのに腹が減っていることに気がつく。「こんな時間に食べたら太るよなぁ」なんて思いながら冷蔵庫を開けたものの、すぐに眉が寄った。
(そういやゲームしながら飲んでたコーヒーが最後だったっけ)
空っぽの冷蔵庫にため息が漏れた。仕方がないから近所のコンビニにでも行くか。ついでに朝飯も買ってこよう。
若干面倒くさいなと思いつつスマホと鍵だけを持って外に出る。先週までは上着が必要な肌寒さだったのに、この時間でも上着いらずになってきた。マンションを出て公園のほうへ行くと外灯に照らされた桜の木が見えた。
「もう満開か」
花見なんてしないから、遊歩道の桜が満開になっていたことにも気づかなかった。
(有名でも何でもない場所だけど、まぁまぁ綺麗だな)
遊歩道沿いに植えられただけのわずかな桜並木でも、独り占めしていると思えば気分がいい。
(って、誰かいる……?)
視線の片隅に人影らしきものが入った。よく見ると桜の下にあるベンチに誰か座っている。
(……男か?)
影のサイズから男だと思った。顔はよく見えないけど格好も男に見える。自分のことは棚に上げつつ「こんな時間に何やってんだよ」と目をこらしたところで「は?」と声を漏らしてしまった。
(あの頭……もしかして猫耳? いやいや、ハロウィンには早すぎるだろ)
それとも最近は花見のときも仮装をやるんだろうか。といっても男は一人で、こんな真夜中に仮装して花見というのはいかにも怪しすぎる。
絶対にやばい奴だ。頭ではわかっているのに、さっきまでのゲームの興奮が続いているせいか思わずガン見してしまった。
(仮装するにしても男が猫耳なんて珍しいな……って、え?)
人影がスッと立ち上がった。そのまま俺のほうに近づいて来る。まさか向こうから近づいてくるとは思っていなかった俺は、慌ててその場を立ち去ろうとした。ところが俺が動くより先に人影のほうが目の前に到着してしまう。
「……うぉ、」
変な声が漏れたのは、目の前に立った男がすこぶる美形だったからだ。大学一のイケメンと名高い何とかって奴を何度か見たことがあるけど、あいつよりずっと整った顔をしている。というより、まるで作り物の人形のような感じだ。
「この香りは……」
「へ? ……って、ちょっと」
突然顔を近づけられてギョッとした。慌てて仰け反ったものの、男はなぜか追いかけるように顔を近づけてくる。
「この辺りから香っていると思って探していたが、なるほど香りの主はきみだったのか」
「香りって……って、何だこの甘い匂いは……」
どこからか、ほんのりと甘い匂いがしていることに気がついた。クンと鼻を鳴らすと、トロッと甘い匂いと爽やかな匂いが鼻に入ってくる。「何かの匂いに似てるな」と思いながらもう一度嗅いだところでハッとした。
(これってチョコミントの匂いじゃん)
しかも、どうやら目の前の男から匂っているようだ。「どういうことだ?」と思いながら、もう一度クンクンと鼻を鳴らす。
さっきよりもしっかりと嗅いで確信した。間違いなくこの匂いは俺が大好きなチョコミントアイスの匂いだ。
(でもチョコミントを食べてたようには見えないし……もしかして香水か?)
そんな香水あっただろうか。そう思ったものの、目の前の男が外国人っぽいことに気がついて「外国にはあるのかもな」なんて思った。
さっきからやけに顔を近づけてくる男の髪は黒じゃない。外灯から少し離れているからはっきりした色はわからないけど、薄い茶色か、もしかしたら金髪かもしれないと思った。カラーかもしれないけど、体格といい距離感がおかしいことといい、俺は外国人に違いないと考えた。
(……うん、これは大好きなチョコミントの匂いで間違いない。間違いないんだけど、もう少し……何て言うか……)
クンクン嗅ぐのをやめられなかった。大好きなチョコミントの匂いだからというより、いつまででも嗅いでいたい不思議な感じがするのだ。言葉では表現しづらいけど、普段食べるチョコミントアイスより濃厚な匂いに感じた。
まるで目の前で溶かしているような濃いチョコの匂いに、すっきりしたミントがいい具合に混ざり合っている。ミント自体にもほんの少し甘い匂いを感じた。こんなチョコミントの匂いは初めてで「もしかして高級アイスとかこんな感じなのかな」なんて考える。
(匂いだけなのにすげぇな)
まるでチョコミントアイスを食べているような気分になってきた。ちょうど腹が減っていたこともあって、俺は夢中でクンクン嗅いだ。こんな夜中に猫耳仮装をしているような怪しい男だということも忘れて、うっとりと匂いを嗅ぎ続ける。
「よかった。わたしの香りを受け入れてくれたようだね」
「……え?」
声をかけられてハタと気がついた。初対面で何をやっているんだと慌てて距離を取ろうとしたものの、それより先に両肩を掴まれてしまう。
「あの、」
「結婚しよう」
「……はい?」
「わたしと結婚してほしい」
「は?」
もしかして「結婚しよう」と言われたんだろうか。少し屈んで視線を合わせてきた男が、じっと見つめながら「結婚しよう」とまた口にする。「あ、目も黒じゃないんだ」なんてことを思ったところでハッとした。慌てて肩を掴んでいた両手を振り払い「な、なに言ってんだよ!?」と声を上げる。
「きみもわたしの香りを気に入ってくれたんだろう? わたしもずっときみを探していたんだ。たった一度嗅いだだけの香りが忘れられなくて故郷に戻ることも諦めた。そして、ようやくきみを見つけた。どうかわたしと結婚してほしい」
「いやいや、あんた男だろ? 俺も男で……そもそも、あんたのこと……知らないし……」
どうしたんだろう。段々頭がぼんやりしてきた。もしかして腹が減りすぎて貧血にでもなったんだろうか。怪しすぎる男にまた肩を掴まれたことには気づいたけど、視界がグラグラしてよくわからなくなってきた。
「そうか、地球人は結婚の前に恋人という段階を踏むんだったな」
「ちきゅう……なに?」
「大丈夫、わたしは長年地球人の研究を続けているからきみたちの生態には詳しい。このまま地球人に擬態することもできる。もちろん繁殖行為も知っているし、そちらも不自由させるつもりはない。地球人と違って生殖器官に突起物がついているが、慣れれば痛みを感じることはないはずだ。もちろんきみを傷つけたりは絶対にしないと誓おう」
「せいたい……ぎたい……なにいって……」
駄目だ、男の話がうまく耳に入ってこない。代わりに頭の中を濃厚なチョコミントの匂いが埋め尽くしていた。大好きな匂いだけど、あまりに濃すぎて息が苦しくなる。
「やはり結婚相手はきみしかいない。ここまでわたしの香りを受け入れてくれたのはきみだけだ。あぁ、ようやく見つけた。わたしの唯一」
「ゆい……なに……?」
気がついたら男に抱きしめられていた。男の肩に頭が当たっているのがわかり「やっぱり外国人なのかな」なんてぼんやり思う。
「わたしの名はタタンピュリツァヒュリンギール。結婚を前提に恋人になってほしい」
「たたん……?」
「個人名のギールと呼んでくれ」
「ぎーる」
そう口にしたら頭上から得体の知れない音がした。声と言うより……そうだ。今ごろ聞こえてくる発情した猫の鳴き声っぽい音のような気がする。
翌朝、目が覚めたら金髪碧眼で背の高い男が俺の部屋にいた。目を白黒させる俺に「おはよう」と微笑みかけた男は、ワンルームには似合わないホテルの朝食みたいな朝飯を作ってくれた。俺は混乱しながらも久しぶりにしっかりと朝飯を食べ、それから大学に行った。
この日から俺は謎の男と同居することになった。よく知らない奴と一緒に暮らすなんてあり得ないと思うのに、男の近くにいるうちになぜか一緒にいたくなってしまう。それに男から漂うチョコミントの匂いを嗅ぐだけで幸せな気分になれるからか、いろいろどうでもよくなってきた。
(まぁ、いいか)
こうしてギールと名乗る男との同居を始めて一カ月後、俺はギールが宇宙人だということをベッドの中で知ることになる。
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