たどる道~今度はそっちを選ぶんだね

 僕の前には分かれ道がある。どちらも真っ白な道で見た目はそっくりだ。


「どっちに行けばいいんだろう」


 不意にそう思った。なぜかはわからないものの、僕はどちらかに進まなくてはいけないような気がする。

 右を見てみる。道の先は真っ暗でよく見えない。左の道を見てみたが、同じように暗くて先がどうなっているかはわからなかった。


(どっちも似たり寄ったりだな)


 そういうことなら、どちらに進んでも問題ないような気がする。そう考え一歩踏み出したとことで「今度はそっちを選ぶんだね」という声が聞こえてきた。

 分かれ道の脇に一本の木がある。「さっきまでなかったはずなのに」と思いながら少し上の枝を見るとグレーの毛をした猫がいた。もしかしてこの猫が喋ったんだろうか。


「正解。といっても、二十七回目だから当たって当然か」


 二十七回目? どういうことかわからないものの猫が喋っているということは理解できた。


「で、そっちの道を選ぶのかい?」

「こっちは駄目なのか?」

「いいや、どちらを選ぶのもきみの自由だ」


 そう言われると途端に不安になる。見た目はそっくりだが、もしかしたら行き先に大きな違いがあるのだろうか。ここは慎重に選んだほうがよさそうだ。


(そうは言っても、どちらもそっくりだしな)


 せめて先が見えていれば判断のしようもあるのにと思いながら左右を見比べる。


「うーん、どちらも同じに見えて判断のしようがないな」

「先が見えないほうがいいと望んだのはきみじゃないか」

「え?」

「先が見えると新鮮みがなくなる。わかっていたとしても避けられない出来事がある。それなら見えないほうがいいと言ったのはきみだよ」


 何を言っているんだろう。分かれ道に来たのはこれが初めてだ。

 そもそもこんな奇妙な道に一度でも来たことがあったなら忘れるはずがない。たとえ道のことを忘れてしまったとしても、こうして喋る猫のことを忘れるとは思えなかった。


「ははっ。きみはまったく変わらないね」

「僕を知っているのか?」

「あぁ、知っているとも。生まれたときから死ぬ瞬間までね。いや、死んだ先だって知っている」

「死んだ先?」


 いわゆる死後という意味だろうか。


「完全に死ぬことはないから死後ってわけじゃないけどね。でも死んだ後だから死後ってことにはなるのかな」

「言っている意味がわからないんだが」

「タイムループはきみの得意とするジャンルじゃないか」


 猫の言葉に「作品の話か」と思った。

 僕は作家だ。主にSFを中心に書いていて、タイムループの話を書くことが多い。


「僕の作品を知っているのか?」

「もちろん。そもそも作品のほとんどはきみが体験していることだ。いや、少し違うかな。同じ命だけど時間軸が少しずつずれ始めている」

「……意味がわからない」

「それもきみが望んだことだよ。思い出は消し、記憶は残す。そうすれば常に新鮮な気持ちで体験できると言ったのはきみ自身だ。新しい気持ちになるためにスタート地点をずらすことにしたのもきみだ。そこに自分で選ぶという遊び心を加えたのは三度目のときだったかな。それからは毎回この分岐点がスタートになっている」

「何の話だ?」

「きみのこれまでとこれからの人生の話さ。たとえば今回選んだ先が経験済みの道だったとして、思い出がなく始まりも違っていればきみは十分新鮮に感じられる。途中で記憶が蘇ったとしてもね」

「思い出がなく記憶が蘇る……いや、それは矛盾している。思い出と記憶は同じじゃないか」

「違うさ。記憶は事実だけで、そこに感情が入り込むのが思い出だ。だから記憶は簡単に消えるけれど思い出はずっと残り続ける。たとえ脚色されていたとしてもね。美しい思い出はさらに美しくなり続けるということだ」


 そう話した猫が「にゃあ」とひと鳴きした。艶やかなグレーの輪郭が段々とぼやけていく。

 そういえば家に猫を残してきた。あの猫も毛並みがグレーだった。魚嫌いの肉好きで、なぜかスープに入った豆が好きな変わった猫だった。


「いや、豆が好きだったのはその前に飼っていた猫か」


 その猫もグレーの毛並みをしていた。……いや、違う。僕はいつもグレーの猫と一緒にいた。美しい海が見える家でもライ麦畑を臨む家でも、僕の傍らには常にグレーの猫がいた。


「……そうだ。最初の人生で猫を失った僕は、あの猫が生き続ける世界を望んだんだ」


 美しいグレーの毛並みをした猫と常に一緒にいられる世界を望んだ。……そうじゃない。最初に傍らにいたのはグレーの瞳をした――。


「誰、だっただろうか」


 グレーの瞳はいつも輝いていて、風に揺れる髪は……。


「そうだ、茶色だった」


 柔らかな茶色の髪にグレーの瞳をした彼は、僕の作品の熱心なファンだった。一番のファンだったと言ってもいい。

 僕は俳優だった彼に作品の登場人物を演じてもらうのが何より好きだった。気がつけば同居を提案するほど意気投合していた。彼の存在は僕にインスピレーションをもたらし続け、僕はますます人気作家になり、彼は僕の作品に欠かせないスターになった。

 しかし彼は突然いなくなってしまった。流行病だった。

 僕は彼が残したグレーの毛の猫を引き取った。彼が唯一愛したその猫を、僕も彼と同じように愛した。彼への愛を彼が愛した猫に注ぎ続けた。そうしてグレーの毛を撫でながら彼の話を毎日のように語って聞かせた。


「あの猫はどうしたんだっただろうか」


 気がつくと分かれ道の右側を進んでいた。真っ暗な先に二つの灯りが見える。いや、あれは光る猫の目だ。猫の目だとわかっているのに、僕の脳裏には微笑んでいる彼のグレーの目のように見えた。


「……そうだ、あの猫はいつも一緒だった。僕の傍らにはあの猫がずっといた」


 死の間際、彼は掠れた声で「俺を忘れないで」と囁いた。だから猫を引き取った。この先もずっと彼を忘れないために猫を引き取り、彼の話を聞かせ続けた。どんなに忙しいときも猫に語りかけ、暇なときは一日中語って聞かせた。

 目が掠れ姿がよく見えなくなっても語り続けた。そのうちベッドから起き上がれなくなり、声が掠れ始めてもやめなかった。僕は死に行くその瞬間まで、傍らにいる猫に彼がどれだけ素晴らしい人だったか語り続けた。彼を永遠に忘れないために、彼の思い出を死んでも忘れないために。


「そして最期に見たのはグレーの毛並み……いや、目だっただろうか」


 よく思い出せない。記憶にある景色が本当に最期だったのかもわからない。あれは最初の最期だった気もするし、つい最近経験した最期だった気もする。

 ただわかっているのは、彼が望み僕が望んだ世界を僕はいまもこうしてくり返しているということだ。


「だから、次の道もきっと素晴らしいものになるだろう」


 なぜなら僕の傍らには必ずグレーのあの猫がいる。彼が唯一愛した猫で、僕が最期まで愛した猫。

 くり返される馴染み深く新鮮な道を、僕はまたあの猫と一緒に生きていく。それで彼への渇望が消えることはないけれど、渇望を抱き続けていれば彼を忘れることも決してない。思い出の中で彼と僕は永遠に一つになる。


「さて、今度はどんな人生になるかな」


 僕のつぶやきに、猫が「にゃあ」と鳴いた。

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