妹のためのヒーローの使い方

甘木 銭

プロローグ

プロローグ-ヒーロー・クラフトドール

「大丈夫だ、安心して飛び降りろ」


 ヘッドセットから伸びたマイクに向かって指示を飛ばすと、可愛らしい声が耳元に返ってくる。

 その声は少し震え、不安の色をにじませているが、躊躇している時間はない。


『いやいやいや、ここ十階だよ? さすがにちょっと怖いって』

「大丈夫、兄ちゃんを信じろ」


 声を低くして冷静に妹を励まし、能動的な落下を促す。

 客観的に見れば残酷な命令をする残酷な兄そのものだが、実際危険はない。

 十階でも二十階でも、六百メートルを超える電波塔から飛び降りても大丈夫だ。

 実際に飛び降りた訳ではないので「理論上は」と頭につくが、決して机上の空論ではない。


 そもそも、僕がなんの根拠も無く可愛い妹の身体を重力に委ねてしまうものか。

 安全性には確固たる自信がある。

 そしてその自信は、勘のいい彼女にはマイク越しでも十二分に伝わった様で。


『分かった!』


 今度は一切躊躇が無かった。ほぼタイムラグなく、トンッ、とコンクリートを蹴る音がかすかに届く。

 おいおい、お兄ちゃんを信用しすぎだぞ、可愛いやつめ。


 数秒遅れて、ダンッ、と車が壁に突っ込む様な、鈍く激しい音が響く。

 想像以上の轟音に思わず小さめに肩を跳ねさせながら、机の上のモニタをがっしり掴み、瞼で齧りついてやろうとばかりに画面を見つめる。


 が、幸い僕の眼とモニタの間には眼鏡の分厚いレンズがあったために、僕はモニタを物理的に目の中に入れずに済み、代わりに僕の網膜の中に、目に入れても痛くないほど可愛い妹の視界が、映像として飛び込んできた。


 目の前にガードレール。

 その先には片側二車線ずつ程の道があり、車がどんどんと流れていく。

 ふむ、ここは歩道か。


 映像はクリア、カメラは壊れていない。ゆっくりと視点が上がっているのを見るに、無事に立ち上がることも出来ている。

 音が想像以上に大きかったためにミニマムな不安が脳裏をかすめないでもなかったが、無事着地出来たようでなにより。


 やはり僕は間違っていなかった。

 どんなに自信があっても、結果が出る直前には少しドキリとするものだ。


『すごいすごい! 無傷だよ!』

「ふふ、そうだろうそうだろう」


 無傷でない道路の舗装がチラリとだけ見えたが、まあ、一瞬なのでよく分からなかったということで。

 電波の向こうではしゃぐ声が聞こえる。無事に着地出来たのならば、次にやることは決まっている。


「よし、そのままさっきの怪人を追いかけるんだ」

『もう追いかけてる!』


 なるほど、画面は既に激しく動き出している。

 いくつか車を追い越し角を曲がると、動く生物の後ろ姿を補足した。シルエットこそ人型ではあるが、全身が昆虫の様な装甲に包まれた、人間離れした姿。


 怪人だ。


「見えた! 食らわせろ!」


 眉間に皺を寄せながら叫ぶ。しかし、それを言い切る前にはもう


『もうやってる!』


 大きくカメラが揺れ、鈍い音と低い呻き声が電波越しに届いた。流石の活躍だ。僕が指示を出すまでもない。

 まあ僕もそれが分かっていて指示を出しているんだけれど。

 そんなことでもしていないと、僕の仕事が無いからな。


「最高! 可愛い!」

『知ってる!』


 僕の賛辞に軽く答えながら、再び怪人を蹴り飛ばす気配。

 流石最強のヒロイン。

 幾多の戦いを経験して、これくらいの怪人なら軽く退治できるようになっている。


 おかげで僕は安心したままコーヒーを啜ることが出来る。

 砂糖やミルクを入れるのは面倒なのでブラックで。

 苦いものは苦手だが、最近コーヒーだけは平気になってきた。


「!?」


 と、次の瞬間、モニターの映像が不自然に揺れる。明らかに彼女自身の自発的な行動によるものではない。カメラ越しの映像である都合上、視界が限られるが、どうやら反撃を食らったらしい。


「大丈夫か!?」


 声だけは心配して見せるが、まあ案じることはないだろう。


『平気だよ。ビルから飛び降りても大丈夫なんだから。それに、これくらいの反撃はいつものことでしょ?』


 ひょおーう! かあっこいいー!

 心の中で囃し立てながら、それでも声色だけは務めて冷静に。


「周囲の避難が完了した。そろそろ大技をぶっ放してやれ」


 カメラが再び敵の姿を捕らえる。どうやらヒーローは、怪人の頭を両腕で掴み、馬乗りになって抑え込んでいるようだった。


『んじゃ、かますよー!』


 ヒーローが抑え込んだ怪人の胴を蹴り飛ばし、そのまま数歩後退して距離を取る。

 一方の怪人は軽く地面に転がりながらも、素早く体を起こした。

 しかし、もう遅い。


『必殺技―!』

 ヒーローが叫びながら腕を前方に突き出すと、オレンジの光が拳を包む。

 ふらつく怪人に高速でその拳を叩き込むと、怪人の全身は同じようにオレンジの光に包まれて、爆発四散した。


 その爆発を見届けて、ヒーローは帰還の準備をする。


『じゃあ、適当に変身解除してそっちに戻るね!』

「待て、まだアレやってないだろ」

『えー、もう倒したからいらないって。戦う前にやるもんでしょ?』

「そう言うなって。やっとカメラが来たんだからアピールしとこう」

『しょーがないなー』


 怪人の出現情報を得て、慌ててやって来たのだろう。

 報道用のカメラの存在が、モニター越しに確認出来る。

 妹はそのカメラに向き直り、戦闘で付着した埃を軽く払うと、軽く息を吸った。


『クラフトドール!!』


 三日かけて考えたヒーローの名前を高々と叫ぶ。

 もう何度も名乗っているし、報道もされているのですっかりおなじみではあるけれど、名乗りはヒーローの重要な要素なのでしっかりとやっておく。


 本来はもっと長い口上を考えていたが、面倒な割に受けが悪いのでやめてしまった。

 僕は気に入っていたのだが、まあ仕方ない。


 最初の方に楽しそうにポーズを決めていた妹も、今となっては渋々といった調子で、決めると言うよりこなしている。

 しかしカメラに向かえばスイッチが入る様で、しっかりとポーズを決めている妹も愛おしい。


 僕の耳には通信機を通して妹の愛らしい声が届いているが、マスクを通して発された声は周囲の人々には野太い男の声に聞こえているはずだ。

 ヒーローの正体がバレないための工夫であり、きゃわいいボイスを独占するためのひと手間でもあった。

 後者は本人には内緒だ。


「よしよし、もういいよ。帰っておいで」


 モニタに映る視界が大きく動き、回転する。

 報道陣の前でアクロバティックに動き、そのまま軽やかに去って行くつもりだろう。

 毎回何人かは彼女の正体を解き明かそうと追いかけてくるが、僕の周囲警戒と妹自身の素早い動きで巧妙に追跡をまき、タイミング良く変身解除しているので正体がバレたことは一度もない。


 こうして、正体不明のヒーロー「クラフトドール」は、今日も街に出現する怪人を倒し、華麗に去って行くのであった。


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