第2話勧誘

四月

学校の入学式が始まった。進学する学校は都立木野高校

野球を続けるつもりはなかったが1番家の近くだったこの学校は東京都立で有名な野球学校だった。

夏の甲子園予選の西東京大会

5年前に決勝進出し、プロ野球選手も輩出している。しかし、それ以降目立った活躍はなし。甲子園も未出場だ。それでもなお、有名私学を撃破したりと油断のならない高校だった。

東京都は公立高校が夏の甲子園に出場することは難しかった。


----よお!!


とてつもなく大きな声が背後からして、自分に声をかけられたように感じたが引っ越したばかりの自分に声を掛けてくる人なんかいないと思い無視していた。すると、名前を呼ばれていることに気づき自分だと思った。後ろを振り返ると、この前の大学生が手を振っていた。


---何驚いた顔してんだよ!この前話したろ?今日からよろしくな。野球部入るんだろ?

練習来いよ。


まだ、少し距離があるにも関わらず大きな声で話し掛けてきた。どうやら大学生だと思っていた彼は同じ学校で同じ学年しかも、クラスまで一緒のようだ。野球部には入らない。とだけ告げ彼の元を去った。


野球部には入らない。この一言がとても重くのしかかった。

自分では分かっていたのだ。入りたくないわけじゃないと。でも、引っ越す前から入部しないことは決めていたのだ。


夕方になり帰宅はしていたが家には1人だった。これから段々と暗くなると思うだけで気が滅入った。そろそろ時間だと思い家の前に立った。そして、一台の車が止まりその車から兄が降りてきた。兄貴は家族だが2人きりだと、緊張する。自分よりも背が高く、胸板の厚い兄は威圧感があった。兄は家が真っ暗で僕しかいないコトに気がついた。そして、家に入り、何もないリビングで休ませた。ふと、頭に昼間の声が浮かんだ。


---野球部入るんだろ?


野球部は今ごろ練習してるのかな?何て考えていると鈍い音と一緒に目の前が暗くなった。

一気に頭に浮かんでたことが吹き飛んだ。後から追っかけるように頭に衝撃がきた。そして、落ち着くのを待った。まぶたの上は熱かったが、血は出ていないことに少しホッとしていた。

しばらくすると、母親がパートから帰ってきた。母は家の状況を確認するとすぐさま察してくれた。


---大丈夫?ケガは…ない?


最初に母にこう声をかけられたのはやはり兄だった。まだ、痛みで少し熱が残る頭を抱えて母のもとに行った。状況を詳しく説明すると母はホッとした様子だった。

兄は重度のちてきしょうがいを持っていた。もちろん言葉は話せたが、意味が理解できていないようで、変な場面で単語がでたりした。脳の障害だけで体は自由に動けていた。こだわりも強く、自分の要求が通らないと時には、家族にも暴力をしていた。

日中は障がい者福祉施設で支援を受けているようだが、引っ越したばかりの家はまだ慣れていないらしく、帰るたびに暴れていた。落ち着くまでに時間がかかると言われていたが引っ越してから一ヶ月間この状態が続いていた。


こんな状態があり、両親も日中家にいなく祖父母の家が近いからと引っ越してきたが、自分でも抑えられない兄を祖父母が抑えられるとは到底思えなかった。送迎車が到着する前に僕は家にいなくてはならないと自分で分かっていた。授業が終わったら直ぐに帰って兄を迎えなければならないと。友達と遊んだり、バイトに明け暮れたり部活をしたりしてはいけないと。

日が暮れ痛みも癒えてきた頃、父親が帰ってた。父親の新しい仕事着を見るや否や兄もイライラした様子を隠さずには居られず今にも掴みかかりそうになっていた。

その時、家のインターフォンがなった。


----ピンポーン


聞き慣れないインターフォンの音に兄は混乱していて、怒りをどこにぶつけようか探していた。

声をかけたら自分の所に来そうなので玄関の方を見た。

気づいたら外は雨が降っていた。

玄関に向かっていった母から呼ばれたのはまさかの蓮だった。

学校のお友達と母は言っていたが、今日入学初日。友達はおろか顔見知りですら居ない。

玄関から何やらやり取りが聞こえた。

顔見知りですら居ないと言ったが、やり取りから聞こえるバカでかい声が聞こえた聞き覚えがあり、嬉しいような懐かしい様な妙な感じに思えた。


----生田くんこんばんわ! ウチ、すぐそこなんだ!今日は部活の勧誘にきたよ!


泥だらけのユニフォームから放たれた大きな声は聞こえ、自分に向けられていた。たった一球投げただけだったが、その素晴らしさに彼はハッキリと覚え魅了されていた。この後、何度も断ったが何度も何度も勧誘を受けた。どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。その後彼は残念そうに帰っていったが、自分はそれ以上に疲れていた。母には訝しまれ、兄の怒りはどこかになくなっていた。

その後、就寝の際に父が部屋のドアをノックした。返事をする間も無くドアを開けられたがいつも以上に落ち着いた声でかけられた。


---さっきの話リビングまで聞こえてきたぞ。


あの大きな声はリビングにまで届いていたのかと思うと更に疲れた様な気がした。


---いい子じゃないか野球続けないのか?


父が問いかけてきたが何も答えなかった。自分なりの気遣いのつもりだった。入部しないと答えれば参加させるであろうと思うからだ。そして、何回か聞いてはいつもフェードアウトしていくのもわかっていた。いつもはこれで引き下がる父だったが、今回は近くまで来て同じ質問を繰り返していた。父に根負けしたつもりではないが、振り絞った声で、もう野球を辞めることを伝えると、父は大きい声を出すのを我慢するかの様に小さくどうしてだ?と更に聞いてきた。

答えたくなかった。恥ずかしいとか負けたとかいう気持ちではなく、自分なりに気を使っているのを父親に悟られたくなかった。

だけど、父は全てを把握していた。


---野球…好きなんだろ?


しばらくの沈黙の後父が口を開いた。何も答えなかったが父は続けた。


---オレも昔野球をしていた時があってな。


初めて聞いた言葉だった。父は続けた。


---そこそこ活躍出来てた様な気はしてたんだがな。体が硬くてケガしてしまってな。

野球できない体になってしまって、そこから野球を辞めたんだ。元々、身体動かすことが好きだったから突然奪われた野球のことが、忘れられなくてな。息子にも好きなもの見つけてほしくてそれが野球だなんて。野球をやってる息子が大好きで。だから、やりたいなら続けて欲しい。やめたいならそれで構わない。でも、親に気を使うな!拳は大丈夫!慣れる迄時間がかかるけど、一か月以上経ってるし、人手はあるしヘルパーさんも居るから安心しろ!

父に背中を押されいや、何かきっかけがあれば続けたかった野球。兄貴の事があったが野球を続けた。

そして次の日早速練習に参加した。新入部員は富樫と自分含めて10人ほどいた。みんな富樫と同じく入学式の前から練習に参加していてコミュニティが出来ていた。それでも富樫はほっといてくれなかった。

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