第10話
ダンジョンの片隅の通路でへたりこんで、もはや何時間経ったかわからない。
とっくにスマホの充電は切れて、時間を知る術すらない。
26時間程度持ったスマホのバッテリーに感謝はするが、いきなり電波が切れたのでもし生還できたら通信会社は変えようと思う。
あとシンザンとの縁は切ろう。やっぱり碌な奴じゃない。
藤沢さんは、まあたぶん何かがあったんだろう、何かが――
「うっ……」
数メートル先で横になっていたキサラギが呻きながら立ち上がる。傍らに置いていた刀を手に取り、周囲を警戒してついでに俺も警戒するように睨みつけた。
怖い。
「何時間経った」
と俺に訊いてくるキサラギに「スマホのバッテリーが切れてわからねーよ」と答える。
相手に警戒心があるのはまあ俺が男だから理解できるけど納得は出来ない。
俺のほうが警戒するべきだろ。
「これでは師匠に呆れられてしまうじゃないか」
俺にはもう呆れられてるけど。
しかし、まったくといって攻略の道筋が見えない。ボスもいなければ帰り道も変わらないし、攻略のヒントすら得られていない。
夜光草の明かりをいくら見ても疲労感は消えないし、もうダメだ。
ただ――ただ、俺のおなかがいくら時間が経っても減らないのは不気味だった。考えるまでもなく中華街の隠しエリアの魔法遺物の効果なんだろうが、こうなってみるといよいよ自分の身体が不気味に思えてきた。
今更仕方ないけど。シンザンのせいだ。
いや、家出した時から俺の人生は終わったみたいなもんだ――もしくは不登校になったときから、か。
高校をドロップアウトして、死んでるんだか生きているんだかよくわからない、茫漠とした不安の中でソンビになっていたあの頃より、ダンジョンの中で不死になった今のほうがだいぶマシだ。
俺は右手を開いて、掌をじっと見つめる。そこには冷や汗のような水分が浮かんでいて、俺のことをまだ人間だと教えてくれるみたいだった。
「……そう言えばキサラギさんは水、大丈夫なのか」
数メートル先で座り込んでいるキサラギに俺は言った。
キサラギは口をゆがめて、まるで悔しそうに返す。
「もうない。お前こそどうなんだ」
「俺はまあ、魔法遺物の効果で大丈夫だけど。キサラギさんは大丈夫かなって」
「やはりおぬしにはからくりがあったか。フン、お前には過ぎた力だ」
あんたの師匠に殺されそうになってあげく不死化させられた被害者なんですけど、俺。
師弟揃って加害者しかいない。
教育どうなってんだ。
「とりあえず水がいるなら、探さないと」
「もうとっくに探した。ループする通路と広間の中には何もなかった、でござる」
思い出したかのようにござる付けたな、この人。キャラ付け大変そうだ。
「キサラギさんって配信者なんでしょ。自分のスマホとか機材はないの? それで時間を調べれば――」
「今日は師匠に電子機器の類は持ってこないよう言われたんだ。そんなものはない」
なんだか嫌な予感がするな。あのシンザンが無意味に電子機器の禁止を伝えるはずがない。何かしらの思惑があってもおかしくないぞ。
ただ、それが何かは知る由もない。
そして無為に時間が過ぎていくこの現状は、はっきりいって危機的なモノだ。解決策を探して自力でこのダンジョンを脱出したいが、どうすればいいのか。
「こうしていても仕方がないし、別行動で脱出路を探そう。もしかしたら水も見つかるかもしれないしさ」
空腹と脱水症状で明らかに弱っているキサラギより、俺のほうが冷静に探索できるろう。こういう場面で魔法遺物の力が生きるとは思わなかった。ありがとう、シンザン――とは言わない。何か不幸な目にあってくれ。
キサラギは俺のほうを睨んだ後「頼む」とだけ言ってまた座り込んでしまった。本当に体調が悪いので睨んだというより、ただ目つきが悪いだけなのだろう。
ループしている通路や広間はキサラギがあらかた片づけたので俺がやることは様々な可能性を考えて調査するだけだ。
たとえばこの広間に生えている夜光草は植物なのだから、水がどこかに流れているはず。地上から浸透してきた雨が地下にくることは、ダンジョンを形成する材質からありえないとは思うのだが。
試しに夜光草を抜いてみると、徐々に光が弱っていきやがて光を失ってしまう。夜光草は食えるのかな、と試しに噛んでみたらものすごく苦く、すぐに吐き出した。食べれたものじゃない。
しかも水気をまったく感じなかった。食感としては乾燥してしまった木の枝だ。
嫌な予感がした。ダンジョン動植物学なんて不登校の俺はまったく知らないが、おそらくこのダンジョン内の動植物は地上とはまったく違った生態系なのではないか、ということ。
つまり、水自体がない可能性――秋葉原ダンジョンには沼があったし、もしかしたら存在するんじゃないかという俺の淡い期待が砕かれそうになる。
冷や汗が、俺の額をつたって、ふと俺は疑問を感じる。
俺の汗ってどうやって出てくるんだ?
そこで、俺は思いついてしまった。不死という自分の特性と、ある可能性について。
俺は急いでキサラギのほうへ向かって、そのある可能性について話そうとしたが、キサラギはすでにうつ伏せに倒れこんでいた。
仰向けにして、胸に手を当てると心臓はまだ動いている。時間はない。
俺はキサラギの刀を手に取り、キサラギの口の上で腕に刃を当てた。
鋭い痛みが走り叫んでしまいそうになるが、すぐに俺の腕の先から新しい腕が銀色の流体によって形成されていく。
落ちた腕はそのままの状態で存在していて、切った瞬間垂れた銀色の液体はキサラギの口へ入っていく。
大丈夫だよな?
藤沢さんは俺の体液を摂取していたけど死んでないし、大丈夫だろう。
しかし、このキサラギの刀の切れ味の良さに驚いた。自分の腕に切れ込みを入れるだけで良かったんだけど、普通に真っ二つだ。
魔法遺物なのかもしれない。
「名刀って奴だな」
なんてひとりで冗談を言っていたら、キサラギが「ううっ」と声をあげて目を開いた。
「水、おまえが持ってきてくれたのか」
どうやら俺の腕から流れた血は、水のような味がしたらしい。
「いや、腕を切ったよ。俺の血をあげたんだ」
ここで嘘をついても仕方がないので、事実を伝える。気持ちが悪いとは思うが、これしか思いつく方法がなかった。
キサラギは目を見開いて起き上がり、そばに落ちている俺の古い腕を見た。まずい、片付けるのを忘れていた。
俺はキサラギが烈火のごとく激怒するのを予想し、後ずさる。
しかし、キサラギの態度は俺の予想を裏切るものだった。
「なんと礼を言っていいか、わからん。わたしは、未熟だ」と言ったっきり、目に涙を浮かべて、膝を抱き寄せて顔を伏せてしまった。
「いいよ、別に。減るものじゃないし」
普通に考えたら減るんだけど、俺は減らないし。
妙にしんみりとした空気に影響されたのか、俺は母のことをふと思い出した。父親と離婚する時も、母はこうして泣いていたな。
今は再婚し、新しい家族の元で立派な母親をしていると風のうわさで聞いたことがあって、それは俺にとって救いであり、辛い記憶でもある。
あのときの母を慰めることができていたら、まだ未来は変わっていたのかな。
俺は不登校にならず、家出もせず、変な体にもなっていなかっただろう。
俺はキサラギの近くに寄って、上着をかけた。気休めにしかならないが、俺はそうしてあげたかった。
キサラギが顔を上げると、真っ赤になった目から涙を流している。
水がもったいないとか、またがんばろうとか、いろんな台詞が浮かんだ俺がとった行動は、
なぜか抱き寄せされてキスされた。
キサラギさんに。
いや、あのね。
俺がしたわけじゃないんだよ。あくまで向こうが抱き寄せてきて、なんか雰囲気がそういう感じになったから抵抗できなかったんだよ。
というか危機的状況でキスするとかあります?
今の状況わかってないんじゃないですか。
とかなんとか思っていたけどキサラギさんは美人だったので文句なかった。
俺も男だし。
そう思っていたけれど、背後から聞こえた小さな音で俺は一気に現実に戻された。
なぜなら、そこには藤沢さんがいたからだ。
藤沢さんはツインテールを解いてて、ストレートのヘアスタイルで、息を切らせていた。
目は大きく見開かれていて、大きなリュックを地面にポトっと落としていた。
俺は間違えたのだ。
すべてを。
「あ、あ、あ、うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
頭を抱えてうずくまる藤沢さんの悲鳴が、ダンジョン内に響き渡った。
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