地雷系女子と推しダンジョン活動
猫が洞
第1話
本屋で適当に雑誌を開くと「
俺が生まれるよりずっと前、45年前――突如世界中にダンジョンと呼ばれる地下迷宮が大量に出現した。
世界各国で産声を上げた地下迷宮には、魔法遺物と呼ばれる物理法則を揺るがすアイテムが眠っていて、それは各国のパワーバランスを変えたという。
ずいぶん昔の話だ。
苦労して入学した高校を絶賛不登校中の俺にはまったく関係ない。
なんてったって、未踏破のダンジョンへ潜るには国家の許可が必要だし、莫大な資金や組織力をバックボーンに備えている公務員である国家探索員か、シーカーと呼ばれる異物を身を包んだプロによってダンジョンは攻略がされる。
俺はたまに中堅シーカーの動画配信をポテトチップスを食べながらダラダラ見るか、たまのニュースになっている国家探索員の活躍を朝食のみそ汁を飲みながら肩肘ついて見るしかできない。
俺はこのまま行くと中卒で、何物にもなれそうもなく、彼らの活躍は時々俺の心臓を締め付ける。
東京の片隅の本屋で、俺はぼんやりと自分の将来について思いを馳せていた。
中卒ってどんな職業に就くのだろう。キツイ労働だったら自分にはできそうもないなぁ。そうなると稼げないってことになるし、稼げないと生きることができない。
うーん、人生って辛いことばかりじゃね?
そう言えば、俺って今まで生きてて楽しいことなんてひとつも――
「ねえ、本山タツミくん? 本山タツミくんだよね、ほら入学式でうんこ漏らした男の子! あのときはさいこーだったぜ!」
「漏らしてねえよ!?」
いつ漏らしたんだよ。
誰だよ俺のことをうんこ漏らし野郎だって本屋で高らかに言いやがったアホは――
俺が声がした方向に振り向くと、そこには見知った顔があった。
中学生の頃の、同級生だった。
「あ、藤沢ファンシーつぁん」
久しぶりに声を出したせいか、サンと言うつもりがツァンになってしまった。
でもそんなこと気にならないくらい、俺は彼女の容姿に釘付けになった。
髪型は黒髪ツインテールで、なぜか一部分だけピンク色、服装は基本黒色だけどフリルやレースが用いられていて女の子っぽくなっている。ガーリーって言うんだっけ。今時、こんな女の子いないって。
中学生の頃の地味な感じとはうってかわって、ずいぶん今の彼女の容姿は違う。
正直に言うと、ぎょっとした。
藤沢さんは漆黒の大きな瞳で俺をじっと見つめながら、
「やっぱりタツミくんって顔は格好いいよ。わたしのピになってよ」
ピってなんだよ。
ピーナッツの略称かな? つまり俺のことを遠回しにピーナッツみたいに取るに足らない矮小な存在だと言っているのか? それとも柿ピーのピーナッツはあんまり好きじゃないよねつまりあなたが嫌いですよと遠回しに言って、
「わたし、あなたの顔が好き」
顔が好き。端的にそう言われて、あまりいい気分じゃなかった。俺の容姿は父親と瓜二つで、俺は父親のことが嫌いだからだ。
ただほとんど話したことのない同年代の女子に対していい気分じゃないことを表明するのは差しさわりがあるように思われた。
元同級生に落ちぶれた俺の現状を話したくないし、関わりたくない。
知られたくない。
さっさとこの変な女の子を適当にあしらって、本屋を出よう。家に帰ってシーカーの配信でも見ながらコンビニで買った菓子でも食べよう。
そう思って、口を開いた。
『俺は本屋を出るから、じゃあね』←心の声
「俺もきみの顔が好きだ」←実際に出た言葉
俺、何言ってんの?
いや、正直に言うと心の中ではそう思っていた。確かに彼女の顔は造詣が良く、綺麗で好きだった。でもなぜ俺は心の中で思っていたことを喋ってんだよ。数か月にわたるひきこもり生活で脳がバグってんのか!?
「あ、あ、あの」
一旦出てしまった言葉を否定したくても、上手く話せない。
藤沢さんは、瞳が黒く濁りきっているのとは対照的に頬が赤く染まっていた。
「相思相愛だね! これからよろしくね、ピ」
あの誤解です。たしかに顔は好きだけどそのファッションはあんまり好きじゃないです。
なんて思っていたら腕を引っ張られる。気づいたら本屋から俺は出ていて、京浜東北線で秋葉原へ向かっていた。
どうなってんの。
電車が動き出すと、藤沢さんは濁った眼を細めて言った。
「初デート楽しみだぜ。秋葉原ダンジョンはオタクのオーラの影響でモンスター二次元化がすごいんだよね。かわいいよ」
いや、知ってるよ。
秋葉原ダンジョンは29年前に完全攻略されていて、人間に害を与える動植物やモンスターはとっくの昔の排除され、現在は立派な観光地と化している。
入場料は2500円だ。
ロマンもへったくれもない。まだ夜の歌舞伎町のほうがスリルがありそうだ。
「あ、今つまんないって思ったな」
藤沢さんは心が読めるのだろうか。
「あのね、これは推しダン活だから」
「押しダン活?」
聞いたことねえ。
「あ、やっとしゃべった。ピは声もイケボだね。うん、そう推しダン活。自分の推せるダンジョンで映える写真を撮ってSNSに載せたり、ダンジョン自体を一種の”推し”として広げる活動だよ」
「今ってそんなことが流行ってるのか」
流行って難しいね。ついこの間まで実際にある魔法遺物を模したファッションを着飾るのが流行ってたのに。
そういえば、もうあのヘンテコな服装は全然見ないな……。藤沢さんは藤沢さんで変な服装だけど。
「流行ってないよ。わたしが個人的に造語したの。いいでしょ」
「流行ってないのかよ」
「中学校を卒業してから押しダン活配信してるんだけど全然バズらなくてさ。登録者数はたったの100人」
「動画サイトでの配信――ね。まあ、そんなもんだよ」
こんなことを聞いたことがある。配信者が100人いるとして、稼げる人はどのくらいいるか――ってやつ。
答えは0人だ。
100人いて、0人。
その桁を一桁増やしてやっと1人くらいがまともな収入を得られる。
この世の中はだいたい1000人に1人くらいが一角の選ばれし人間になれて、残りの999人は凡庸な人生を送る。
その1人はきらびやかな名声や心から溢れるほどの自尊心を得られるが、999人はどこか鬱屈としたものを心に抱えて生きていかなきゃいけない。
凡庸なのに抱えてない奴は「まあ夢なんてほとんどのひとは叶えられないんだからしょうがないよね」と自分で自分を慰撫してその自分の”無能”さを見て見ぬふりをしているだけだ。
ダンジョン配信でやっていけるのは一部のシーカーだけ。世の中の常識だ。
この子は、そんな当たり前のことも理解できていないのだろうか。
電車の外に見えるビル群を眺めながら、俺は肩を落とした。
――気づいたら秋葉原ダンジョンの目の前まで来ていた。
昔はホコ天とか呼ばれていたらしいが、その中心あたりに大きな穴が開いている。
学校の体育館なんて簡単に飲み込んでしまうそうなくらい大きな口を開けて、ダンジョンは今も生きている――人間の遊び場として。
ダンジョンの周りには武器装備屋とか化学魔法道具屋やダンジョンガイド屋なんかの店舗がぐるっと一周するように囲んでいる。
大昔にあったレトロゲームのRPGの町がこんな風景だったという話だ。
ダンジョン自体はそのほとんどの外周をアダマイト壁で封鎖されていて、唯一入れるゲートにはチケット販売所が建っている。
自分がもっと子供だったら、愉快なアミューズメントパークとして、心が躍ったんだろうな。
2500円の入場料を支払って、ダンジョン内部にいる動植物や風景を楽しみ、犬や猫より弱い見慣れたモンスターをレンタルした武器で叩いて倒す。
こんなの、ちょっとした動物園や水族館だ。
そんなありきたり、ありふれたことのどこに興味を抱けばいいのか、俺はわからない。
「ほんと、テーマパークみたいだよね」
藤沢さんが、ダンジョンを見回して、紅いくちびるをとがらせて、まるで拗ねた子供みたいに呟いた。
「ほとんどのダンジョンって、とっくに攻略されてて、夢も希望もなくて、そこには大人の欲望とお金だけがつまってる。わたしたちみたいな何物でもない相手向けの、ちょっとした息抜きの場所」
藤沢も、俺と同じような感想を抱いていたのは意外だった。一部の才能のあるやつ、権力のあるやつ、コネのあるやつ、先駆者が狩りつくして出来上がった搾りカス。
そこには夢の残滓すらない。
「でもね、わたしの推しダンジョン活動は違うよ。ピをたくさん楽しませてあげるね」
流れに流されてここまで来たけど、どうせ俺にやりたいこともやるべきこともないのだ。
いっそ最後まで流されてみるのも暇つぶしというか、一興かもしれないな。
そう思ってチケット販売所で2500円を払おうとしたら、財布に入ってなった。
そうだった。お小遣いもなくただのひきこもり不登校高校生の俺に金なんてないんだった。
「もう仕方ないなぁ、ピって女に財布を出させるタイプなんだね。Sだぜ」
やめろ。勝手にキャラ付けするな。
とか思いつつ実際にお金がないので藤沢さんに支払ってもらった。俺は女に財布を出させるタイプだったらしい。
***
ダンジョンの入り口はきれいに整備されていて、深部へ向かうなだらかな坂道がしっかりアスファルトで舗装されている。ダンジョン特有の植物である夜光草が赤色や緑色、橙色、青色などの様々な明かりを発していて、内部を幻想的に彩っている。
まあ、もう何回か行ったことがあるので感動も何もないけどさ。
しかも入り口付近やダンジョン内の大きい道には普通に電気通ってるし。LEDでバッチリ明るい。
「じゃあ配信始めるね」
「えっ」
そんないきなり始めるもんなの⁉
スマホが設置されている自撮り棒で、藤沢さんはどうやら配信を始めたらしい。
「こんファンシー! みんなつまらない日常に飽き飽きしてオナニーばっかりしてしうだね! 今日はなんとわたしにピができたのでこれからはカップル配信になりまーす。え? 登録解除しました? なんでだよっ!」
いや、そりゃ解除されますって。
たぶん100人くらいの少ない登録者のほとんどは、藤沢の容姿目当てで登録した男ばかりだろうに。
まさか藤沢ってアホなのか?
「べつにピくらいできたっていいでしょ、えっ、もしかしてみんな彼女いなかったりするの? ドン引きだよー」
アホだった。
藤沢が配信者として終了した瞬間を俺は見ていた。口をぽかんと開けながら。
「まあ気にせずに行こう、ピ」
「藤沢って前向きだよね」
「そうかなーそうかも」
などと会話をしながらダンジョンを進んでいく。入り口から徐々に道幅は狭まっていくが、それでも二車線道路くらいの道幅はあるし、分かれ道や丁寧に電光看板で行き先が表示されている。
この先、秋葉原ダンジョン地底湖。
この先、二次元スライム生息地。
「二次元スライムと素手で戦いたいと思います。ここの最萌モンスターだよ」
二次元スライム。
いかにも弱そうな名前だが、実際に弱い。この秋葉原ダンジョンにだけ生息する固有種モンスターで、その特徴は大昔のインターネット文化であるアスキーアートの見た目になっている。
要するに「(´・ω・`)」←こういう形と顔になっている。
面白いよね。
ダンジョンは各地の文化や特徴に影響されて形成されることが多く、秋葉原のオタク的影響がここのダンジョンには濃く反映されている。
はっきりいって、二次元スライムは犬や猫より弱い。一応襲い掛かって来るのだが、体に接触した時点で二次元スライムのほうが崩壊する。
哀れなモンスターランキングでもトップクラスらしい。
むしろ犬や猫に失礼である。
そのため武器のレンタルすら必要なく、当時5歳だった自分はあまりの弱さに悲しみを覚えたものだ。
しかし、彼らはモンスターであり、俺たち人間とは相いれない存在でもある。未踏破ダンジョンにはドラゴンのような高位モンスターも存在しており、明確に人間に敵意を持っており、実際に年に何人もシーカーが犠牲になっている。
実際には見たことがないし、未踏破ダンジョンでの出来事なので俺には関係ないけどさ。
二次元スライムの生息地、少し沼地風味の湿った場所にたどり着くと、藤沢さんが中国拳法の使い手みたいにアチョーとかホアチャと声を出して二次元スライムを倒している。
つ、つまんね~~~~。
一体何に盛り上がればいいのかわからん。たまに見える黒色のパンツくらいしか見どころがなかった。
倒している間も配信は続けていて、岩に直置きされていたスマホを凝視してみると「やっぱり黒パンツですな」とか「パンツと顔しか見る価値がない」といったコメントが書き込まれていた。
エロ目的しかしないじゃん。
終わりだよこの配信者。
何が推しダンジョン活動だよ。
帰ろうかな。
十数分における藤沢さんのクソつまらない戦いを死んだ目で見ていると、ハアハアと息を切らした藤沢さんがスマホに向かって妙にダサイ格好でポーズをとり、
「おつファンシーでした! 今日は二次元スライムとわたしの熱い戦いが見れたね!」
そう決め台詞?を吐いて配信を終わらせた。
「フウ、どうだった? 最高の配信だったよね」
「え? ごめん見てなかった」
実は最後のほうはスマホで最新ゲームの攻略WIKI見てたわ。つまらなさすぎて。
「ひどいよ、ピ! パンツがんばって見せたのに」
「えぇ……」
あれわざとだったんだ……。
もう何もかもが悲しいよ。俺は何でここにいて、一体なにをしているのだろう。
モチベも気力もすべて失せて、来た道をどうやって帰ろうかと考えていたら、
「ここからが本番だから。ね、あとちょっとだけ、先っちょだけ付き合ってよ」
まあ、もうここまで来たからには付き合うけどさぁ。
「ピだけに見せてやるぜ、おれのすべて」
なんの作品かはわからなかったが、たぶん最近の漫画っぽい台詞を口にした藤沢さんは、二次元スライムの生息地の奥地に向かっていく。
確かそこには二十五メートルプールくらいの範囲の沼があって、危険だから立ち入り禁止の柵が立っていたはずだ。
正直、SNSに載せても映えることはないし、行く価値もないと思う。
でも、妙に神妙な顔をしている藤沢さんに言葉が掛けづらくて、そのまま付いていく。
たぶん、俺と藤沢さんの関係はここで終わりなんだろうなぁとか、どうせ暇つぶしに俺と付き合ってただけなんだろうなぁ、みたいな取り留めもないことを考えつつ、
信じられない物を見た。
藤沢さんが、沼地のある左壁側、物理的にダンジョンの壁がある方向を、幽霊のように通り抜けていったからだ。
一体何が、起こっている。
「藤沢さん――」
俺が彼女を咄嗟に呼ぶと、壁から藤沢さんが顔だけををニョキっと出した。
「どたの、ピ」
「いや、あの、体が壁を透過してますが」
「びっくりしたか! これがわたしの手に入れた魔法遺物の力だ!」
藤沢さんは、高らかに宣言した。
――魔法、遺物だと。
魔法遺物の価値はそのモノの力によって変わるが、マッチのように火が出るような些細な遺物でも数千万はくだらない。
少なくとも、一般人が手にしていいものじゃないのは確かだ。
体を透過できる遺物なんて、いったいどれだけの価値が……そもそも、そんな未踏破ダンジョンの深部にしか存在しないような魔法異物を、どうやって手に入れたんだ。
俺は混乱していると、藤沢さんはニンマリと口をゆがめて、
「フフ、わたしね、ピだけに教えるけど……隠しエリアが、わかるんだよね」
「隠しエリア」
「そう、ゲームでよくあるじゃん。ダンジョンの隠しエリア。本来気づけないし、攻略サイトを見ないとわからないやつ――なんだかね、わたしは、それがわかるんだ。ここから先の隠しエリアが、わたしの”推し”なんだ」
じんわりと、掌に汗がにじんでいくのが分かる。これは、大きな問題だ。いや、事件と言ってもいい。簡単に藤沢さんは言っているが、踏破済のダンジョンに隠しエリアがあるなんてわかったらそれは国家の失敗であり、国家探索員の恥である。このことが露見したら、最悪、国防省の探求機関に重要参考人という名前で拘束されることすらあり得る。特級シーカーに拉致される恐れだって――
「わかるよ。これがヤバイヤツだって。高校に入学してないわたしでもそのくらいはわかるよ。でもね、わたしに考えがあるんだ」
藤沢さんはそのよどんだ大きい瞳を歪めながら、
「配信者として有名になって、登録者数10万人記念とかで、大切なお知らせがありますってタイトルで、沢山手に入れた魔法遺物を公開するんだ。あと隠しエリアのことも。全世界に。そうしたら、日本はどうなると思う。けっこう馬鹿にされるよね」
初めて、俺は藤沢さんが笑ったのを見た。その笑顔は、これまでに俺が視聴していたどの女性配信者よりも妖艶で、この世の悪辣をすべて詰め込んだみたいな瞳をしていた。
「これはね、復讐なんだ。わたしから社会への。だからさ、配信者として人気になるのを手伝ってよ。推しダンジョン活動しようよ。顔の良い、本山くん」
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