よそ見はしない
@rabbit090
第1話
ぐったりとソファーにもたれかかる。
「ねえ、何でだよ。いつまでそこにいるつもりなんだよ。いい加減…。」
言いかけて、口をつぐむ。
お前には何も言わせない、そんな強い圧力を眼差しとして与えている。
多朗は、普段よりも汗をかきながら、仕事の準備に取り掛かっている。
私は、それをただぼんやりと眺めているだけだった。
「行ってくるから、絶対に外に出るなよ。」
多朗は、怖い顔を作りながら、私の手を握った。
手を握ることは、もう習慣になってしまっていた。
これは、私が外の世界に出てはいけないことになってしまったあの時から、ずっと続けられていることで、正直嫌なはずなのに、何もなかったら動悸が止まらない。
「………。」
何も言わずに黙っている私を見て、多朗は少しだけ微笑んだ。
「早く帰ってくるから、心配するなって。」
「うん。」
私は、ひどく無垢な存在のようだったのだろうか、多朗とは別に、恋人とか、血縁関係とか、そんなものでは何もない。
というか、友達ですらない。
じゃあ何なのか、私にも分からない。
「はあ…はあ。」
息を切らして走っても、逃げられない。
毎日この恐怖の中で生き続けなければいけないのだと考えると、心底全てが恐ろしくてたまらなくなってくる。
ほんの少し前のことだった、私は高校生で、普通に学校に通っているはずだった。
なのに、ある時から不審者に、目を付けられるようになった。
友達から、それもすごくかわいい女の子から、変な男に付きまとわれて怖い、という話を聞いたことはあったが、それは私には無関係なことで、絶対に起こりえないものなのだと確信していた。
しかし、今、私の日常はよく分からない何者かに蝕まれていて、恐ろしかった。
どうすれば解決できるのか、ちょっともう分らなくて、ただ戸惑うことしかできなかった。
「お母さん、お父さん。」
すごく辛かったから、死んでしまった両親の名前を呟いていて、二人が死んでしまってからそんなことは一度もなかったのに、私は小さな子供の頃に戻って、誰からも目を付けられない無垢な存在になっていたかった。
現実がこんなに恐ろしいものなのだと、知る前に戻って、笑っていたかったのだ。
目の前がかすむ、正体不明の、でも確実に存在する何かに、足元をすくわれそうになっている。
怖くて、動けなくて、道の真ん中に立ちすくんでいた。
心の中では体よ動け、と叫んでいるのに、私はただ茫然と突っ立っているしかなかった。
そんな私の状況を気にかけてくれたのは、隣のおばさんだった。
昔から親交があって、両親が死ぬ前にはよく会話を弾ませていたものだが、今はめっきり交流がなかった。
それは、単に私が、人を避けていたからなのかもしれない。
そして、そこにたまたま現れたのが多朗であって、多朗は昔から一応存在は知っていて、今は地元の大きな企業で、役員を務めている。
年齢も、10歳程しか変わらないけれど、一時期芸能活動をしていて、それで地元で名のしれた存在となっているのだ。
私も知っていた、そして多朗も、私を知っていたのだ。
それは、でもいいことなんかじゃなくて、私はお姫様などではなかったのだ。
私の家は、貧しかった。
だって、両親が死んでしまったのだって、借金を背負ったから、それを苦にして自殺してしまったのだった。
ただ貧しいだけではなく、お金を負のループの中からしか扱えない、不器用さを持った両親のことも世間では噂になっていて、小学校の頃などは、誰とも口をきかなかった。
これは大げさではなく、本当に、全ての人から避けられていた。
でも、多朗はなぜか、私にとても親切だった。
なぜなのかと問いかけたら、笑いながらあまりにも可哀想で、と本音を漏らされた。
とにもかくにも、つまり今の私は別に、もう何も不足などしていない。
この狭い部屋で、多朗に守られていれば、世界など怖くはなかった。
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