第25話

「それくらいの気概もなくては勝てない。なにより、必死になった方が頭が冴える」


 事実、今回の全局ドローを狙うという神技も、命をかけることによって潜在能力を引き出したのは否めない。このまま研ぎ澄ますことができれば、世界最強にすら届きうるだろう。


 俯いて意気消沈したまま、老人は声を絞り出す。まだ疲労はしばらく抜けそうにない。


「……意志が強いのは結構だが、相手あってのチェスだ。負けても死ぬことは許さないよ」


 そこは断固として譲れない。負けてしまっておいて説得力がないのは承知だが、本来チェスは誰にとっても楽しく遊ぶもの。裏のルールとは言っても行き過ぎた行為は戒める。


 しかし、シシーはそれを鼻で笑った。


「いやだね。特殊なルールでやりたいから、真剣師を選んだんだ。普通のルールでなんか今更やれるか」


 踵を返し、店内へ返却に向かう。もうこの老人に会うこともないだろう。返却したらそのまま帰路に着こう。道は決めた。負けたら死ぬ。それでいい。


 まだ俯いたまま、老人はひとつ提案をする。


「……ならひとつ条件だ。それをクリアできたら、命をかけてもいい」


「……オレがそれを受けるメリットあんの?」


 帰ろうと思ったが、シシーはつい返してしまった。そもそも、自分の命を賭けるのに、なぜ他人の許可がいるのか。さっぱりわからない。相手あってのことというが、自分が死ねば、その後の世界がどうなろうか関係ない。誰が疑われようが知ったことか。


「確実に今より強くなれる」


 鋭い眼光で老人はシシーを捉える。以前の時のような、本気の圧力。


「へぇ。どんな? 聞くだけ聞くよ」


 少しだけ興味が湧いて、もう一度踵を返し、イスに座る。頬杖をついて、次の老人の言葉を待つ。自分を楽しませてくれる言葉が本当にあるのか。


 老人は両手を開いて、シシーに見せる。


「僕に一〇回やって一〇回勝てるようになったら許可しよう。もちろん、普通のルールで」


 発言の内容を反芻し、再度噛み砕いてシシーは理解する。つまり、この老人に一〇連勝できるようになったら命を賭けていいと? チェスで?


「つまらない冗談だ。帰るわ。もうここには来ないよ。楽しかった」


 やはり聞くまでもなかった、と立ち上がる。


「強くなりたいんだよね? 僕なら役に立てると思うけど」


 実際、たしかにお互い勝ちを目指すチェス同士になったとき、先週の結果を鑑みて老人に分があるのはシシーもわかっている。多彩な攻め方から、一瞬の判断まで、勝ちを目指すとなると、ビジョンが見えない。強い相手とやることは、強くなる近道。しかし、


「胡散臭いんだよ。あんたにメリットなんかないだろ」


 どうにもこの老人を信用できない。まぁ、お互い様なんだろうけど、と呆れ顔で返事を待つ。


「ないねぇ。だけど、お金はいいっていうからさ。代わりに僕のチェスの腕力を授けてあげる」


 お詫びということで、筋は通っているのだが、そもそも名前も知らない老人に全幅の信頼など置けるはずもない。もらえるならもらいたい、というわけでもない。他に強くなる道はたくさんある。


「いらん。一万ユーロの価値があるのか?」


「僕はね、若い頃はそれなりに有名なプレイヤーだったんだよ」


「話が繋がってないぞ」


 気にせず、老人は続ける。

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