第6話

 シェアハウスに帰宅すると、二五平米の自室でシシーのやることはまず、稼いだお金をしまうこと。各部屋備え付けの横幅一メートル強ほどのクローゼット、ハンガーパイプ下、足元のA4サイズで高さ三〇センチほどの木箱を開けると、カラフルなユーロ札がぎっしりと詰まっている。


 いくらになっているかはわからないし、調べる気もない。ないとは思うけど、シェアハウス内でもし盗難にあっても、そこまで気にしない。そしてルームウェアに着替える。住人からもらった、白いモコモコしたパジャマみたいなやつ。


 お金を稼ぐために賭けチェスをやっているかと言われたら、そうではないと一〇〇パーセントは言い切れない。家賃だってタダじゃない。ここから出ている。休日のみの高校生のバイトにしては相当溜まっているほうか。家賃と食費と少しの交際費くらいなもので、学校が制服になったことで私服代もほぼかからない。ついでに私服はシェアハウスの住人がタダでくれたりする。


「ジオッコピアノか、ルイロペスか。レートは格上。さて」


 学園から戻ると、基本的にはシェアハウスの住人と談笑したり持ち回りで食事の準備をしたり、部屋でのんびりしたりと選択肢は多い。勉強だってする。ただ、ふと時々リスクを背負いたくなると、ネットでチェスをしたりもする。ベッドで寝転がりながら、携帯で手軽にタッチしてできる。対局ルールは急戦のブリッツ形式が多い。


「うんうん、悪くない。強い。しっかりついてくる」


 ネットでのチェスは相手の強さが数値化されているため、ある程度の指標となる。FIDEのレートとはまた違う、固有の数値。トップクラスは一〇〇〇弱というところか。シシーは八〇〇程度。高いことには高いが、負ける時は負けるのであまり上がらない。対面しないと頭が働かないのも要因だろう。


 今回の相手は自分よりも少し高いレート。自分は後手の黒。もちろん数字が上だから必ずそちらが強いとも限らない。戦術の相性もあり、先の通り、負ける時は負ける。シシーは勝った対局は覚えていない。負けとドローは解析する。


「これが読み切ればドローだ。さて、どうする?」


 チェスを介して相手と対話する。相手はベルギーの人らしい。名前の横に国旗が出ている。男か女か。たぶん男。理由はない。自身のネームは『ビーネ』。蜂。わざとリスクのある隙を作り、足を踏み入れてきたらその隙を狙い刺す。それになんとなく、蜂は女性っぽい。


 チェスのオープニングには様々な型の指し方があり、対応もある。それぞれに名前がついている。今回のオープニングはルイロペスと呼ばれる超基本型。よく言われることだが、このルイロペス、基本にして究極。五〇〇年を超える時間研究されているが、まだ広がりを見せている。初心者がまず最初に覚える型のひとつだが、最上級者でも頭を悩ませながら手を進めていく。この形のキモはビショップの使い方。ここで実力の差が出るとも言われる。


 五〇〇年ルイロペスが研究されているということは、それに対する後手番の研究もされているということ。シシーが選んだディフェンスはベルリンディフェンス。このディフェンスは非常にドローになりやすい形でもある。それを嫌って相手が無理に攻めてくるのであれば、そこに隙ができる。シシーが最も使う戦術のひとつ。


「残念、ビショップをf7に指せればドローが見えた」


 終盤、相手に隙が生まれた。お互いに決め手のないまま、相手が勝ちに行くか無理せずドローを狙うか、中途半端なナイトb5。ここまでキングという極上のエサを垂らして守っていたシシーが、一転攻勢に移る。ビショップc3で相手ポーンをテイク。相手キングにテイクされるが、ここまで沈黙を保っていたクイーンがe4でチェック。相手キングが逃げるが、ビショップb4でチェック。ここで相手がリザイン。 


「オレの勝ちだ」

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