03 接触

 聞き慣れない鳥の声で目覚めた。

 ベランダから射し込む光の強さに、思わず顔を背ける。今日は1限からじゃなかったっけ、と枕元に手を伸ばし、スマートフォンの画面を見た。水曜日。1限からだ。

 現在時刻は10時9分。『聞き逃したアラーム』の通知が大量に並んでいる。

 もうどうやったって授業終わりにさえ間に合わない。

「ああー」

 布団に大の字になる。全身で天井を眺めた。

 一気にやる気が失せた。今日1回欠席したくらいで単位を落とすことはまあないのだが、何かに出鼻を挫かれると、ほかのすべてもどうでもよくなる、そういう瞬間が人間にはあるのだ。俺のような人間にはあるのである。

 そもそもこう、昨晩、あんなくだらないことに時間を浪費したのも悪かったのだ。ミズキチの可愛さと演技をいっぱい見られてハッピー、そこで終わっておけば良かった。嗚呼、今更どうにもならないことを考えても仕方がない。考えれば考えるほど、全身を何とも言えない気怠さが侵食していく。俺のような人間には、そういう日もあるのだ。

 あれだ、今日はもうサボろう。もう必要な単位はほぼ取り終わっているのだから、今日くらいは許されるだろう。一体誰に対して許しを請うているのかよくわからないが、兎も角そう結論づけた俺は、ぬるりと布団を被るとうつ伏せの姿勢を取った。スマートフォンをいじる時の基本姿勢である。

 もはや手癖としか言いようのない流れで、ツイッターを起動する。

「うげ」

 ツイッターを開けば、見慣れたタイムラインが俺を優しく迎え入れてくれるだろう。そう思っていたのだが、俺を迎えたのはスパムアカウント『愛衣』のプロフィールだった。昨晩、開いたままにして寝てしまったらしい。

 最悪である。本当に最悪である。

 俺が寝坊したのも、寝坊したくらいでその日の授業を全部投げてしまうような学生になったのも、行きたい会社の内定が出ないのも、元はと言えば全部こいつのせいと言っても過言ではない。俺のような人間は、そういう考え方をするときもあるのだ。

「……しかも、ツイート増えてやがる」

 寝る前に見たもの以外に、3件の新しいツイートが投下されていた。いずれも内容は似通っており、露骨なスケベトークと拡散希望の文言の下に急上昇ワードが刺身のツマみたいに添えられている。一夜明けて見ても、なんともスパブロしたい挙動だ。

 しかし愛衣はどうも、AIで画像を生み出すのがあまり得意ではないらしい。相変わらず女の腕は3本あるし、手の甲の骨格と指の本数が噛み合っていないし、衣類はめちゃめちゃに魔改造されていて何が何だか分からない。

 憎いスパムツイートの付け合わせとはいえ、奴らの生成するAI悪用画像に対し、俺は少し興味が湧いてきてしまった。

 それに、こいつらは所詮業者のスパムアカウントだ。中に人がいるわけでもない。遠慮やら配慮やらをする必要はないだろう。

 これ――リプしてみたらどうなるんだろう。

 フォローして、リツイートして、いいねを押して、決められた単語をリプライする。その手順を踏めば、自称裏垢女子の愛衣が言うには、あそこの写真やらオナニー動画やらをDMダイレクトメッセージで送ってきてくれるらしい。AI生成で生み出された非実在女が、一体どうやってあそこの写真を送ってくるというのか。無修正AVのスクショでも貼るつもりなのだろうか。

 知りたい。むしょうに気になってきた。

 単なる知的好奇心もあるが、もし本当に画像やら動画やらを送ってくれるというのなら、オカズを探す手間も省けるというものだ。

 とはいえ、さすがにミズキチファンや友人とも繋がっているアカウントで、こんなスパムツイートをリツイートするわけにはいかない。アカウント乗っ取りを疑われるならまだいいが、疑われなかった時のダメージが大きすぎる。

 その時、はるか昔に規制用に作ったものの全く運用していないアカウントの存在を思い出した。久しぶりにログインしてみたところ、フォロー数もフォロワー数もゼロのままだった。登録したメールアドレスも、ほぼ捨てアドのようなものだ。

 いける。これなら、気兼ねなくスパムbotにちょっかいを出せる。

 こんな奴ら絶対ちょっとでも関わらない方がいいに決まってるけど、プロフィールにこれみよがしに貼ってあるこのフィッシング詐欺みたいなリンクを踏まなければ、きっと大丈夫だろう。万が一やばいことになっても、所詮は学生の安アパート暮らし。最悪引き払って、実家にトンズラすりゃいい。俺、親と仲悪いわけでもねーし。内定も出てないんだし。あー考えたくない。知らねえ知らねえ。どうにでもなーれ。

 フォローボタンをクリックする。とりあえず一番上に出てきた最新のツイートをリツイートし、ハートマークのボタンも押し、この一連の作業はまるでクソな儀式みたいだなと思いながら、愛衣に「みたい」とリプライを送った。

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