たまご
戸村井
たまご
卵を割る。
ボウルに入れて、箸で黄身に穴を開ける。かき混ぜて調味料を入れて、フライパンで焼く。その一連の流れが好きだ。私のところに届いた有精卵もしくは無精卵が、自分の手によって食事に変わっていく。どこかの世界では卵が孵ってひよこが生まれていたかもしれないと思いながらシュレディンガーですらない架空の未来を潰していく。
食べることは命を頂くことだって皆言うけれど、このことを伝えれば「悪趣味だ」とか何とか言うに違いない。悪趣味でいいのだ。私は卵を通して架空の未来と心の中の自分を殺していく。それが心地よかった。
「また食べないのに卵焼き作ってる」
そう言って冷蔵庫を無遠慮に開け牛乳パックを取り出している同居人はコップも使わずになけなしの牛乳を飲み干す。
「私が卵焼き作っててもどうでもいいくせに毎回言ってくるよね、それ」
うん、とシンクにパックを置き去りにしてこちらを気だるげに見る彼女は寝起きでも何故か綺麗だ。世間一般でもそうなのか長年一緒にいて審美眼が狂ってしまってるのか判別はできないけれど、その美しさは瀕死の心を蘇生していく。
「不健康な笑顔で健康的な食事出されるこっちの身にもなってよ、あと明日は朝ごはん要らないからね」
「あ、健康診断?」
「うん」
焼きあがった卵焼きの端を切って口元に差し出せばそのまま咀嚼してくれる。彼女が何故自分と一緒に居るのか分からないけれど、それだけで許容されている気がして自分勝手に安心する。もしかすると口元に差し出されたらなんでも食べるだけかもしれないけれど、それならそれでも構わなかった。
「あ、ほら」
「何?」
「不健康な笑い方してる。笑うならちゃんと笑いなさい」
そう言ってつねってくる指がちょっぴり濡れていて、ひんやりとを頬を湿らせる。指が離れても少しだけ冷たいその感覚が泣いた後に肌を冷やす涙の感覚に似ていて、出てもいない涙を拭われた錯覚に陥る。彼女はきっとそこまで考えていないが、彼女が生きることで勝手に救われている私がいる。
たまご 戸村井 @je0901
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