第30話 後悔、そして未来へ


 トレーダーはモンスターの売人である。

 捕獲したモンスターを売りさばき、利益を得ている悪人であると自負している。


 この『超生物研究所』にもモンスターを売ったことがある。

 お世辞にも金払いは良いとはいえなかったが、それでも彼は売ることにした。何故か。


 それは、この『超生物研究所』の研究データ、ひいては再生医療技術を欲していたのである。

 全ては、仕事仲間であり友人である『キャプチャー』を救うためだった。


 モンスターの襲撃により下半身を失い、今も昏睡状態にあるキャプチャーを救うには、並の医療では不可能だった。

 彼が求めたのは、『人工エリクサー』。この『超生物研究所』で研究されていた、人工の万能薬である。


 最悪、自分が犠牲になってでも『人工エリクサー』を入手できればいいと考えていたが、それは甘かった。


 「諸星、ソラ……!」


 目の前で左半身を失い、崩れ落ちた少女。

 名は諸星ソラ。聞けば、まだD級でしかない探索者でもある。だが将来有望な、若い探索者だった。


 そんな少女が仲間のみならず、老い先短い老人である自分を庇い、若き命を散らした。しかも、彼女は直前で家族にも等しい召喚モンスターを食われていた。

 その事実が、トレーダーの心に重くのしかかる。


 (私は……無能だ。この戦闘では何一つ役に立っていない。やはり、私は戦う人間ではない。ダンジョンに入るべきではなかった)


 トレーダーは、常々そう考えている。

 数十年前、かつて所属していたパーティーが壊滅したのも、自分が原因だったのではないか。今でもその光景を夢に見ていた。


 かつての彼は鈍くさい、うだつの上がらないような人間だった。

 ……いや、その評価は間違いかもしれない。現に彼は、モンスターの捕獲と販売によって富を築いている。

 ただ、確実に言えることは。彼には探索者として必要な才能は全くなかったということだ。

 

 だが。それでも、だ。

 彼がダンジョンで1人生き残ってしまったがある。

 あるいは死神の気まぐれか。


 『目が……!!! ゆ、許さない! この私の顔に!! 傷をつけたことを!!!』


 キマイラの……女研究者の顔が憤怒に染まり、トレーダーと虎の穴を睨む。ブロワーマンは眼中にないようだ。

 傲岸不遜、他者への慈しみを持たない生粋の人格破綻者……それを殺す方法を、トレーダーは持っている。


 「少しは落ち着いたらどうだね?」

 『〜ッ!!! ……スゥーッ……ま、クソガキは殺せたからいいとしようか』


 憤怒から一転、怒りながらも冷静を保つ女研究員。軽い挑発のつもりだったが、その態度にわずかな戦慄を覚える。

 が、それをおくびにも出さず、彼は続けた。


 「いいや、まだ彼女は生きている」

 『はぁ? ……へぇ、左半身無くなってもまだ生きてるのかい? 呆れたタフさだ。ま、どちらにせよ私の顔を傷つけた――』

 「君は……べきだと言うのだね? 傲慢な考えだ。分不相応とも言える」


 命で償う。彼はその言葉の重みを知っている。

 だからこそ、無視できない……するつもりはなかった。


 『ふぅん? 君達のごときカス共が何匹いても、この私の命には遠く及ばないが?』

 「それが君のであり、思想か」

 『その通りさ』


 トレーダーは、その答えに少しの間だけ沈黙し、また語り出した。


 「時に……私が何故『トレーダー』と呼ばれているか知っているかね?」

 『?』


 女研究員には、質問の意図が読めなかった。

 本当に何の脈絡もない質問だったからだ。


 『キャプチャーが捕獲担当、君は販売担当だからだろう? 舐めてるのかい?』

 「気を悪くしたなら謝罪しよう。だが、少し、ほんの少しだけ違う」


 トレーダーが、

 気配が、その存在が希薄になったのだ。着ている服さえも消え去り、後には灰色の炎が揺らめく。


 『それは……』

 「【等価交換】……を交換するスキルだ」


 【等価交換】。今のトレーダーの説明で、特に間違ってはいない。

 だが、その説明に納得しないのは女研究者である。


 『私の命と、そこの小娘と畜生の命が等価だとでも? いや、それはいい。お前は、そのスキルでである私からというわけだね?』


 ドンの命と、ソラの半身を奪った自分から、何かを

 それが女研究員の導き出したスキルの使用方法だ。そう考えた女研究者は、攻撃の準備に移る――


 「いや、そんなことはしない。それはからだ……ソラは我々を守るため、命を差し出した。なら、私も差し出すべきだろう」

 『……そうよ。ならお前らが差し出すべきで――』


 何かがおかしい。

 こんな状況で、奴らが払うべきものなど何もない。命で償うべきというのは、本気半分、冗談半分だ。

 自分なら、いや多くの人間なら死に物狂いで抵抗するだろう場面で、自分から何を差し出そうというのか。


 次のトレーダーの言葉は、明晰な頭脳を持つはずの女研究員に混乱を与えるものだった。


 「君は先程言ったな? 『』と。では、お望み通り払ってやろう。

 『何を……!?』

 「わ、わわっ!?」


 気迫になったトレーダーが輝きを増し、動き出した……

 そして、トレーダーが彼を包み込んだ。


 灰色の炎はマコトの身体へとまとわりつき、光のような炎へと変貌した。

 光に包まれたマコトの傷は癒え、失った体力すら回復する。それは、まるで何かと等価交換が行われたかのようだった。


 『ま、まさか!? ……!? 自分を燃料にしたのか!?』

 『死ぬかもしれないな、私とて初めての技だ。だが、君の命に届けば十分なのだよ』


 。文字通り、自分を燃やし尽くして。

 女研究者がもう少しだけ冷静で、勝利を確信したせいで慢心していなければ、あるいは可能性として気づけただろう。


 「力が……湧いてくる!!!」

 『弱小とはいえ、特化型Aランク探索者の魔力だ。さあ、トドメを刺したまえ。私が消える前に――』


 マコトは大剣を真っ直ぐに構えた。

 距離は開き過ぎている。だが、今のマコトにとってはその距離すら無いに等しい。

 だが、かの天才はそれすらも対応する。


 『これはどうかな!?』

 「! これは……死体!?」


 マコトが走りだそうとした瞬間、天井から何かが落ちてくる。

 死体の山だった。数多の合成超生物の死体が落ちてきたのだ。飛び出しかけたマコトは出鼻をくじかれる。


 『この合成超生物の死体を取り込みィィィィ!!!』


 アーマードライノの大口が開き、バキュームのごとき吸い込みによって死体を吸収した。

 本来は草食動物であるサイの顔が肉を食うという異様な状況だったが、キマイラの肉体にはそれ以上の異変が起こっていた。


 『さらなる進化を遂げる!!! これこそアルティメット・キマイラ最強最悪の能力の1つ!!! 異常再生能力だァァァァ!!!』

 「そんな、ダメージが!?」


 引きちぎられた翼、角、装甲に至るまで、ボコボコと異音を立てながら盛り上がり、再生する。

 さらにそれだけではなく、再生した部位はモンスターをぎしたような、異形の姿へ、より戦闘と殲滅せんめつに特化したような姿へと変貌へんぼうした。


 『受けてみたまえよ、我が乾坤一擲けんこんいってきの破壊光をォォォォ!!!』

 『GHOOOOAAAAAAAAッッッ!!!』

 「!」


 まるで、異様に長い人間の指のような翼。

 その計10本の先端から、ソラを消し飛ばした破壊光が放たれる。

 白く輝く光の1本1本が、高ランクの探索者やモンスターをまとめて消し飛ばしてなお有り余る威力を持つ。


 「くっ!」


 縦横無尽に放たれるそれを、マコトは紙一重で避け続ける。

 掠りもせずに避けられたのは、ひとえに憑依したトレーダーの恩恵でもあった。

 だが、同時に指を操るキマイラ自身も無防備だった。


 「そこだっ!!」


 トレーダーのスキル、【短距離瞬間移動ショートテレポート】。

 本来の使い手ではないマコトにとっては、トレーダーの助力があったとしてもエネルギーの消費……の消耗が激しい。

 発動できるのは1回。それ以上は対策されるし、継戦のための魔力が持たない確信があった。


 だが惜しいかな。彼のスキルはすでに対策済みだ。


 『そう来ると思ったよ!!! やはり肉体はともかく脳ミソは凡人だなぁ!!!』

 「!?」

 『この光線はでの攻撃……これはでの攻撃っ!!! 攻撃力は格段に低くなるが、確実にその身を削り取る!!!』

 「避け、いや――うああああっ!?」


 突如として光線の1本が消え、同時に衝撃波がマコトを襲う。

 そう、女研究者の行ったことは単純である。今まで一点に集中していた光線の範囲を、薄く広げただけ。

 確かに火力は落ちる。だが、残った威力は常人を一撃で殺して有り余る。


 強化されたマコトなら、不可避の攻撃でさえ避けることができた。

 だが、そうできなかった理由がある。


 (これ以上は諸星さんに当たってしまう!)


 倒れ伏すソラだ。

 ただでさえ瀕死、生きているのが奇跡の状況で、これ以上ダメージを受けるとどうなるかは明白だ。

 だからこそ、受けるしかない。そして、短期決戦に挑むしかない。


 『相も変わらず私の首狙いか!!! だがこれはどうかな!?』

 「くっ!」


 女研究者は、光線と波動を織り交ぜた猛攻を仕掛けた。

 衝撃がマコトをわずかに硬直させ、光線がその身を削り取る。いや、削られているのはトレーダーだ。彼がマコトを傷つけまいと、死なせてなるものかとその身を守っている。

 だが、人類の至宝とも言うべき頭脳が作り上げた悪夢の光線は、純粋アストラル体であり、物理干渉の一切を無効化するはずのトレーダーを削り取っていた。


 それを目にした女研究者は、勝利を確信した。

 

 『ははっ!!! やはりか!!! 私の頭脳は神の領域に通用する!!! 不滅の存在を滅することができる!!! 私は天才だァァァァッッッ!!! ハァーハッハッハッハッハァァァァハハァァァァッッッ!!!』


 狂ったように、いや、ある意味では実際に狂っているのだろう。高笑いを上げるその姿は――願ってもいない好機だ。


 『そうか。それは良かったな。これはその祝いだ、とっておけ』

 『ハハハハ……ハァ?』


 ずるり、とマコトの身体から伸びた黒い腕が、何かを放り投げた。

 野球ボールほどの大きさで、黒いが光沢などはない。表面はゴツゴツとして岩のようであり、自然物らしさが感じ取れる。


 『魔道具マジック・アイテムか? 残念だがこのアルティメット・キマイラには魔力吸収能力が――』

 『残念だが……ハズレだ。天才でも的外れなことを言うのだな』

 『何を……はっ!?』


 女研究者は驚愕した。その岩とからだ。

 空中でクルクルと回転しながら飛来する岩は、屈託くったくのない輝かしい太陽のごとき笑みを浮かべていたのだから。


 『爆弾岩。れっきとしたモンスターだ。その中でも最小クラスの大きさだが……爆発力はえ置きだ』

 『――貴様ァァァァッッッ!!!』


 爆弾岩に亀裂が入り、そこから光があふれる。

 直後、大爆発。内部の『液状火薬』と魔力によって化学反応を引き起こし、絶大な爆発力を生み出す爆弾岩は、自らの生まれた意味メガンテを全うした。

 もっとも、それは女研究者を爆殺することではなく……


 『私がこの程度の爆発で死ぬとでも――そうか!!! 目くらましかァァァァ!!!』


 爆炎、黒煙、瓦礫。

 それらは見事に目くらましとしての効果を発揮した。


 『はぁぁぁぁっ!!!』

 『そこかァァァァッッッ!!!』


 黒煙を斬り裂き、マコトが飛び出す。

 女研究員の死角をついた見事な奇襲だったが、天才はさらにその上を行く。


 『うっ!?』

 『声を上げたのが命取りだったな』


 声から逆算し、高速で計算することでマコトの位置を割り出し、光線で貫いた。

 そう、爆発の目的が煙幕だと看破した女研究者は、すぐさま演算を開始。その結果、見事にマコトを仕留めることに成功したのだ――


 『これでようやく邪魔者は――?』


 女研究者がそれに気づけたのは、ある意味で奇跡だった。

 短期間だが、濃密な修羅場。それが天才を新たなステージへと押し上げた。端的に言うと……ギリギリのタイミングで気配を察知できた。


 『何故だ!? なぜ生きているッ!?』

 「バレちゃったかぁ……っ!」


 マコトが、右側の翼を切り落とした。


 『な、何ィィィィッッッ!?』


 今まさに、マコトは貫かれたはずである。女研究者が貫かれたマコトの方を見ると、灰色の煙となって消え去る瞬間であった。

 その煙には見覚えがあった。トレーダーの身体を構成する、純アストラル体に他ならない。


 『アストラルにどうやって色をつけた!? ましてや、トレーダーのものは奴の人生と同じ灰色――』

 「オーッス! 過去の敗北者!」

 『……敗北者? 取り消してもらおうか今の言葉!!!』


 煽るような声。

 その方に目を向けると、そこにはブロワーマンが。


 「んー? もしかしてアンタ、多分ワン〇ースの読者? けどなんかアンチ寄りっぽいな?」

 『この私が漫画などという低俗なサブカルチャーを目にする訳がないだろう!!! 大体どうやってアストラルを――』

 「ああ、こうするのさ」


 光線が当たった瞬間、ブロワーマンの姿が掻き消える。

 そこにあったのは、単なるブロワー。


 「空気、光、屈折。頭のいいアンタなら分かるだろ?」

 『そういうことか……!!!』


 復帰したブロワーマンが空気を操って光を屈折させ、あたかも分身をマコトであるかのように偽装したのだ。


 「だって私達……仲間だもんげ!」


 マコトもトレーダーも、すでに復帰し、女研究者の背後から合図を送っていたブロワーマンに気づいていた。

 だからこそ、ブロワーマンを信じて行動に移したのだ。


 『だが貴様らの頑張りも無駄だったようだな!!!』

 「ククク……ひどい言われようだな。まあ事実だからしょうがないけど」


 ブロワーマンは、持ち前の機動力で光線を避ける。

 飄々ひょうひょうとしたその動きに女研究員は若干、翻弄されていた――掴みどころがないのだ。まるで風のように、スルリとどこかへ行ってしまう。


 『君を相手にしながら!!! モルモットの相手もしなければならない!!! 天才の苦労を味わって死んでくれたまえ!!!』

 「っ!?」

 「おっと? これは不味いか!?」


 光線、それも非常に短く、単発のもの。

 それがマコトの進路に複数撃ちこまれ、わずかにマコトが軌道を変えた。

 それは、女研究者の演算したルート通りの進行方向。ブロワーマンにも、衝撃波と光線が迫っている。


 ようやく、天才の頭脳が戦闘へと適応したのだ。

 いや、殺し合いそのものに適応したのかもしれない。少なくとも、戦闘における演算能力を身に着けたのは確かだ。

 だがそれでも、ブロワーマンは不適に笑う。


 「まだ奥の手は残ってんだぜ?」

 『ふん、いまさら何を――』

 「誰かァァァァッッッ!!! 助けてくれぇぇぇぇッッッ!!!」

 『~~~ッッッ!?』


 いきなりの、耳元での爆音。

 女研究員が硬直する。だが、命の危機に瀕して、無意識に手のような翼が動きマコトを狙う。

 その指の1本の関節が可動域の限界を超えてブロワーマンを狙う。


 コンマ数秒。

 たったそれだけの差が、命運を分けた。


 『ふざけるな――ぁえ?』


 動かない。

 翼が動かない。


 『何故……こ、この触手は……!?』


 触手が翼に絡みつく。

 タコのような、イカのようなそれを辿たどった先は――


 「あぉ……うぅ……?」


 焦点の合わない瞳で、失われた右腕を支えに上半身を起こしたソラだった。

 彼女は、無意識にブロワーマンの叫びに反応し、身体を動かしたのだ。


 『そんな馬鹿な……馬鹿な話があるかァァァァッッッ!!!』

 「あぅ……」


 すぐさま触手を光線で焼き切る。

 血は出ない、断面が焼き潰されている。見るも痛々しい姿だが、女研究員にとっては恐怖そのものだ。


 「隙アリだなぁ! トドメを刺してやるぜぇぇぇぇ!」

 『しまっ……!?』


 ブロワーマンが、空中で高速屈伸しながら迫りくる。

 ふざけたその絵面に、怒りを覚えてつい反応してしまう。

 ――本当に、隙だらけだった。


 「オレ以外がな」

 『えっ』


 ぞぶり、と何かが身体に食い込む感触。

 自分本来の身体ではない、カオス・キマイラの部分だ。

 そこはかつて、ソラによって引き剥がされたアーマードライノの装甲があった場所。そして今は、合成超生物の肉によって穴埋めされている場所だった。

 いくら合成超生物の肉を取り込んで再生したとしても、アーマードライノの天然装甲が復活するわけではない。


 『……馬鹿め。そんな場所に弱点はない。急所は私だぞ?』

 「分かってる。でも、今のボクならこれで十分なんだ。確実に貴女を殺せるんだ」


 そう答えるマコトの手にある傷からしたたり落ちる血――ではない


 「爆弾岩がどうやって爆発するかは知ってる?」

 『……? 当たり前だ。連中の魔力と、特殊なを反応させ……あ』

 「【体液変換】。ボクの血を液状火薬に変換した」


 爆弾岩からわずかに漏れ出た液状火薬と接触した結果、【体液変換】によって変換できるようになった。

 これは奇跡のめぐり合わせなのか、彼らの掴み取った結果なのか。


 ドクドクと、触手の剣を通して液状火薬が注ぎ込まれる。

 そして、女研究員は知っている。この液状火薬は、魔力が大きければ多いほど爆発力を増すことを。そして、魔力と反応することを。


 『あ、ああ……!』


 それを理解した今、天才の頭脳が嫌でも理解させてしまう。

 何をしても、無駄であると。これが因果であると。他でもない、身から出た錆であると。


 「秘剣……」


 液状火薬とアルティメット・キマイラの魔力反応が臨界点に達する。

 ここまでくると、もう止める術は存在しない。爆弾岩とはそういう存在なのだから。


 「グレン・ブラッドォォォォッッッ!!!」

 『や、やめろぉぉぉぉ――』


 究極の名を冠する合成獣が、マコト達をも巻き込む大爆発を起こし――


 「おおっと、オレは風なら好きに操れるんだぜ? もな!」


 マコト達を巻き込むことなく、無数の肉片へ爆散した




 ◇




 「ハァ……ハァ……」


 マコトは膝をついた。

 他者の力を文字通り借り、スキルまで使用した。その疲労感は想像を絶するものだった。常人なら即座に気を失うだろう。

 だが、彼は持ち前の精神力と体力で何とか持ちこたえていた。


 「終わったか……ぐっ……」

 「と……トレーダーさん……」


 マコトから分離し、再び実体となったトレーダーも膝をつかんとする疲弊っぷりだ。その身体は、ところどころ削れている。

 だが、それでも彼は数十年を生き抜いてきた探索者だ。老骨ながらも、杖をつきながらも、驚異的な精神力で立っていた。


 「おおよそ自分の手で死ねたのだ、悪くない最期だろう……」

 

 爆散したカオス・キマイラの残骸を見て、トレーダーはつぶやいた。

 女研究員は、自分のクローンの手でほふられた。少し違えど、自分の手で死んだも同然の結果だ。

 自殺する気などない天才が、自分の分身に殺される。皮肉な最期であると、彼は吐き捨てたのだ。


 「諸星ソラ……」


 トレーダーはしゃがみ込み、ソラを見る。

 左半身、特に左肩から左腕はごっそりと消滅しており、頭部も半分が無くなっていた。無事だったはずの触手も焼き切れている。

 それでも、生きていた。それどころか、あの瞬間、彼女は動いたのだ。驚異的な生命力が彼女の命を捉えて放さない。


 「……諦めるものか」


 トレーダーは、落ちていた自分のマジックバッグからありったけの高級ポーションを取り出し、ソラにかけた。

 接合ならともかく、いかに高価なポーションであっても、身体の欠損は治すことは難しい。それこそ『エリクサー』レベルのポーションやスキルが必要になる。

 彼の財力、実力ではそれを用意できなかったからこそ、ここまで来たのだ。


 この行為で伸びる寿命は数秒か数分か。いずれにせよ、雀の涙、蚊の涙。焼け石に水としか言えない。

 だが、やらないよりははるかにマシ。現に、ソラの呼吸がわずかに整った。


 「……虎の穴マコト、そこで待っていてくれ」

 「は、はい……」


 次にトレーダーは、人工エリクサーが格納された機械へと近づいた。

 そして、機械を操作する……ことなく、腕をガラスへ。そのまま内部の人工エリクサーを持った状態で腕を引き抜く。

 これこそが、彼のスキル【幽星体アストラル】の能力である。


 「【解析】」


 間髪入れずの【解析】。このスキルは、同系統の【鑑定】よりも対モンスター向けの性能である。

 だが、道具に使えないわけではない。それが偽物か本物かを見分けるくらいはできるのだ。


 「やはり偽物か」


 トレーダーは偽物を投げ捨てると、今度はガラス張り部分の下、つまり台座へと腕を突っ込む。


 「【解析】……本物か」


 すると、偽人工エリクサーが入っていたビンよりも小さいビンを引き抜いた。

 これこそが、本物の人工エリクサーだった。


 「性格の悪さが透けて見える……いや、分かり切ったことだ」


 あの女研究者が、何を思ってこのような場所に隠したのかは分からない。ただ1つ分かることは、良い目的では決してないということだ。


 「諸星ソラ……」

 「トレーダーさん、それは……?」

 「私が追い求めていたものだが……もうこだわる必要はないだろう」


 トレーダーは、立ち止まることなくソラの元へ戻って来た。

 彼は足は悪いが、流石に瀕死の人間が待っているなら急ぐ。


 「……人工なれどエリクサーか、単なる幻想に過ぎないかは分からない。躊躇ためらいもある。迷っている。だが、私は止まらない。この行為を、止めることはない」


 本来、人工エリクサーを求めたのは、彼の相棒であり友人であるキャプチャーを救うためである。

 キャプチャーとて、いつ死ぬかは分からない。だが、今日明日ではないことは分かる。


 対して、ソラの命はいつだ? 数分後? 数秒後?

 どちらにせよ短い。トレーダーは、では優先順位を間違えない。間違えられない男だった。


 「借りは返すのが私でね。特に、命の借りは」


 あの女研究者の言っていたこと……【幽星体アストラル】を貫通できる光線は真実だった。今も煙を上げるトレーダーの身体が証拠だ。

 あの女研究者は人類史で見ても最高峰の天才であることは間違いない。


 今まで、アストラルと化した身体になってから傷を負ったことのないトレーダーだが、それは運が良かっただけだと考えている。モンスターやスキルの中には、常識外の化け物は数多く存在する。ならば、あの女研究者もその類だっただけのこと。

 ソラは確実に仲間を助けるために動いていた。その恩は返さなければならない。


 「口を開け――」


 ビンの蓋を開けようとした時だった。

 がトレーダーの頬をかすめた。灰色の煙がわずかに空気へと溶ける。

 それは無敵の防御スキルたる【|幽星体】がことを示している。悪寒と冷や汗の流れるような感覚、悪意ある存在の警鐘、生命の危機が、トレーダーの全身を駆けめぐった。


 「……」

 「これは……!?」


 背後で、何かが聞こえる。何かが収束するような、聞き慣れない、しかし嫌というほど耳にした音が。


 「――まさか!?」

 「ハァー……ッ! ハァー……ッ! こ、殺してやる! お前だけは!! お前達だけは!!!」

 「――生きていたのか」


 女研究者は、生きていた。

 その右手には、あの光線の前兆が渦巻いている。


 「貴女は爆散したはずですが」

 「クソド低能がァ! 爆裂の瞬間に分離したに決まっているだろう!? 死体確認もしないとは! お前達は探索者として無能なんだよォ!!!」


 まだ初心者のマコトはともかく、トレーダーは探索者としての才の無さをつくづく実感していた。

 死体確認は探索者として初歩的な行為だ。前線に立つことがなくなり、それすらも忘れ去ったのか。


 「いいか!? この距離なら絶対に外すことはない! 君のモヤみたいな顔をブチ抜いてやる! 次はそっちのモルモットだ! 最後にあのふざけた金髪を殺してやる!」

 「……」


 女研究者は全身傷だらけの満身創痍、もはや辛うじて白衣を身にまとっているような姿だ。だが、最後の力を振り絞っているのか、重心は全くブレていない。

 確かに、絶対に外すことはないだろう。撃てたら、の話だが。


 トレーダーは疲労困憊の中でも剣を取ろうとするマコトを手で制し、一歩前へ出た。


 「……君は、先程コモドドラゴンに噛まれたな?」

 「それがどうした!? もう奴はいない! おおよそB級探索者相当の強化された肉体を約12秒で溶かし尽くす超強酸で溶けて死んだ! すでに私からは毒も抜けている!」

 「そうだな。だが、私は言ったはずだ。君はもう助からないと」

 「何を――」


 女研究員が、転ぶ。

 何もないのに転んだわけではない。何者かに、引きずり倒された。


 「――お、お前はァァァァッッッ!?」

 「ジャラアアアアッッッ!!!」


 史上最強のコモドドラゴン、ドン。

 ドンは生きていた。驚異的な強酸のプールに浸かってなお、わずかに表面がただれるだけで済んでいた。

 ……【環境適応】のスキルが、強酸による溶解を拒んだのだ。


 「な、何故だ!?」

 「ジャアッ」

 「ぐあッ!?」


 咄嗟とっさに出した手すら、尻尾でされ光線がかき消される。ドンの体表にはまだ、強酸が付着していたのだ!


 「な、何故!? この私が……この私がァァァァ!!!」

 「君が、死体確認をおこたったからではないかね?」


 トレーダーは焦りから来る凡ミスだった。だが、女研究者も探索者の経験はなかったのだ。

 お互いのミスがカチ合った結果、たまたまトレーダー側に天秤てんびんかたむいた。それだけのこと。


 「や、やめろトカゲ! 私の頭脳は人類の至宝だ! ここで失ってはならいものだぞ!? もう私レベルの天才は地球上に生まれることはない!」

 「ジャア……」


 強酸を垂らしつつ、倒れた女研究者にのしかかるドン。ポタポタと落ちた強酸がその身を焼くが、それは死にはまだ遠い。

 だからこそ、確実に仕留めるために、ドンは女研究者の首に噛みついた。


 「合成超生物も人工エリクサーも! 全て私の功績だ! これらの発明は人類を新たなステージに押し上げるものなんだ! 人類から死が遠ざかる! もうダンジョンに潜らずとも機械や合成超生物にでも任せておけばいい!!!」


 ドンは人類ではない。コモド島で暮らす、若きコモドドラゴンだ。


 「地球環境も再生し、地球外惑星のテラフォーミングも容易になり人類が住める場所が増える!!! 絶滅動物の復元も生態系のコントロールも思いのままだ!!! なんだったら、こ、コモドドラゴンという種を頂点にえてもいい!! わ、悪くない話だろう!?」


 命乞いなど無駄だ。ドンは、顎に力をかけた。


 「あが……よせ……!」

 「ジィィィィ……」

 「そ、そうだ実験動物……いや! 虎の穴マコトと言ったな! 助けてくれたら君のモンスター因子を抜いて、性欲も普通に鎮静化させよう! どうだ、普通に生きやすくなれるんだ! まともな人間に、そうだ! 人間になれるんだ!!!」


 必死の無様な命乞い。

 魅力的な話かもしれない。だが、それでもマコトは揺らがない。


 「……悪いけど、ボクは今のままでいいと思ってる」

 「な……」

 「それに、ボクを作るような人間の言うことなんて、ちょっと信じられないや」


 彼女なりの命乞いも、にべもなく断られた。

 もはや彼女に残されたものは、死へのカウントダウンのみ。


 「あ、そ……そんな……!」


 パキパキと骨の砕ける音がする。


 「い、嫌だ! この私がこんなところで……し、死ぬなんて……!」


 涙腺が崩壊し、止めどなく涙があふれる。


 「た、助けてくれ! 何でもする! 死にたくない! 私は死にたくない!」


 力の入らなくなった下半身から、異臭のする液体が流れ出る。


 「やめて……嫌だ! 死にたく……!」


 もう、あとわずか、数秒で頭蓋までもが砕け――


 「こ、この私が……畜生ごときにィィィィッッッ!!!」

 「ジィィィィッッッ!!!」


 バキャッ。

 血肉と骨片、そして天才の脳漿のうしょうが不快な音と共に飛び散った。

 人を人とも思わない冷血の女研究者は、死んだ。


 「……さようなら。貴女を母と呼ぶべきかは迷うけど、この世に生み出してくれたことは感謝してます」

 「……」

 「ジャア」


 死体確認も、済んでいる。



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