永遠の死に祝福を

花野井あす

1


 神さまは実に優しい罰をお与えになったものだと思う。


 ひとが塔を建てて神に挑戦したとしても、ひとを完全なる「死」へ送ることはなかった。ひとの罪を背負ったはずのイエス・キリストは本当の「死」を迎えることはなかった。

 

 然し此処「機械ネズミの古物店」は真の墓場である。完全なる「死」を待つものたちの安置所なのだ。


 何百年も前の誰が描いたのかも判らぬ絵画や数年前に無名の作家の書いた小説――誰の記憶にも留まることのなく「生きたまま死を待つ」ものたちばかりが詰め込まれている。此処で誰の心も掴めなければ――其のものたちは真の意味での「死」を迎えることとなる。

 

 此の「機械ネズミの古物店」には、名前の通り機械仕掛けの白いハツカネズミが居る。街の人々は親しみを込めて、其の姿形の変わることのない其の看板ネズミをこう呼ぶ。「不変イーサン」と。


 此の機械ネズミは実に精巧に造られている。イギリス紳士のように淑女の手にキッスをし、滑らかな上流階級の発音で挨拶をする。街の人で彼を知らぬものはいなかった。

 

「ふむ。困ったものだな。」

 

 イーサンは呟いた。店の前に、小さな自殺願望者が細い両足を抱えて座り込んでいるのだ。名は知らない。みすぼらしい身なりから、あまり良い家庭環境では無いであろうことは容易に想像できた。ふわふわの栗色の髪をした其の少年は未だ十にも満たぬであろう、丸みのある顔立ちをしている。イーサンは彼を如何様にすべきかと頭を悩ませた。

 

「少年、こんなところで何をしているんだい?」

 

 機械ネズミが尋ねると、少年は実に分かり易く驚いた様子で目を剥き、機械ネズミをじっと見つめ返した。そして周囲をきょろきょろと見渡し、此の機械ネズミに音を吹き込んでいる誰かを探した。此の精巧な機械人形を彼は知らないらしい。きっと最近越してきたものなのか、この街へ何らかの用事があって訪れた余所者であろう。

 

「少年、少年。私の魂は此処にある。プログラムされたものだがね。マイクを通してスピーカーへ音を送るなんて、そんな不躾なことはしやしないよ。」

 

 ピンク色の小さな鼻で少年を突くと、機械ネズミはひょいと少年の膝の上へ飛び乗った。器用に後ろ脚で立ち、機械ネズミはぺこり、とお辞儀をした。

 

「こんにちは、少年。私はこの店の看板ネズミのイーサンだ。」

 

「本当にお前が喋っているの……?」

 

 掠れた声を押し出して、少年は言った。まじまじと機械ネズミを見て、未だに信じられないという風にネズミの頭を突いた。彼は何日もシャワーを浴びていないようで、霜焼けで少し赤くなった肌は薄汚れ、体中からつんとした酷い臭いがする。何処かで転んだのかもしれない。ネズミの乗っている場所は泥にまみれていた。

 

「ぼくは……ジョンっていうの。」

 

「そうかい、ジョン少年。こんなところで何をしているんだい?」

 

「……家出。家へ帰りたくないんだ。」

 

「そんなこともあるだろうさ。でもこんな処に居たら、風邪をひいてしまうよ。今日も雪が降るだろうからね!」

 

 然し行く当てのないジョンが入れる場所もなく――ジョンは機械ネズミをぎゅうと抱きしめて、自分の脚に顔をうずめた。昨晩からこのあたりは酷く冷えるのだ。辺り一面は銀世界となり、自動車やひとの通る場所だけ、僅かにコンクリートが顔を覗かせている。機械ネズミに体温は無く暖を取ることは叶わぬが、一人寂しいという心の冷えを多少なりとも解消することは出来た。


 ジョン少年の腕の中に閉じ込められた機械ネズミは慌てて腕の隙間を縫って外界へ出て言った。

「こらこら、少年。こんなところで眠ってはいけない!私の店へお入りよ。」

 

「……店?」

 

「後ろにあるだろう。ごらんよ!」

 

 ジョンは目を瞬かせ、後ろへ振り返った。其処には小さな店のような場所が在って――「機械ネズミの古物店」と書かれた看板を下げていた。

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