第3話 疑惑の巣窟
「やはり、堂珍が友枝殺しに関わっているのでしょうか」
緩やかにステアリングを切りながら、内海巡査長がぼやくように言った。開いた車窓から吹き込んでくる風が、センターパートの前髪を揺らしている。
「今の段階じゃ、その予想に結論は出せないな。例のDVDが置かれたタイミングから見ても、無関係ってことはなさそうだが」
「東凰会と極左組織、どちらかが友枝殺害に一枚嚙んでいると思いますか」
「どうだろうな。殺し方は一見するとヤクザらしいが、単に友枝の存在を抹消したいだけなら河川敷なんて目立つところに遺体を放置しない。近くに海があるんだから沈めることもできたし、山に埋めたっていい。なのに敢えて人目に付く場所に遺棄したのならば、友枝殺害は見せしめという可能性もある」
「見せしめ……って、誰に対する?」
「さあな」
「犯人が堂珍に友枝殺しの罪を着せたいだけなら、警察に匿名で『友枝殺しのホシは堂珍だ』と告げればいいだけです。わざわざDVDに映像を焼いて警察署に届ける手間を踏んでいるあたり、犯人は堂珍と小林誠和不動産の関係性を警察に印象づけたいのでしょうか」
「そこは同意見だな。そもそも友枝殺害を隠蔽するだけなら、わざわざ元国会議員に罪を擦り付ける必要もない。ましてや裏で東凰会や極左と繋がっているような人物だ。犯人には、警察に堂珍を探ってほしい理由があるのかもしれない」
ふと、時也は口を噤んだ。右手の人差し指で唇を撫でながら、窓の外に視線を投じる。
「先輩、どうかしましたか」
本部庁舎を離れると、内海は時也を「先輩」と呼ぶ。階級は時也が上だが、二人の年齢は一歳差しかない。バディで動くことも多いため、程よい距離感を保つ意味で庁舎外では役職呼びをしないと心がけているのだ。
「所轄の警備課にいた頃、仲村組のフロント企業に潜入したことがあったんだ」
「仲村組って、東凰会から分裂した組織ですよね。たしか元幹部の男が、東凰会の理念に反発する仲間をいくらか引き抜いて結成したとか」
「ああ。花巻大介という血の気の多い男だ」
「仲村組はなぜ東凰会と分裂したんですか」
「物凄くかみ砕いて言えば、方針の不一致だな。当時の花巻は外国ルートの麻薬取引に力を入れていて、同時にその頃は全国の警察組織が麻薬関連の事件に目を光らせていた。ちょうど外国人観光客が伸びしろの時代だったが、一方で観光旅行を名目に外国から麻薬や銃器を密輸入し、国内で違法売買する連中も増え始めたのさ。そんな最中に花巻は、アジア方面から麻薬をせっせと日本に運び入れていた」
「サツやマトリの摘発を恐れた東凰会が、花巻のやり方を非難したわけですね」
「その中でも、当時の会長は大激怒さ。会長はもともと慎重派でサツの目を上手く誤魔化しながら商売していた。だからこそ、花巻のビジネスは目に余るものがあったんだろう」
「会長やほかの構成員がいくら慎重になったところで、花巻が派手にやらかしてしまっては巻き添えですからね。先輩が潜入したのは、花巻が東凰会を離脱してからの話ですか」
「ああ。仲村組が結成されてから数年後、組のフロント企業が経営する店舗で違法カジノの容疑がかけられた。仲村組はカジノ以外に風俗店営業にも手を広げていたんだが、これが上手くやっていてな。ぱっと見ではそれと判別できないよう、カジノ店は遊技場やダンスパブ、風俗店は整体院やカラオケボックスとしてちゃんと営業許可を得ているんだ。表から見える従業員も正規の手順で採用した人たちで、一見客はまさかそんな店とは思わずにふらりと足を踏み入れてしまう」
「たしかに上手いやり方ですね……ですが、それなら保安課や組対の案件では?」
「カジノの現場を押さえるのは、あくまで表向きの目的だったんだ」
「と、いいますと」
「当時の警備課では、仲村組のフロント企業を隠れ蓑にしてある極左組織が定期的に会合をしているという情報を掴んでいた」
「なるほど。その会場が例のカジノを経営する店だったんですね」
「ご明察。まあ、結果は残念ながら空振りだったけど」
赤信号に近づき、内海は静かにブレーキをかけた。車が完全停止したところで時也の横顔をちらりと見て「どうして?」と目で問いかける。
「異変を察した仲村組がターゲットに情報を流したんだ。『ハムの連中がガサ入れに来るぞ』ってな。会合は頻繁に行なわれていて日時にも規則性があったから、ガサの日を決めるのは容易かった。スジの運営にも抜かりはなかったし、こちらの動きが勘付かれている様子もなかった。にもかかわらず、当日の会場はもぬけの殻だった」
当時、仲村組に潜入していたスジは警視庁を辞めたフリーライターの男だった。警官時代からコミュニケーション能力に長けていて、どんなに警戒心の強い相手でも五分経てば互いの思い出話に花を咲かせるほどに打ち解ける。まさに話術と雰囲気作りの達人だ。
「彼のおかげで、俺たちの手中には次々と有益な情報が流れてきた。あいつは話し上手であると同時に岩のように口が堅い男だったから、スジから情報が漏れている可能性は極めて低かったんだ」
「でも、実際は組織側に筒抜けだった」
「ああ。そのときのことを、ふと思い出したんだ。極左右集団や宗教組織が暴力団と裏で手を組むケースは昨今増えてきている。今回の件も、もしかすると」
「東凰会と極左組織が、ですか。だとすれば厄介ですね。互いの利害が一致した上で共同戦線を張っているのだとすれば、公安だけでどこまで太刀打ちできるか」
「そうだな。だが、あのときの二の舞にはならない――必ず掴んでやる、連中の尻尾をな」
立浜市K区富屋町の大通り沿いに構えた、十三階建ての高層ビル。丹念に磨き上げられた窓は流れる雲を映し出し、堂々とした風格を醸し出している。小林誠和不動産の本店は実に立派なものだが、駐車場に停まる車は数台のみで閑散としていた。正面玄関に近づくと自動ドアは固く閉ざされ、「本日は閉業しています。ご用件のある方は裏口の警備室へ」の立て看板がガラス越しに置かれている。
看板の指示通り、駐車場をぐるりと回り建物の真裏に向かう。「関係者以外立ち入り禁止」の紙が貼られた扉を開けると、すぐ左手が警備室だ。制服の帽子を脱いだ白髪頭の男が、熱心に書き物をしている。
「すみません。県警本部の新宮と申します。こちらに勤めていた友枝雅樹さんの上司にお会いしたいのですが」
内海巡査長も小さく会釈をし「同じく内海です」と手帳を見せる。白髪の警備員は二人の顔と手帳をしばらく凝視してから、固定電話の受話器を取った。
「もしもし、警備室です。警察の方がお見えですが」
ええ、はい判りましたと言って受話器を置く。「そこから上がってください。七階の営業部にいますよ」と小窓から指を突き出した。礼を述べて黒塗りのエレベーターに乗り込み、目的の階までノンストップで上がる。
七階の営業部室は、パーテーションで三つのエリアに区切られていた。二人が部室の入口に立った瞬間、真ん中のエリアから黒い頭がひょこりと飛び出る。
「警察の方ですね。私、営業二課長の大村泰明と申します」
小走りで駆け寄った男は、さっと名刺を差し出した。
「恐れ入ります。本日は友枝雅樹さんの件で参りました。できれば落ち着いて話せる場所がよいのですが」
大村と名乗った男は、「ではあちらの会議室で」と部屋の奥を手で示した。パーテーションの隙間からは社員らしき姿がちらほらと見え隠れし、時折受話器を下ろす音や盛大な溜息が聞こえる。マスコミの執拗な取材申し込みや嫌がらせ電話の対応でもしているのかもしれない。
「友枝の件は、何と言いますか、非常に驚いています」
会議室の扉を閉めたと同時に、大村は嘆息する。
「お察しします……大村さんは、友枝さんの直属の上司なのですか」
「ええ。友枝は営業二課で主に企業相手の不動産営業を担当していました」
「営業部は三課まであるのですね。それぞれどんな業務を?」
聞き込みにおいて、いきなり事件の核心に迫る手法は推奨されていない。まずは世間話や相手が精通している分野の話題でワンクッションを挟む。そこから少しずつ本題に舵を切っていくのだ。
「一課は顧客情報の管理や書類作成などの営業事務を、二課と三課は営業を担当しています。二課は企業や法人相手、三課は個人向けの対応がメインですね」
「企業や法人相手というと、どのような業界の人たちが多いのでしょう」
「それはもう幅広く。多くは自分の店を開きたいというお客様が占めていますが、ショップやレストランなどの小売業から法曹関係の事務所、学習塾や保険会社……様々ですね。中には会社の倉庫として借りる方もいらっしゃいます」
「なるほど。多業界の人たちとお知り合いになれる仕事なのですね」
「そうですね。我々営業にとってはそこが仕事の面白い部分でもあります」
「友枝さんが最近担当された顧客には、どんな業界の方がいらしたのですか」
質疑にテンポよく応じていた大村が、初めて言葉に詰まった。時也の質問が顧客のプライバシーに当たるのか判断に迷っているようだ。
「大村さん、ここであなたがお話したことは他言無用。情報が外部に漏れる心配も不要です。これは殺人事件の捜査ですので、できる限り協力いただきたい」
時也の説得に、営業課長は咳払いを一つして「では」と口を開く。
「友枝は生真面目で礼儀正しく、また秘密主義な一面がありました。同僚と必要なコミュニケーションは取りますが、必要以上のことは話さない。寡黙な印象を抱く社員もいたようですが、そこが顧客に安心感を与えていました。そんな友枝を信頼し、法律家や保険会社など秘密厳守を特に重んじる業界人の顧客がわざわざ彼を指名して契約を結ぶこともあったほどです」
「なるほど。私も部屋を借りるときは、生前の友枝さんにお願いしたかったですね。警察官も情報漏洩には敏感な職業なので」
「警察官といえば、元警察官という興味深いお客様もいらっしゃいましたね」
ここでの会話が外に漏れることはないと安心しきったのか、大村の口は先ほどより緩くなっている。
「たしか、警官を辞めて今は探偵をしているとか。歳はまだ若かった気がしますけど……小説なんかでは、警察が民間の探偵さんにこっそり仕事を依頼する場面もありますけど、もしかして現実の警察官にも探偵の知り合いがいたりするんですか?」
好奇心剝き出しの質問を、時也は笑いながら「まさか」とかわした。内海が何か言いたげに一瞥してきたが、知らぬふりをする。
「興味深いといえば、風の噂で聞いたのですがお宅の会社に興味深いお客様がいらっしゃるとか」
時也は彼の顔をまっすぐ見つめながら、左手の小指を右の掌で隠す仕草をする。それまで笑顔を浮かべていた大村の口元が引きつり、額にはうっすら脂汗が滲みだした。
「それは……その……まさかうちに限ってそんな」
大村の動揺ぶりは、見ていて憐れなほどわかりやすかった。メモから顔を上げた内海刑事が「いるんですね?」と静かに問いかける。
「大村さん。先ほどもお伝えしましたが、これはあくまで殺人事件の捜査です。仮にこの会社に裏社会の人たちとの繋がりがあったとしても、今回の捜査でお宅に調査が入ることはありません。むしろ、事実を隠し虚偽の供述をすることで罪に問われる場合があります」
口調はいたって柔らかだが、内海の言葉には落とし穴がある。彼女はあくまで「友枝雅樹殺人事件の捜査」において小林誠和不動産はガサ入れの対象外と言っているのであって、別件で家宅捜索する可能性は十分にあるのだ。だが、核心を突かれて焦りが生じている大村はその落とし穴に気付いていない。乾いた唇を舌で湿らせると、意を決したように「実は」と切り出した。
「詳細は把握しかねますが、そういう系列の人たちがうちの会社に出入りしているのを数回見かけました」
「その人たちの具体的な情報はわかりますか。所属している組織とか、何か目立つ特徴があったとか。何でもいいんです、思い出せることがあれば」
ソフトな声色で問いを重ねる内海は、まるでカウンセラーだ。自動車警ら隊時代は検挙率が署内で常に三本指に入っていたというが、それも相手から自白を引き出す技術の高さ故かもしれない。
内海の問いにしばらくうんうんと唸っていた大村は、時也の腕時計で秒針がきっかり一周した瞬間に「そういえば」と顔を上げる。
「こめかみに刺青がありましたね。たしか……〈Y〉」
「ワイ? アルファベットですか」
繰り返す内海に、大村は「ええ」と頷く。
「社内のエレベーターで、一緒になったんです。大柄な男性でいかにもそれらしい雰囲気でしたのでなるべく距離をとっていたのですが、何しろ狭い空間なので……ええと、たしか私の左に立っていましたので、右のこめかみですね、そこにアルファベットのYの刺青がありました。そこまで大きな刺青じゃありません。直径で五センチもなかったんじゃないかな」
「シミとか痣ではなく、はっきり刺青と判ったのですか?」
「シミや痣にしては、ペンで書いたようにくっきりしていましたから」
大村はチラと腕時計に目を落とす。さりげない動きだが時也は見逃さなかった。
「ご多忙の中、お時間いただきありがとうございます。また何か思い出したことがありましたら、いつでも構いませんので県警までご連絡ください。私か内海の名前を出せばすぐお繋ぎしますので」
「はあ……いやしかし、まさか自分が警察の事情聴取に応じることになるとは」
「しばらくの間は警官が入れ代わり立ち代わり聞き込みに来るかもしれませんが、早期解決のため尽力いたしますのでお力添え願います」
「同じことしかお話できませんが、友枝の命を奪った犯人が捕まるのなら何でも協力しますよ」
快い返事をもらい、時也と内海は小林誠和不動産を辞した。友枝の同僚にも話を訊きたかったが不在だった。そもそも今日は出社日ではないため、まともに話を訊く相手は大村くらいしかいなかったのだ。
「堂珍仁のこと、突っ込んで訊くべきだったでしょうか」
女刑事は目を細めながら、疑惑が漂うビルを見上げている。
「訊いたところで誤魔化されて終わりさ。マル暴のことですらあんなに情報を出し渋ったくらいだし、堂珍のことは口が裂けても漏らさないよう緘口令が敷かれているはずだ」
「マル暴といえば、例の刺青。どこかの組織で使われているシンボルか何かでしょうか」
「あるいは、メンバー個人を表す目印かもしれないな。例えば、幹部以上のメンバーに役員であることの証として彫った刺青とか」
「そういえば落合先輩、昔は組対部にいたんですよね。もしかして何か知っているかも」
業務用の携帯電話で、早速連絡を取る。気になったことはすぐ調べないと気が済まない性分らしい。
「はい、はい。そうです、アルファベットのY……ええ……はい、はい……そうですか、わかりました。ありがとうございます」
通話を終えた内海は、真顔のまま首を振る。
「落合先輩も、心当たりはないそうです。アルファベット一文字だけの刺青なんて、抽象的すぎて絞りきれないと」
「まあ、まだマル暴と確定したわけじゃないし、できて間もない組織だったら把握のしようもないからな」
「それもそうですね。ところで、これからどうしますか。そろそろお昼になりそうですけど」
腕時計は、十一時三十分を指している。時也は数秒ほど考え込んでから、
「少し調べたいこともあるし、昼飯も兼ねて別行動にするか。
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