光をはらむ沼

 エイスの城下街を出て、森を歩くこと三日。

 かたむき落ちた陽の名残りはすでになく、深い夜が森全体に浸みている。



「ここなのか?」



 ラトスは足を止め、辺りをうかがった。

 生い茂った森の只中に、木も草も生えていない地面が広がっている。その広場の中央には小さな沼があり、水面に星月の光をたたえていた。


 土と石と沼しかない、ひどく不自然な光景。しかし殺風景というわけではない。奇妙なことに、土と石の中にはかすかな光を放つものがあった。月明かりの反射かと思ったが、どこか違う。近付いて手に取って見ると、自らの力で光を放つ砂粒が混ざっていた。それらが広場全体に散りばめられていたので、ラトスの目には夢か幻を映しだされているように見えた。



「ええ。間違いありません」



 メリーの目が大きく開かれる。ゆっくりと沼のほとりまで歩き、くるりと回ってラトスを見据えた。


 静まりかえった、森の底。

 鳥や獣の気配はあるが、すべて息を殺しているように音を立てていない。聞こえてくるのは、吹き流れてくる風が草葉をゆらしての囀りのみ。



「それならもう一度、王女が消えた瞬間のことを話せ。できれば、消えたその場所から一寸もずれずに再現しろ」


「良いですけど、ものすごく上から目線の言い方ですね?」


「身分を別にすれば、お前は俺に、同行を願い出た立場だろう」


「……はーい。仰る通りですねー」


「態度が悪いな」


「どっちがです?」



 メリーが苛立った表情でラトスをにらむ。しかしやがて諦め、王女が消えた当時の状況を説明しはじめた。


 メリーの話す、王女が消えたときの状況は実に奇妙なものだった。

 王女とメリーは、ラトスと同様に占い師から助言を得ていた。森に入り、沼へ辿り着き、教えられた通りの合言葉を唱えた。その直後、王女だけが光に包まれて消えたという。



「合言葉を言ったのは、王女だけか?」


「……そうです。私は周囲の様子を見ていて」


「なるほどな。それで? 王女が合言葉を言った場所っていうのが、今メリーさんが立っている場所なんだな?」



 ラトスはメリーの足元を指差す。メリーがうなずくと、ラトスは腕組みしてしゃがみ込んだ。

 王女が消えたという場所だけが、真っ暗になっている。広場全体に光る砂粒が散りばめられているのに、メリーの足元だけ円を描いたように光る砂粒が失われていた。



「王女が消えたときも、ここだけ光がなかったのか?」


「まさか!」



 メリーが驚きの声をあげ、足元に目を向ける。今の今まで、自身の周囲の地面から光が失われていることに気付いていなかったらしい。



「ここはひときわ光が強そうな場所でした。だからここで、と」


「そうか」



 となれば王女が消えたと同時に、光る砂も消えたのだろう。

 メリーだけが残されたのは、合言葉を言わなかったからか。それとも王女だけが選ばれたのか。光による目暗ましを利用しての誘拐にせよ、摩訶不思議な神隠しにせよ、こればかりは試してみなければ分かりそうもない。



「よし。いくつか試してみよう」


「試す?」


「そうだ。まず、この光がない場所で、あの合言葉を言ってみよう」



 ラトスは王女が消えたという場所を指差す。

 少しの間を置いて、肩をすくめたメリーが小さくうなずいた。



「俺は周囲を警戒しておく。メリーさんは王女と同じようにして、合言葉を言うんだ」


「私だけ、ですか?」



 不安そうな表情を浮かべたメリーが、ラトスの顔をのぞき込む。

 ラトスはメリーから視線をはずし、沼と、広場を囲む森に目を向けた。今のところ、人の気配らしきものはない。



「どんな手品で王女様が消えたのかわからない。誘拐の可能性もある以上、出来るだけ警戒しないとな」


「……わかりました」


「じゃあ、頼む」



 背を向けたラトスの言葉を受け、メリーがしゃがみ込んだ。四つ這いになり、真っ黒の土へ顔を近付ける。ラトスはメリーの様子を確認してから、森の中をにらみつけた。同時に、そっと腰の短剣に手をかける。


 未だ、人の気配を感じない。

 万が一誘拐犯が息をひそめていたとしても、人数が多いことはないだろう。数人程度ならば、ラトス一人でも制圧できる自信があった。



「……≪パル・ファクト≫!」



 ラトスの背に、メリーの大きな声が届く。どこの国の言葉なのかも分からない、変な合言葉だとラトスは思った。占い師の男が「古語」だと言っていたが、本当にそうなのだろうか。ひびき渡った声に首をかしげながら、ラトスはメリーに視線を戻した。


 特に何かが起こる気配はない。

 静けさを取りもどした沼のほとりに、奇妙な言葉を叫んだ少女が恥ずかしそうに立っているだけだ。



「……何も、起こらないですね」


「そのようだな」


「ちょっと……恥ずかしいのですが」


「そうだろうな」



 首をかしげるメリーの肩に、ラトスはとんと手を乗せる。



「何も起こらない気はしていた」


「……え!?」



 メリーの目と口が、ラトスに向かって大きく開く。次いで頬を紅潮させ、「じゃあ、どうしてやらせたんですか」と喚きだした。思いのほか、恥ずかしかったらしい。しかしラトスはメリーと取り合わず、彼女の足元と周囲の状況に目を向けた。

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