第6話「ピンチ(?)はチャンス」
朝起きてなんとなく自分の配信アカウント『魔術師アンジュの配信チャンネル』を確認したら、チャンネル登録者数が十万人になっていた。
「???」
ちょっと意味がわからない。
寝ぼけ眼をこすりつつ携帯端末を弄り、ネットの海を
端的に言おう。
アンジュの昨日の配信が超バズった。
切り抜きとかネットニュースとかで「最上級ダンジョン『騎士王の居城』を史上初めて魔法使いがソロで攻略!」などと紹介されたらしい。
「……魔法使いじゃなくて魔術師なんだけど……チャンネルにも魔術師って書いてるのに……」
と口では文句を言っていたが、にまにまと笑顔が抑えられなくなっていた。
気分上々のまま登校して、前の席の友人、ビアンカに突撃する。
「これ! ねえ、これ! あたしのチャンネル!!」
携帯端末の画面に自分のチャンネルを表示し、押しつけるようにビアンカの顔の前に持っていく。
するとビアンカは鬱陶しそうにアンジュの端末を手で払いながら、
「……知ってる」
「数字! 登録者数がっ!」
「だから知ってるって。昨日、ウチも見てたから」
「え、そうなの? あ、ありがと……」
知り合いに見られていると思うと、ちょっとだけ恥ずかしくなってしまう。……が、別に恥ずかしい配信をしているわけではない、むしろ魔術を格好良く使っているのだと思い直し、堂々と胸を張った。
「凄いでしょ!」
「はいはい凄い凄い」
「これでみんな、魔術の素晴らしさに目覚めてくれたわね!」
「それはどうだろうな……」
「え?」
ビアンカの反応にアンジュが首を傾げると、茶髪の少女は自身の携帯端末に目を落としながら言う。
「『オリジナル魔法が凄い』『最上級ダンジョンのモンスターを易々と蹂躙する』『最上級ダンジョンをソロで魔法使いが攻略した』……ってのが半分」
「?」
「お前のチャンネルの評価だよ。ちなみにもう半分は『可愛い』『美少女』『声が綺麗』『良い匂いがしそう』って感じ。……キショいのが混ざってるけど、これでもマイルドな表現だぞ」
「……ええっと」
ビアンカが読み上げたものを頭の中で反芻し、アンジュはようやっと気付いた。
気付いてしまった。
つまり。
「……魔術が評価されたわけではない?」
「そうだ」
「……未だに魔法だって思われてるし、半分はあたしの容姿が注目されたってだけ?」
「そうだぞ」
「……………………、」
ビアンカがなぜか両手で耳を覆った。
アンジュは目の前が真っ暗になった。
そして、ふつふつと湧き出してきた思いのままに、口を開いた。
「ふっっっっっっっっっっっっっざけんなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッッッ!!!!!!」
◆ ◆ ◆
頭の中がぐるぐるする。お腹もぐつぐつ煮えている。視界がぐにゃぐにゃマーブル模様。
とんでもなく酷い悪夢を見た後のような心境のアンジュは、ふらふらとした足取りである場所まで歩いた。
高等部の校舎の裏から抜けて、不思議な色の木々が作る森の小道を辿っていくと、しばらくして開けた場所に出る。そこは名も知らぬ真っ白な花が作る花畑になっていて、アンジュのお気に入りの休憩スポットなのだ。
無駄に広大なシュプレンゲル魔法学園の敷地には、このような「誰も知らない秘密の場所」がいくつも存在する。物語に出てくる魔法学園にも劣らない「不思議」が色々とあるのだ。森の中の花畑は、その一つである。
しばらくの間、アンジュは花畑の中心で体育座りをして、空を見上げていた。
「……、」
と、チャイムの音がかすかに聞こえてくる。
昨日に続いて、今日も授業をサボってしまった。
単位のことを考えると、ちょっと不味いかもしれない。
……けれども、とてもではないがまともに授業を受けられる心境ではなかった。
「はあぁ……」
大きく溜息を吐き出して。
アンジュは痺れる頭をゆっくりと動かし始める。
(……たくさんの人が見てくれるようになったのは、確かに良いことだけど)
しかし、視聴者が注目したのは別のものだ。
「魔術」をきちんと認識してくれたわけではない。
彼らはアンジュの魔術を「オリジナル魔法」だと思っている。
……オリジナル魔法としてなら、ずいぶんと褒められている。でもそれでは駄目だ。「魔法」ではなく「魔術」を自分も使えるようになりたいと思ってもらえなければ、意味がない。
(……どうして、みんな「魔術」だと理解してくれないんだろう)
やり方が悪いのだろうか?
アンジュの伝え方が下手くそなのだろうか?
……きっとそうなのだろう。
でも、どこが悪いのか、どう治せば良いのか、アンジュにはわからない。というかまだ頭が上手く回らない。ショックが大きすぎて。
と。
不意に、足音が耳に入ってきた。
顔を向けると、中等部の制服を着た少女がこちらに歩いてきていた。
ふわふわの若草色の髪が特徴的な少女。その優しげな翡翠の瞳がアンジュに向けられている。
「……ナディア」
「はい、先輩」
二学年後輩の少女、ナディア・ヴェルディエは柔らかく微笑み、アンジュの隣に腰を下ろした。
「……スカート、汚れるわよ」
「先輩こそ」
「あたしは良いのよ。魔術で綺麗にできるから」
「わたしも洗浄の魔法を使うので、問題ないです」
ふわりと微笑むと、ナディアはお尻を動かして少しだけアンジュに近づいた。
拳一個半の距離。
花の匂いに混じって、少女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
以前「ナディアってメロンみたいな匂いがするわね」と言ったら眉を八の字にして困ったような顔をされたことを、アンジュはぼんやりと思い出した。
「先輩。その座り方だと、角度によってはスカートの中が見えちゃいますよ。ここの制服のスカート、短いんですから」
「誰も見てないから良いでしょ」
「わたしが見ちゃいますよ」
「別にわざわざ見るものでもないでしょ」
「……、…………」
ナディアはなぜか何も言わなかった。
切り替えるように、あるいは誤魔化すように咳払いをしてから、ナディアは問いかけてくる。
「なにかあったんですか?」
「……、なにもないわよ」
「先輩がここに来るのは、なにか嫌なことがあって落ち込んでしまったときです。今も、なにかあってここに来たんですよね?」
ナディアとの出会いは、アンジュが中等部三年に転入してすぐのこと。二年経った今、この後輩はビアンカと同じくらいアンジュについて詳しい。
だから、こんなことを言われても驚かなかった。
「先輩、ダンジョン配信始めたんですね」
「……え、なんで知ってるの!?」
訂正、やっぱり驚いた。
「ビアンカから聞いたとか……?」
「レッチェルト先輩からではありませんよ。たまたま見つけたんです」
「そ、そう……」
ネットニュースにもなってしまったから、教えられなくても気付く可能性は充分にある。
アンジュがそう納得していると、ナディアはくすりと小さく笑いを零して、
「わたし、最初の配信の時から見ていたんですよ? コメントもしています」
「え、ホント?」
「本当です。ふふっ」
なんと、ナディアは古参視聴者だったらしい。……いや、まだ二回しか配信していないから、古参もなにもないけれど。
「先輩は凄いです。最上級ダンジョンのモンスターを一人で倒してしまうんですから」
「……凄くなんかないわよ。魔術師なら、あれくらいフツーよ、フツー」
それに、自分の強さを見せつけるために配信をしていたわけではない。
魔術の素晴らしさを広めるために、魔術を使うことに憧れてもらうためにやったのだ。
だから、強さを褒められて注目されても、嬉しくはない。
「先輩は、どうしてダンジョン配信を始めたんですか?」
ナディアの問いに、アンジュは簡潔に答えた。
「魔術を知ってもらうため」
「どうして魔術を知ってもらいたいんですか?」
「魔術を知ってもらって、魔術を使うことに憧れてもらうため。……魔術師の数を増やすためよ」
「なるほど」
ナディアは小さく頷いた。
それから澄み切った瞳でアンジュの左右異色の目を覗き込むと、アンジュの心の内を暴くように言葉にした。
「だから、他の要因でバズったことに、拗ねてしまったんですね?」
「……、」
素直に認めるのはちょっと抵抗があるけれど、それが事実だ。
十秒ほどの沈黙の後に頷くと、ナディアが小さく吹き出すように笑った。
じとっとした目を向けると、ナディアは「すみません」と謝ってから、
「相変わらず先輩は可愛いですね」
「馬鹿にしてるの?」
「まさか! 先輩が魅力的だという話ですよ」
ナディアの優しげな微笑みに、アンジュは毒を吐くことができなかった。
アンジュは膝を抱く腕の間に頭を落とす。視界の端で銀髪がさらりと流れた。
「先輩。配信活動で一番大変なのがなにか、わかりますか?」
「……、」
ナディアの問いかけに、アンジュは少し頭を悩ませてから考えを口にする。
「好きなことで売れること?」
「それは確かに大変なことですが、そうではなくてですね」
「これは自論ですが」と前置きしてから、ナディアは答えを言った。
「見てもらうこと、です」
「……、」
「見つけてもらうこと……と言い換えても良いですが、要は『配信に視聴者を集めること』が一番大変で、そして一番大切なことです」
見てもらわなければ、評価されない。
誰も見ていなければ、伝えたいことも伝わらない。
動画をクリックしてもらうこと――その第一歩が最も大変なことだと、後輩の少女は断言した。
「それは……確かに、そうなのかも」
今の時代、ダンジョン配信だけに絞っても、配信者は十万人を超えると言われている。
そんな飽和時代に、自分の配信をクリックしてもらうことが、どれだけ難しいことか。
「でも先輩は、その一番難しい一歩目を、大ジャンプで越えてしまいましたよね?」
「――、」
ナディアの言葉に、アンジュは今自分がどれだけ奇跡的な状況にあるのかを、朧気ながら理解し始めた。
「先輩は今、注目の的です。新人配信者が一番苦労するはずの『自分を見つけてもらう』ことが、一足飛び気味に達成できたんですよ。……それが先輩の望んだものに
「……そうね」
普通なら、誰にも見てもらえないまま何日も何週間も、下手をすれば何年も燻っていた可能性すらあったのだ。
それが何の因果か、一気に注目を集めることに成功した。
ならば、落ち込んでいる暇などない。
アンジュは顔を上げ、立ち上がる。
「注目されている今がチャンス。どんな理由であれ人の目が向いているんだから、今こそ魔術の素晴らしさを見せつけて――魅せまくってやるのよ!」
アンジュは大きく息を吸って、鬱々とした気分を吹っ飛ばすように叫んだ。
「それでこそ先輩です」
ナディアが嬉しそうに――あるいはどこか眩しそうに微笑んだ。
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