第3話 式鬼
「安倍晴明……?」
思わず、少女の名前を口にする。
安倍晴明。少女は間違いなくそう言ったのだ。
映画など多数の創作物の題材にもなっている程の有名人。稀代の天才陰陽師であり、数々の逸話を遺し、十二神将を式鬼として使役する、正真正銘最強の陰陽師。
しかし、おかしい。雪緒の知っている安倍晴明は男のはずだ。歴史の教科書にだって男性として描かれている。
史実とはいえ、それを実際に見てきた訳では無い雪緒にとって、安倍晴明が男であったかどうかなど判断のしようがないけれど、雪緒や世間の常識として安倍晴明は男だ。
少女を少しだけ胡散臭いと思い、懐疑の視線を向ける雪緒。
「なんだその目は?」
「いや……本当に、安倍晴明?」
「そう言うておろう」
「でも……」
「でも、なんだ?」
「俺の知ってる安倍晴明は、男だったような……」
雪緒がそう言った直後、晴明はその綺麗な双眸を薄めて雪緒を睨みつける。
「私の、何処を、どう見て、男だと思うのだ?」
冷たい視線に威圧的な声音に、思わず雪緒はたじろぐ。
「ど、何処をどう見ても、綺麗な、女性です……」
「ふんっ。戯言は好かん。次は無いと思え」
不機嫌そうに鼻を鳴らす晴明。元々不機嫌そうだったのが、更に不機嫌になり話しかけづらい事この上ない。
まだ彼女の正体については半信半疑だけれど、彼女がそう言うのだ。信憑性は無いけれど、嘘を吐いているという確証もまた無い。
なにはともあれ、現状を整理すると次の一言に尽きる。
「俺、タイムスリップしちゃったのか……?」
実際には有り得ない話。けれど、実際に目の前でその有り得ない光景が広がっている。
ドッキリの可能性もあるだろうけれど、日本でこんなに手の込んだドッキリをするとは思えないし、腕が吹き飛ぶなんて最悪トラウマになりかねない事はしないだろう。
現実的ではない事だけれど、現状を思い当たる言葉を持って現実的に考えるのであればタイムスリップをしてしまったというのが一番あり得る話だ。
「頭の整理はついたか?」
「一応……まだ全然半信半疑だけど」
「ふむ。まぁ、丁度良い頃合いだな」
晴明がそう言った直後、雄叫びが上がる。
見やれば、大きな土蜘蛛は地に伏しており、源氏武者達は勝鬨の雄叫びを上げていた。
「さて、帰るとするか。其方は私と共に来い。聞きたい事が山ほどあるゆえな」
「あ、ああ。って、何処に行くんだ?」
「決まっておろう。都だ。なに、そう歩かん。直ぐそこだ」
源氏武者を待たずに、晴明は歩き出す。
いつの間にか直ぐ傍に立っていた棍棒を振り回していた少女が、涼し気な顔で晴明の後を歩く。
「早う来い」
「あ、ああ」
急かされ、雪緒も晴明の後を歩く。
雪緒は知らない事だけれど、北野天満宮は平安京から少し離れた北側に在る。そのため、平安京から徒歩で向かえる距離なのだ。
歩きながら雪緒は自分がこうなってしまった原因考えるけれど、特にこれといった明確な理由は考え付かない。
唯一思い至るのは、意識を失う前に聞いた轟音だ。あの音が雷鳴である事は分かっている。つまり、自分は雷に打たれたという事なのだろう。
雷に打たれてタイムスリップをする。ありがちと言えばありがちな理由だけれど、それは創作物に限った話だ。現実的に考えると有り得ない話だ。
しかして、今起きている事は雪緒にとっては紛れも無い現実。吹き飛んだ腕を見て胃の中身が溢れそうになった感覚もまた本物だった。夢というにはあまりにも真に迫っている。
雷が本当に原因であるかは分からないけれど、要因の一つである可能性がある事は心に留めておいた方が良いだろう。
「それ、着いたぞ」
「おぉ……見慣れぬ光景」
雪緒の目に入ったのは教科書で見た事のある平安京の街並みだった。と言っても、教科書の写真はレプリカだったり予想図だったりで、本物では無いのだけれど。
ともあれ、これだけ大規模な都は今の日本には存在していないはずだ。撮影用のセットはあるだろうけれど、目前に広がる都はその規模を遥かに超えている。
大規模な都を見てしまえば、他者の悪戯ではない事は明白だ。残念な事に、此処は雪緒の見知らぬ日本である事が確定してしまった。
これからの事を憂いて思わず呆然としてしまう雪緒を置いて、慣れた足取りで晴明は都を歩く。
道幅二十メートル程もある大路を通りをほどなく歩いてから、晴明はひとつの門を潜る。
大きく立派な門構えのため、自分が入ってしまって良いものか躊躇ってしまう小市民的な雪緒に、晴明の後ろを歩いていた少女は優しく微笑みかける。
「大丈夫ですよ。さぁ、お上がりになってください」
「はい……」
おずおずと、遠慮がちに雪緒は門を潜る。
門の中に入れば、立派な家屋が目に入る。平安貴族の家屋で有名なのは寝殿造だけれど、晴明の家はその寝殿造よりは規模は小さい。けれど、それでも平民の家よりは格段に住みやすく立派な造りになっている。
晴明が家に入っていくのを見て、雪緒は慌ててその後に続く。
「冬、茶を用意せよ」
「はい」
晴明の言葉に一つ頷き、冬と呼ばれた少女は晴明とは違う方向へと歩く。
雪緒はひとまず合羽を脱ぎながら晴明に着いて行く。
通されたのは柱が等間隔に並び、畳が二行対座になっている板張りの部屋。掃除が行き届いているのか、住み慣れた様子が窺えるものの清潔感がある。
「まぁ座れ」
晴明が畳に座り、雪緒はその対面に腰を下ろす。
「早速だが、其方の現状についてだ。ともあれ、私にも確証が無い。完全に憶測になる上に、見当違いかもしれぬ」
「憶測でもなんでも良い。少しでも分かってる事があるなら教えてほしい」
「分かった。まず、其方の状況だ。恐らくは、其方は私の式鬼という扱いになる」
「しき? それって、式神って事か?」
「ああ」
式神。式鬼とも識神とも言う。陰陽師が使役する鬼神の類。
「本来、先程の戦いで私は冬を戦わせるつもりは無かった。あの程度の土蜘蛛、冬を使うまでも無いからな。冬には私の護りを任せ、別の式鬼を使うつもりだったのだ。けれど、私が召喚したのは私が使役する式鬼ではなく、其方だった。別の妖かと思うたが、其方は人間だ。奇怪な恰好はしているがな」
晴明は美しい眼で雪緒を見据える。
「召喚に際して、手応えはあった。けれど、少しの違和感もあった。何者かの力が少し加わったような、そんな違和感だ。
「そう言われても……」
自身を召喚する利点なんて分からない。晴明は式鬼を戦わせるために召喚したと言った。晴明を妨害したいのであれば利点はあるけれど、あの安倍晴明を妨害するにはやや弱い気がする。
やはり、分からない。それを表情から察したのか、晴明は続ける。
「ふむ、では其方の身の上話を聞かせよ。其方が私に召喚されるまでの経緯でも良い。それで少しは話も見えよう」
雪緒としても考えても出てこない事にひたすら頭を悩ませても仕方が無いと思い、晴明の指示に従う。
「荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、俺が今から言う事は全部事実だ」
そう前置きをしてから、雪緒は話しを始めた。自分がおよそ千年も後の未来から来た事。曰くつきの山で雷に打たれた事。その場所に殺生石が在った事など。
それを、晴明に伝わるように丁寧に話した。
雪緒の話の全てを聞き終えた晴明は、難しい顔をして扇をとんとんと自身の顎に当てる。
「先の世……それも、千年も後の……」
とんとん。落ち着きなく扇で膝を叩く晴明。
話の途中で冬が持ってきたお茶を啜り、晴明の考えがまとまるのを待つ。
やがて考えがまとまったのか、晴明は扇で膝を叩くのを止めると、落としていた視線を雪緒に戻す。
「ひとまず、其方が先の世の者であるのは分かった」
「信じてくれるのか?」
「信じる他なかろう。其方の恰好は見た事も無いからな」
晴明が自分の話を信じてくれたことに、ほっと胸を撫で下ろす。
「が、まだ分からぬ事も多い。時に其方、行く当てなど無いだろう?」
「ああ。残念ながら……」
「ならば此処に住むと良い」
「え、良いのか?」
「ああ。何がしかの企みの結果とはいえ、私にも其方を此処に召喚した責任がある。それに、其方の世話をするくらい訳無い事だ」
「……なら、ありがたく」
正直、この平安に雪緒の居場所は無い。どこぞへと放り出されるよりも、多少でも雪緒の事情を知っている者の元で世話になった方が気は楽だ。
安心したからか、緊張が緩んだせいか、雪緒の腹の虫が盛大に鳴く。
「ふうむ。空腹はあるのか……という事は実体である可能性もあるという訳になるな……。ともあれ、もう良い時間か。冬、夕餉の用意を」
「承知いたしました」
晴明の後ろに控えていた冬は、一礼をすると部屋を後にする。
そんな冬を目で追っていると、晴明が淡々とした口調で言う。
「惚れたか? 止めておけ。冬はああ見えて妖だ。人と妖の恋慕など、上手く行かぬよ」
「いや、違うから。ていうか、やっぱり妖なのか……」
「ああ。この屋敷には私意外の人はおらぬからな」
「え、そうなのか?」
「全て式鬼で事足りるゆえな。人を雇う方が面倒なのだ」
言って、晴明は懐から二枚の紙を取り出した。
紙は人の形をしており、その中心には赤黒い何かが付着していた。
晴明が軽くその人型の紙を投げた途端、紙はみるみるうちにその体積を膨張させ、紙から人へと姿を変えた。
驚愕の光景に言葉を失っている雪緒をそのままに、晴明は現れた二人に指示を出す。
「客人用の布団を用意しろ。それと、冬の夕餉の用意を手伝え」
「「承知いたしました」」
ぺこりとお辞儀をして、二人は部屋を後にする。
「あれが式鬼だ。本来、其方の代わりに召喚しようとしていた者だな。まぁ、あれはただの小間使いだが」
「へ、へぇ……あれが……」
土蜘蛛もだいぶ衝撃的な光景だったけれど、目の前で紙っぺらが人に変わるのを見るのも中々に衝撃的な光景だった。
「因みに其方は稲光を迸らせながら現れたな。初めての事で私も驚いた」
なんて、驚いた様子も無く言う晴明。内心では確かにあの時驚いていたのだけれど、それが顔に出なかっただけで、付き合いの長い冬には晴明が驚いている事はばれていたりもする。
「さておき、人手はあれらで事足りる。其方一人住まわせるくらい訳無い事だ」
住まわせる。その言葉を聞いて、今まで考えないようにしていた事をようやく口にする。
「……俺、やっぱり未来に帰れないのかな?」
不安が声に出る。
弱々しい雪緒の声に、しかし晴明は淡々とした口調を崩さずに答える。
「分からぬよ。私にしても初めての事だ。手掛かりは探す。が……一から調べなければ分からぬ。時間を要する事は確かだ」
「そっか……」
晴明の正直な言葉に、雪緒は落胆の色を隠せない。
家族の元に戻れない事もそうだけれど、それ以外にも一つ気掛かりを残してきてしまっているのだ。
それももう考えなくて良いと思えれば楽なのだろうけれど、雪緒にとっては考えずにはいられない事なのだ。例え、手が届かなくなったと分かったとしても、それは雪緒が考えなければいけない事なのだ。
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