第3話 もうひとつの名前(後編)
建築家の天崎悠が詩人サークルに入りたいと本宮勝己に連絡を取ったのは、依頼された店の改装を終えてからだった。
日本語の「新しい」という言葉には二つの顔がある。
Strangeness とFreshness
奇抜な新しさと新鮮さ。
建築家として、依頼者が納得するかどうかを考えたときに、天崎悠は柱などにロココ調の装飾を施すなど定番と感じるように改装しながら、元のホストクラブとも、接待されたクラブとも似た印象ならないようにすることを彼は最優先にした。
仕事のあいだ天崎悠は、本宮勝己とふたりっきりで親しくなれるのを楽しみに、依頼者からの手直しの注文など、あれこれ我慢しながら笑顔をキープし続けた。
ところが、その間に水原綾子と藤田佳乃が詩人サークルのメンバーに加入していた。
天崎悠は、自分が四人のなかでは一番歳上の大人として、苛立ちを隠して本宮勝己に警戒されないように、じゃまな女性たちにも紳士的な態度で接しておこうと損得で計算して初めは行動した。
藤田佳乃にとって同じ目的の天崎悠は恋敵のはずなのだが、彼女は天崎悠がゲイである可能性をまったく想像していない。
天崎悠は、本宮勝己が女性たちをサークルメンバーに受け入れたのは、どちらかの女性に恋心を抱いたからだろうと予想した。
水原綾子と藤田佳乃。
本宮勝己がどちらに興味があるにしても、天崎悠は本宮勝己の親友として恋の相談をされる関係を築くことで、次の段階へ進展するための土台を作ることに決めた。
本宮勝己が失恋しないとしても、女性たちとの関係が常に良好とは限らないので、本宮勝己が恋に気弱になったタイミングを狙って、同性である自分との恋愛関係に誘惑する計画を立てた。
水原綾子と藤田佳乃は一緒にサークルに入ってきた。
どちらか本宮勝己と気まずい関係になれば、ふたりが一緒にサークルから去る可能性は高いだろう。
本宮勝己が失恋のあと、水原綾子か藤田佳乃のどちらかに、本宮勝己を慰める関係を築かれるのだけは避けたい。
「僕は過去の作家たちがどうして本名じゃなくて、ペンネームを使って作品を発表してきたか考えてみたんだ」
本宮勝己は、詩にも散文詩、短歌、俳句といくつかのかたちがあることを三人に話して聞かせてから、ペンネームを考えてみないかと、三人に提案した。
ペンネームをつけるのは、創作する自分ではない別の仮面をつけるのか。
それとも、社会のなかの役割を演じている自分を捨てるためなのか。
ネット上のハンドルネームもその場限りの仮面だろうか。
それとも作者になりきって、自分の心を作品としてさらすために必要な儀式のようなものなのだろうか?
「まずは、かたちからってことかしらね」
水原綾子はそう言って微笑すると、本宮勝己の提案に賛成した。
「ペンネームってどうやって決めたらいいんだろう。水原さん、うーん、難しいよ」
天崎悠は詩集の並んだコーナーに勝己に案内してもらって、俳人たちの俳号をながめてみた。
芭蕉、子規、虚子、蛇笏、楸邨、秋桜子、鬼城……。
水原綾子と藤田佳乃も小説のコーナーに行って作家たちのペンネームをながめている。
天崎悠は、天崎虎狼というペンネームを考えた。
悠という本名は建築家として使っているのと、どこか頼りない感じがしていたからだった。
水原綾子は、水原綾というあまり本名から印象の変わらないペンネームにすると言った。
綾子という名前の「子」がどうも前から気になっていたらしい。
「春風花音……あら、かわいい名前ね」
「そうだな」
「マンガ家のペンネームみたいな感じがして、なんかいいね」
藤田佳乃は春風花音というペンネームを自分で言って照れていた。
「僕は、本宮鏡です。よろしく」
本宮勝己はそう言ってから、名前が変わると、別の自分になったみたいな気がすると話していた。
「アヤさん」
「コロさん」
「キョウくん」
「なら、藤田さんは、カノンだからカノちゃんってことね。なるほどね、本名とペンネームで、どちらも同じあだ名になるのね」
「ふふっ、そうでーす」
天崎悠は、藤田佳乃から「コロさん」というあだ名で呼ばれることになった。
悪くないあだ名だと天崎悠は思った。そして、親に期待され、自分も騙した大人の女性を見返してやると誓い、必死に歩んできた人生とは遠い「コロさん」というのどかなあだ名に、心がなごんだ。
男女間の恋愛では、女性の心のなかで友達認定されたら、恋人になるチャンスはめったにないという噂もある。
ゲイの恋愛はきっかけは友達としてつきあっていて、つらい出来事があった時に慰め合うことで恋に発展することがあるのを、天崎悠はよく理解していた。
女性が悩みを相談するのは、気心の知れた男性であることはあるにせよ、その相談相手が恋愛対象とは限らない。
天崎悠は「コロさん」と呼ばれることで、サークルメンバーたちが心を許し合う場に自分がいることを許されたいと思ったのを、まだ気づいていない。
天崎悠には、同性愛者であることに、罪の意識のような後ろめたさがあった。
ありのままの自分を許して受け入れてくれるパートナーを、彼は心の底から求めている。
##############
俳句は、座の文芸と呼ばれている。
多くの人が集い、五七五(長句)と七七(短句)つなげてゆき、百韻といって、百句完成するまで続けた。
その連歌の簡易版が俳諧や連句とされ、多くは長短三十六句で構成され、巻物に書きとめていく。
歌仙を巻くともいう。
そのなかで一番初めの五七五は
多くは挨拶の句とされる。招かれた客がいれば、その客が発句を詠む。
他にも、ここは恋の句、ここは月の句など句の位置が決められていた。座の指導者はそれを調整することになる。
ひとつの作品として展開しなければならないので、前の句に似すぎてはいけない、詠まれる風景や内容が似すぎて退屈にならないようにと参加者たちは配慮しながら、三十六句を並べ、みんなで作り上げる文芸だった。
一緒に協力しあってその場だけの新しい作品を作り出す。
その冒頭の五七五が発句で締めの句は
仲間が集まって作品を創作する楽しさがあった。
芭蕉の旅の目的は、その「連句を巻く」ことでもあった。
地方の俳句愛好家たちは、江戸の芭蕉を客に迎え、歌仙を巻くのを楽しみにしていた。
客の芭蕉が発句を詠む。
現在に残されている芭蕉の俳句は、そうした発句であった句がかなりある。
江戸時代までの俳人には名はわかるが、姓がわからない人がたくさんいる。
和歌の歌人が紀貫之、藤原定家など名も伝わっているのと大きなちがいである。
これは連歌を詠み楽しむ時は、誰でも出自や身分、つまり地位を捨て、武士も町人も百姓もみんな同じ
その集まりには、子供や尼さんや遊女もいて、性差もない。
しかし、手軽に遊べるやりかたを工夫していくのと、発句だけで一等賞を決めるために競い合うようになっていった。
個人の力を誇示することを好む風潮。近代という時代が近づいてきた影響もあるかもしれない。
江戸末期になるにつれて、発句のコンクール化がすすむ。これが俳句になっていった。
恋愛や結婚のかたちも家やまわりのためから、個人としての恋愛や結婚に変わっていく傾向ができたのと似ているだろう。
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