詩人はモテるという噂
平 健一郎 (たいらけんいちろう)
プロローグ コミュニケーションの場はあるか?
カラオケのサークルに集まっているメンバーで、誰が本気で歌手を目指して、参加者たちに熱唱しているだろうか?
カラオケサークルの主催者の関口朋美は、土日や祝日の昼間にカラオケ店に集まるオフ会を月に一度は開催するのが目標。
オンラインでは、メンバーのチャットルームを用意して交流を持ってもらえるよう、自分なりに気づかいしていると彼女は思い込んでいた。
彼女は結婚前、アニメのコスプレにはまり、知り合ったちやほやしてくれるファンたちとカラオケに行って、アイドルのように人前で歌うことを楽しみにして暮らしていた。
結婚6年目――子供ができないままだったので、あの頃の気持ちに戻りたいと望んでいることに彼女自身、よくわかっていない。
集まっているメンバーたちは、自分の歌声はそれなりに悪くないと思ってはいるが、ものすごく上手だと自慢するほどではないと思っている。
主催者の関口朋美を、恋愛対象として憧れているメンバーは、現在は誰もいない。
暇つぶしというほど退屈しているわけではない。
このカラオケサークルでは、あからさまに恋愛したい気持ちを誰かに態度で見せれば、主催者から場の空気を悪くすると判断されサークルから退会させられる。
ただし、歌ってはしゃげるほとの無邪気さを持っているメンバーとなると、主催者をふくめ、ただ一人しかいなかった。
「あー、すっきり!」
藤田佳乃は満面の笑みを浮かべてマイクを置いた。
隣に座って目が合うと微笑してくれる人がいる。
最近、サークルに参加したばかりの長い黒髪がきれいな、少し歳上の女性が、ちらりと室内の時計を気にしているのに気がついた。
「水原さん、どうかした?」
「ん、ちょっと……」
どうやら「水原さん」はメンバーがいる室内では話しにくいらしい感じかしたので、藤田佳乃は水原さんとトイレに行った。
「えっ、そうなの?」
水原綾子にメンバーの男性のひとりが電話をかけてきたらしい。
主催者の関口朋美にだけは、水原綾子は連絡先として電話番号を教えていた。
「食事と映画に誘ってきた男性メンバーよりも、関口さんが勝手に私の連絡先を他人に教えてたことのほうが、腹が立って。でも、なかなか関口さんに避けられていて直接文句をつけるタイミングがないから、今日はもう5時で帰ろうと思う」
「それって水原さんがサークルを辞めちゃうってこと?」
「そういうことになるわね」
「水原さんが悪くないのに、なんで?」
「モテるのはしょうがないけど、イライラしたくないから」
藤田佳乃は水原綾子の話を聞いてふぅとため息をついて言った。
「あたしも帰る!」
こうしてサークルの主催者の関口朋美と口論することもめんどうな水原綾子は、一言だけ「連絡先は消去してください」とはっきりと言い切った。
水原綾子は、この日、このカラオケサークルから退会した。
それから1ヶ月後。
>>
水原さん、今週の週末、いいカフェ見つけたんだけど一緒に行かない?
>>
いいわね、日曜日なら予定空いてるわ
>>
N市図書館のそばなんだけど
藤田佳乃は水原綾子と一緒に5時でオフ会を抜け出し、ファミレスで連絡先を交換していた。
水原綾子は電話で話すことは、あまり好きではなかった。
だから、藤田佳乃とはLINEを交換して、メッセージでやり取りしていた。
このふたりが、カラオケサークルを退会して、別の変わったサークルに入会することになる。
詩人サークル。
水原綾子は、藤田佳乃から一緒にやらないか誘われて言った。
「それって何か役に立つの?」
詩は何かの役に立つのか?
水原綾子は藤田佳乃がマンガやアニメに興味があるとは聞いていたけれど、詩に興味があるとは聞いたことはなかった。
カラオケで熱唱するのはストレス発散になる。しかし、自分で喉がかれるほど歌うと仕事で人と話す機会がある水原綾子には少し都合が悪い。
藤田佳乃は思いっきり歌ってくれて、聴いていて気持ちがいい。
だから、水原綾子はカラオケサークルに参加していた。
「あのね、実は……」
藤田佳乃から話を聞いて、水原綾子はしばらくまばたきを繰り返しながら、口を挟まずに傾聴していた。
(このカフェの雰囲気も気に入ったし、いちおう、そのサークルの主催者と会ってみてもいいかな)
アンティークなランプやステンドグラス。このカフェの名前になっているユトリロの「ラパン・アジル」の冬の油絵も飾られているのも水原綾子は気に入った。
ファッション誌の編集者の水原綾子は、詩を読んだり、もちろん自分で書いてみようとは思ったことはない。
藤田佳乃の気持ちは話を聞いてわかったので、つき添いのつもりぐらいにこの時は考えていた。
「好きな人ができたの。でも、いきなり告白するのもへんだと思って。それで、彼のそばにいることから始めたいけど、やっぱり恥ずかしくて……あれ、あたし、へんなこと言ってるかもしれない」
水原綾子は照れながら話している少し年下の藤田佳乃のことを、とてもかわいい女性だと思った。
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人がどんなときに詩に興味を持つのか。
愛に触れると誰でも詩人になる。
(プラトン)
ラブレターを書いたり、気のきいた愛の告白をするには、詩を知っていることは、役に立つ場合もあるだろう。
実用性があるか、経済的な効果があるかと言われてしまうと、精密ドライバー、毎日使う箸、調理器具のフライパンのような実用性は期待できない。
さらに「あなたに詩を差し上げますから、いくら寄付してくれますか?」とたずねられたら、あなたはなんと答えるだろうか。
俳句だけでなく、短歌も贈答の文化を抜きでは、日本の短詩型文学は説明できない。
少しだけ歌集や句集の刊行について説明しておく。
新刊の歌集や句集を買うのは、少し苦労する。よほど大規模な書店でなければ、短歌・俳句のコーナーはない。
「あの詩集欲しいんですが?」
「刺繍ですね」
と店員が言うほど、書店によっては認知度が低い。版元もひとりかふたりでやっている小出版社がほとんど。
部数も多くて千部前後で、五、六百部が普通。二千部、三千部刷る歌人、俳人は多くない。
大半は自費出版なのである。
たくさん印税をもらったのは俵万智ぐらいだろう。
歌集・句集の出版だけでは収入源となるより、支出といえるだろう。
出版した句集や歌集を関係者に贈呈する。そうしなければなかなか読んでもらえないのが実情。
日本舞踊などの芸事に似ているかもしれない。自分の成長や芸の上達を見せるために費用を自分で負担して、発表会にご招待する。
歌集や句集を贈呈するのは、そうした習慣に似ている。
ときおり、歌集や句集を贈呈するとお祝いを下さる方もある。
それは芸事の発表会に祝儀を包み持っていくのとかわらない。
マンガのように著者がいて、読者がいて、市場があり、そのなかで売り買いという流通があって、著者が原稿料、印税を得るというシステムから、日本の短詩型はもともとズレている。
そうしたなかでプロから素人まで多くの歌人や俳人があらわれ、競い合い、その裾野の広さと参加人数の多さは他のジャンルよりもはるかに多い。
習い事の師匠として私塾のように結社に入会している弟子たちに作品を添削な指導したりすることや歌会や句会、講演などで、創作活動だけでは不足してしまう収入を補っているイメージが近い。
しかし、それでも短歌や俳句を愛好する人たちがいる。
その理由は、詩が伝統だからという理由からではないだろう。
ともあれ、藤田佳乃のために水原綾子は、カラオケよりも役に立つかわからない詩人サークルに参加するか判断しようと、主催者の本宮勝己という青年に会ってみることに決めた。
藤田佳乃と水原綾子が入会するまで詩人サークルといっても、メンバーは創設して一年ほど本宮勝己しかいなかったのだが。
詩歌という言葉が残っているように、この日本における詩の起源を想像するなら、歌うことにつながっている。
歌のもっとも重宝されただいじな効用に、恋愛と結婚における仲立ちという役割があった。
書くか、だれかに覚えさせるかして相手へ届ける。
恋愛と結婚は日本だけでなく古い歴史がある。恋愛や結婚に歌が必要だったとしても、横着して以前に誰かが使用したものをそのまま利用すれば効率がいいと考える人や、わざわざ新しいものを作らなくてもよいと考える人はいたはずだ。
それは効率は悪くても、新しさが求められてきた。
自分たちの恋愛は特別であり、ほかにかけがえのないものであることを、相手が納得するように証明しなければならない。
和歌が大量に作られた理由は、その恋愛感情の機微に起源を求めるしかない。
うまく作れない人は専門家に相談する。基本的には自分で作る。
だから先行の和歌の骨格(ベース)を利用して、字句を換えたり上下を入れ換えたりして、工夫をした。
それによって自分たちの作歌にしたてていく。
カラオケで歌うこと。
現在の楽曲や歌謡曲になると個人的な起源から離れ、あらかじめ作曲家と作詞家によって用意してもらったベースに、個人の感情を流し込んで歌ったり聴いてもらうことで成立する。
歌うことは個人としての即興的なものである。歴史の起源を語るのが古代歌謡などであり、個人の感情や事情を伝えるのは和歌があって、歌うことその行為そのものは絶え間ざる現在の更新ということになる。
ロジェ・カイヨワを引用するなら遊びには、四つの要素があるといわれる。
アゴン(競争)
アレア(偶然)
ミミクリ(模倣)
イリングス(めまい)
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)
恋愛にはこの四つの要素がふくまれた他人に対するコミュニケーション。なので、もちろん詩歌にもこれと同じ要素が創作にはふくまれてくる。
「イリングス(めまい)とは、個人の考えや感情が相手に伝達されたことの喜び、ということでもあるだろう。
詩とはなにか?
哲学者のジャック・デリダによれば、
1、記憶の節約
2、心ということ
これは説明をしてみると、一編の詩は客観的に外見上で長さがどれだけあろうと、省略的という使命から簡潔でならねばならない、としている。
西洋の演劇としての詩や進行する語りは、背景をなす物語の大省略をかかえこんで、読者の想像力にゆだねていろいろな約束ごとに頼ることになる。
また短歌や俳句の三十一音や十七音は〈暗記〉に耐えられるのにほどよい長さが基本的な約束ごととして用意される。
2は言葉のフレーズや演技の約束によって心が表現されていて、他人から口授されて暗記したいと欲するということ。
詩は伝えたいけれど伝えきれないものを、どうやって効果的に伝えようとするか。逆に約束ごとを活用できなければ、かなり伝わりにくいものであるといえる。
詩はかつて、コミュニケーションツールだった。
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