我儘をどうぞ。

hibari19

第1話

 嘘でしょ、こんな漫画みたいな展開あり?

「子供みたいな顔しちゃって」

 私はベッドでスヤスヤ眠る恋人の頬をつまんでみたが、起きる気配は全くなかった。

 今日こそは色っぽい展開にならないかと、用意した酎ハイを半分飲んだだけでコロっと眠ってしまうなんてーー




 恋人の沙織との出会いは入社式だった。女性が少ないこの会社で同期入社の私たちは、部署は違うけれど研修や同期会等で会うたびに仲良くなって、自然と二人で行動することが多くなった。

 退社後に食事に行ったり、休日にショッピングへ出掛けたり。

 沙織は、見た目はショートカットで中性的なのに、実はかなり女性的でさりげない気遣いが出来る人で、でもどこか天然っぽく抜けていて、私はいつからか、そんな彼女に恋をしていた。


 入社して6ヶ月、同期会の帰りに沙織は家へやってきた。これはいつもの事だ。ショッピングの後も映画の後も沙織はいつも私を送ってくれる。そして私の家でお茶を飲んで帰っていく。

 いつものようにお茶を飲んで、会社の事や今日久しぶりに会った同期の話をしていたのだが。

「女子が少ないってのもあるけど、うちらずっと一緒にいるよね」

「そうだね」

「飽きない?」

「飽きる? なんで、私はずっと一緒にいたいよ」

 そんな言葉を聞いてしまったから。

「なら、付き合っちゃう?」

 軽い感じだが、本音を漏らしてしまった。

「……うん」

 一瞬の間の後、沙織が頷いた。

「え、いいの?」

「いいよ、私、梨紗のこと好きだから」

 あっさりと、私たちは付き合う事になったのだ。


 付き合う事になったと言っても、それ程大きく生活が変わるわけではない。

 でもーー

 平日は仕事中たまにすれ違う時に視線を絡ませてみたり、遠くから姿を眺めて「あれが私の彼女かぁ」と見惚れてみたり。え、なに、テキパキ仕事こなしてて出来る女じゃん、カッコいい。【仕事しろ】

 週末はデートという名に変わったお出掛け。相変わらず優しい沙織は、今週封切りになった映画の情報収集やチケットの発券からポップコーンの買い出しまで全部やってくれる。

「どうしたの?」

 座席に座って私の視線に気付いた沙織が不思議がる。

「私の彼女、優しいなって見てた」

 そう言うと一瞬で真っ赤になる沙織。【可愛い】



 付き合うようになって変わったことが1つある、キスだ。

 沙織はキス魔と言っていいんじゃないだろうか、最初こそ「キスしていい?」って聞いてくれたけど、今ではもう、ところ構わずチュッチュとキスしてくるのだから。

 ただし、軽いキスのみでそれ以上の事は一切ない。沙織はそれで満足しているようだから、まぁそれでもいいのかな。そんな関係性もあるのかな?

 目を見て「好き」と言われチュッとされれば、私も心が満たされるのだから。

 それでも、そんな状態がかれこれ2年、2年だよ?

 私も人並みに性欲はあるわけで、身体も満たして欲しいと思っても、おかしくないよね?

「ねぇ、そう思わない?」

 飲めないとわかっていたお酒を、少しだけ飲ませてみたら眠ってしまった沙織の寝顔に語りかけた。


「……んん」

「沙織、起きた?」

「あれ、寝ちゃってた……ごめん」

「大丈夫、30分くらいだし。なんなら今日は泊まってもいいよ」

「いや、そんな迷惑かけられないから、帰るよ」

 迷惑……なんかじゃないんだけどなぁ。

「そっか」

「またね」

 私の寂しさとは正反対の、清々しいほどの笑顔で沙織はサヨナラのチューをして帰って行った。




「今度はどこ行く? 秋冬ものでも見に行く?」

 今日は残業があって、沙織と会えずに家へ帰ってきた。そんな日は決まって寝る前に電話で話をする。

「それもいいけど、たまには遠出しない?」

「遠出?」

「うん、レンタカー借りてドライブとかさ。私、海が見たいなぁ」

「どらいぶ」

 そう言ったきり、無言になった。


 私も沙織も、免許はあるが車を持っていないのでドライブデートは今までした事がない。

 お酒の力での雰囲気作りに失敗した私は、マンネリではなくいつもと違う行動や場所ならどうかと考えた。海なら雰囲気も良さそうだし気分も盛り上がりそうじゃない?


「あ、気が乗らないならいいよ、新しいコートでも買いに行く?」

 あまりにも返事がないので、怒ってしまったのかと思った。それとも私の我儘に呆れたか?

「ううん、そうじゃなくて。私も行きたい」

「そう、良かった」

 やっぱり沙織は優しいな。

「うん、でもちょっと時間が欲しい」

「ん?」

「2ヶ月、いや1ヶ月でなんとか……来月でいいかな?」

「え、うん、いいけど」

 なんで? まぁ少し寒くはなるけど大丈夫かな。


 それからの1ヶ月、沙織に会えなくなった。会社では見かけるけれど、退勤後の食事もなければ、週末も用事があるってデートも出来ない。理由を聞いても「ごめんね」って謝られるばかり。

 そんな日々が続いて悶々としていたお昼休み、エレベーター前でバッタリ沙織と会った。上司っぽい人と一緒なので帰社したところのようだ。

「あっ」

「おつかれさま」

 すれ違った私は未練がましく後ろ姿を見ていた。


「30分後に出るから」

 上司っぽい人の言葉が聞こえて、そして去って行った。

 沙織は会釈した後振り向いて、私がまだここに居る事に驚いていた。

「忙しそうだね」

 営業職の沙織は期待されているのだろう。

「梨紗は今からランチ?」

「うん、一緒にどう?」

「時間ないから私はコンビニにするから」

「なら私もそうする」

「いいの?」

「少しでも一緒がいい」

「よし、じゃあ急ごう」

 二人で近くのコンビニでサンドウィッチと飲み物を買ってきてベンチに座る。


「なんか久しぶりだね」

 今まで何かと一緒に過ごしていたから、少し会わないだけで寂しさが募っていた。

「ごめんね、付き合わせちゃって。友達とランチだったんじゃない?」

「沙織と一緒がいいの、そう言ったよね」

 沙織の性格だから遠慮するのはわかるけど、私の気持ちわかってないの? 沙織は私と会えなくても寂しくないの? 

「うん、嬉しい。今日は梨紗に会えたからスペシャルデーだ、午後も頑張れそう」

 久しぶりに見た沙織の笑顔に、ホッとした。忙しいだけで、距離を置かれたわけじゃないよね、ドライブデート出来るよね。




「お待たせ」

 うん待ってたよ、この日をずっと。

「あ、可愛い車」

「うん、梨紗こういう感じ好きかなと思って。レンタカーだけどね」

 照れ隠しなのかサングラスをかける沙織は、いつにも増してカッコよくて、約束のドライブデートは最初からドキドキだった。


 道中はハンドルをしっかり握って、視線は前方を向いている。さっきから、追い越し車線をどんどんと他の車が抜いていくけれど、全然気にしてない様子。速度をきっちり守っている。私と同じように普段運転していないから緊張しているんだろう、見るからに肩に力が入っている。

「大丈夫?」

「はい、教官」

「へ、教官?」

「はっ、あっ間違えた」

「えっ」

「先週まで教習所に行ってたから、つい」

「なんて?」

「ペーパードライバー講習に行ってた」

 用事ってそれだったの?

「なんで」

「ずっと車の運転してなかったから、自信なくて。梨紗を乗せるんだから安全第一じゃないと」

 私のため、私がドライブデートしたいって言ったから、仕事の後や週末に教習所に通ってたの?

「沙織ってば……私のこと好きすぎじゃないの」

「あはは、そうだね」


 ぎこちない運転だけど、きっちり安全運転をしてくれて、無事に到着した。

 まずはお茶しようとカフェに入る。

「予約した小澤です」

 席に案内されると思わず息をのんだ。

「凄い」

「綺麗だね」

 目の前に海が広がっていた。

「ここはアフタヌーンティーセットが美味しいらしいよ」

 そしてメニューを見せてくれる沙織。

「本当だ美味しそう」


「あ、そろそろ行こうか」

 会えなかった時間を取り戻すかのように喋り倒し笑い合い、時間を確認して店を出た。

「少し歩こう」

「うん」

「寒くない?」

「大丈夫」

「そろそろかな」

「何が?」

 沙織の視線の先に顔を向ける。

「うわぁ、何これ」

「うん、想像以上だ」

 大きな夕陽が、今まさに海へと沈もうとしていた。

 全部、リサーチして連れて来てくれたってこと?

 海が見えるカフェも予約済みだったし、人気のメニューや日の入りの時間だってーーそりゃ調べればわかる事だけど、それ全部私のために?

 なんだかもう、いろんな感情が溢れて言葉にならなくて、隣に佇む沙織の手を握った。

 沙織もしっかり握り返してくれたから、私は頬にキスをした。

 ビックリして私の方を向いたと思ったら、キョロキョロを辺りを見渡して、人がいないことを確認してから改めて、チュッと唇へのキスが来る。

「沙織、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」

「私は何もしてないよ」

「梨紗が喜んでくれたなら、私は嬉しいから」

 もう、何なのこの人。こんな事言われたら誰だって落ちちゃうよ。

 先に進みたいとか、身体の関係とか考えていた自分が恥ずかしい。私にとって大切なのは沙織自身で、これからもきっと、もっと好きになる。そんな予感しかない。

 二人の顔が赤く染まったのは、たぶん夕陽のせいだけじゃない。






「いっぱい買っちゃったね」

「ごめん、梨紗に持たせちゃって」

「いいよいいよ、いつも沙織持ってくれるじゃん」

 今日の買い物デートは、沙織に似合う服がいっぱいあって、たくさん試着もして、あーだこーだ言いながら照れたりノリノリだったり、楽しかったなぁ。

「荷物あるから今日は沙織ん家行こうよ」

「え、ダメだよ」

「なんでよ」

「梨紗を送るのは私の役目だもん」

 いつもそう言って送ってくれるから、私は沙織の家に行った事がない。

「まだ早い時間だから、大丈夫だよ」

「いや、そういう問題じゃないんだよ」

「私を家に入れられない理由があるわけ?」

「えっ、いや、そんなことは」

「沙織のお家に行きたいなぁ」

 こういう風にお願いすると、必ず「いいよ」って言ってくれるんだ。

「さん、いや、2か月待ってくれる?」

「は? なんで」

「ごめん、この通り」

 深々と頭を下げられたから、私も慌てる。

「やめてよ、そんなこと。わかったから」

 結局いつものように私の家でお茶をしてイチャイチャして帰って行った。

 いくら恋人とはいえ、プライバシーはあるし、私は平気だけど自分の家に他人を入れるのを嫌がる人もいるだろうし、まぁほんのちょっと寂しい気もするけど、沙織の気持ちは尊重しないとなって思っていたんだ。あの話を聞くまでは。


 1ヶ月ほど経ったある日、会社の給湯室でたまたま聞いてしまったのだ。

「へぇ山口さん、小澤さんの家に行ったの?」

「そうなんです、ちょっと呼ばれて」


 え、沙織の家にお呼ばれ?

 話していたのは、同期の山口さんと先輩の市川さんだった。

「どうして……」

「あら、石川さん。石川さんは仲良いから小澤さんの家に行ったことあるんじゃ?」

 先輩は興味津々という感じだ。

「いえ、私はないんです。どんな感じでした?」

「あ、いや、まぁ普通だよ。それより先輩ーー」

 何故か山口さんは歯切れが悪くすぐに違う話題へ移ってしまった。


 なんで? なんで私は入れてくれないのに山口さんは入れるの?

 訳がわからなくなった。悲しいというより、裏切られた気分で怒りの方が大きくなって、その日の仕事は上の空だった。

 定時に帰ってご飯食べてお風呂に入ったら、速攻でベッドへ潜り込む。

 何も考えたくない、沙織からの着信も

無視し続けた。翌朝見ると、体調が悪いのかと心配しているメッセージがたくさん入っていたけど、返信しなかった。

 何も考えず仕事だけをして帰る、虚無な日々を数日過ごした。その日は金曜日だったけれど断りきれなかった残業をして、家に着いたら沙織が玄関前に佇んでいた。

「梨紗」

 今にも泣き出しそうなか弱い声だった。

「悪いけど帰って」

「なんで……怒ってるの?」

 時間が過ぎれば収まると思っていた怒りがまたぶり返す。

「帰って」

 自分が発した大きな声に、自分でも驚いた。玄関先でこんな痴話喧嘩、したい訳じゃない。

 沙織はもう涙を溢し始めていた。

「ここじゃ迷惑だから入って」


「ごめん、こんなところで泣いたりして」

 とりあえず家の中へ入って座ってもらう。いつかは話し合わなきゃいけないのはわかってる。ただ、今冷静に話せるかどうか自信はないから黙っていた。

「私の何がいけなかったの?」

「何って、自分でわからないの?」

「……うん」

「山口さんが、沙織の家に行ったって」

「あ、それは」

「私は、あげてもらえなかったのに。山口さんは呼ばれたって言ってた」

「あ……」

「沙織は私のこと……」

 話し始めたら止まらなくなって、なのにーー勝手に流れる涙が邪魔をして最後まで喋れなくなった。

「ごめん」

 これで終わりなのかな、私たち。

「最初から正直に話せば良かった、梨紗を悲しませるつもりなんてなかった、ほんとゴメン」

「話すって?」

「私の部屋、凄く汚くて」

「えっ」

「汚いっていうか、モノが片付けられなくてゴチャゴチャしてて、とても梨紗を呼べる状態じゃなくて。山口さんが断捨離が上手だって聞いて、やり方を教えて貰ってて、実際に見てみないとわからないって言われたから来てもらって。かなり酷かったみたいで呆れられたけど、コツを教えて貰って、今自分で片付けてるところで、だからあともう少し待っーー」

「待てない」

「え」

「今すぐ行きたい」

「あ、でも」

「嘘かどうか確かめる、いいよね」

「ーーはい」


 今すぐって言ったけど、もう遅い時間だったので翌日に行く事にした。

 沙織が、どうしてもって譲らなかったので、迎えに来てもらった。

「わざわざいいのに、電車くらい1人で乗れるし」

「わかってる。私が来たかっただけだから」

 まだ少しわだかまりがある。私は沙織のこと疑ってるわけじゃない、そんなこと出来ないって知ってる。だけどやっぱりーー



「ふぅん、そんな酷くないじゃん」

「そ? 頑張った甲斐があったかな、わっ、そっちはーー」

 リビングの隣の部屋を開けようとしたら止められた。

「ーーまだ途中だからさ」

「ふぅん」

 チラッと見えたのは、ダンボールとか本とかで、確かに片付けの途中のようだった。

「お茶、入れるね」

「ありがと、一本電話してもいい?」

「うん」

 沙織がキッチンへ行っている間に、私はスマホを操作した。

「あ、山口さん? ごめんねお休み中に。私、今小澤さんの家にいるのーーそうそう、それでねーーうんうん、これからは私が手伝うつもりだからーーうん、大丈夫、ありがとうね」

 通話を切ったタイミングで、お茶がテーブルへ置かれた。

「えっと」

「山口さんも忙しそうだから、これからは私と一緒に片付けよ、いいよね」

「いいの?」

「これは私の我儘なんだけど、この部屋に私以外の人を入れないで欲しい」

「あーーうん」

 気付いてしまったのだ、私は嫉妬してたんだって。

「沙織を独占したい」



「我儘、言ってくれて嬉しいよ。もっとどんどん言ってよ、梨紗の願いなら全力で叶えるからさ」

 確かに、いつも私のお願いを、時間をかけてでも叶えようとしてくれる。そんな沙織を私はーー


「沙織、キスして」

「ん」

「もっと」

「いいよ」

「もっとだよ、もっと深いやつ。意味わかる?」

「えっと」

「嫌?」

 ふるふると沙織は首を横に振った。

 見つめ合った、5秒10秒。

 私から口付けていく、ゆっくりと深く、沙織の目尻に雫が溜まる。

「どうだった?」

 涙目の沙織に優しく聞く。

「初めてだったけど、胸がいっぱいになった」

「また、したいと思う?」

 頷いてくれた。

「沙織、私ね、もっと沙織を独り占めしたいの、エッチがしたい。意味わかる?」

「えっ」

「沙織はどう思う?」

「私は、えっと、2ヶ月待って」

 あぁ、そうか。また時間をかけて私の願いをーーって。

「ちょ、待って。それって」

「初めてだから、その、上手くできないかもしれないから、ちょっと待って欲しい」

 ドライブの時は教習所へ通って練習をしていた、この部屋は友達と一緒に片付けをしてくれていた、今度は?

「ねぇ、上手くできないからって、誰かと練習でもするつもり?」

「や、まさか! そんなことしないよ」

「じゃあ、どうするつもりなの?」

「えっと、ネットで調べるか動画とか」

「嫌、そんなの絶対やだよ」

「え、ごめん。でも梨紗を満足させてあげる自信ないし」

 本当にこの人は、どこまでーー

「バカなの? そんなのどうでもいいんだよ。私は沙織と……もういい、来て!」

「ふぇ?」

 こうなったら実力行使、沙織を寝室へ連れて行った。寝室はそこそこ片付いていた。

 あぁ、でも無理矢理はダメだよね。

「もしも嫌だったら言って。私も教えるほど経験がある訳じゃないけど、一緒に練習……というか本番? あれ何言ってんだ私」

 混乱していた私を、沙織が抱きしめた。

「嫌じゃないよ、最初は下手かもしれないけど、2人で上達していこ」

「沙織、大好き」

「うん、私もだよ、梨紗」




 嘘でしょ、本当に初めてなの?

「梨紗、幻滅してない? 私もっと上手になるからね」

 もっと上達したら、私の身体どうなっちゃうんだろう。

 気怠さの中でそんな事を考えていたが、私は心も身体も満たされていた。



【了】


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