第10話:違う、そうじゃない

 ――初陣も済ませてないのに結婚? どうかしている。


 ヨシュアは混乱していた。自宅にひっそりと戻った彼は、部屋につくなりベッドの下を覗き込んだ。薄い本BL漫画を取り出す。

 漫画の中でバリタチ大魔王を演じている7sセブンス(キャラが似てるだけ)に、ブツブツ文句を言い始めた。

  

「順番を間違えているのは、私じゃないぞ。ああ、もう! どうしてあんな脳筋から、振り回されなくてはならないんだ! 大体だな、私には好きな人がいて……」


 本を壁に投げかけたヨシュアは、そこで口を閉ざしてしまった。代わりにそっと抱き抱え、寝っ転がる。

 

 瞳を閉じれば思い浮かぶは、7sの色白マッチョとホープの褐色マッチョ。しかも、同じだけ胸がドキドキと高鳴る。

   

 ――心が二つある。どうしよう。


 その時、扉の叩く音がしてヨシュアは慌てた。初陣道具と薄い本がとっ散らかったままだ。堪らず妙な早口が漏れ出してくる。


「誰だ! 私は今、選択を迫られている。忙しいから後にしてくれ!」


「私だよー、ナオミ。今日の事をパパ達が聞きたいんだって」


 ドアの隙間から顔だけ覗かせたヨシュアに、ナオミが「何してんの?」といぶかしんだ。すらっと伸びた足先が、隙間に入り込む。扉はどうやっても閉められない。

      

「ヨシュア。日本のお姉ちゃんから、新作を送って貰ったでしょ。後で私にも見せて」


「あ、いや……ああいうのは、健全な女性に良くないぞ」


「ハァ!? 今更、何言ってんの? そう言えばさ、ヨシュアの好きなキャラって……」


「ダー! はっ、そうだ。リビングに行こう。今日の報告をせねば」


 新作とは勿論、薄い本である。今更、ヘキが7sだと気づいたヨシュアは、決まり悪そうに部屋から出た。


 リビングでは、久しぶりにアンナが帰宅をしていた。彼女は、実弟キングの配偶者である。ヨシュアは一度目の人生で、彼女を本当の妹だと吹き込まれて育った。

 

 色々あったアンナも、今や米帝初の女性大統領である。

 

「シンガポールはどうだった?」

  

「どうって……こっちと変わらないわよ。あ、でもね。通商で面白い話が出来たわ」


 ソファーに座るキングは、目尻が下がりっぱなしだ。アンナの話をニコニコ聞き入っている。

 

 挙動不審丸出しでリビングに姿を見せたヨシュア。仕草がぎこちなさすぎて、逆に目立つ。直ぐに気づいた夫婦が、何事かと振り向いた。


「水着を盗まれて大変だったんだってね、ヨシュア」

 

「久しぶりに帰って来たかと思えば、第一声がそれか。僕に会いたかったとかあるだろう。薄情な女め」


 きょとんとした顔のアンナが夫を見る。肩をすくめたキングが「思春期らしいよ」とささやいた。

 その時、お茶の準備をしていたナオミが口を開いた。今日の出来事をそれはもう、コンパクトにまとめて聞かせる。


「7sって、本当にヨシュアの事好きだよね。身体張って、窃盗犯を逮捕してくれたんだよ。今日もさ、二人でデートだったんだって」


「何を言ってるのかな、ナオミは。は、ただ遊びに行っただけ……」


「嘘だあ。自分でデートって言ってたじゃん。告白されたんじゃないの? ウチらに向かって『』って言う時は大抵、何かあるもん」


 顔を真っ赤にしたヨシュアが、ワタワタと慌てる。「あらまあ」キング夫妻の妙に生暖かい目線が、プライドチョモランマを刺激した。


「僕が受けたのは告白なんかじゃないぞ! プロポーズだ!」


「「「プロポーズ!?」」」


 盛大に自爆したヨシュアが口から魂を吐きながら、その場に崩れ落ちた。




 ◆




「良いんじゃないノォ。パパとママだって交際0日婚だったんでしょ」


「私達の時はちょっと特殊だったから……ねえ? キング」


「戦時中と変わらない状況だったしね」


 ソファーの上で家族に背を向け、膝を抱えていたヨシュアがキッとにらむ。

 状況を作り出した張本人ヨシュア。そんな彼を『だって、その通りでしょ』とアンナが無言でいなした。


「チッ、特別に話を戻してやろう……キスもまだなのに、いきなり結婚だぞ。順番が滅茶苦茶だと思わないか?」


「ヨシュア。この間から、やたらとキスに拘ってるけどさ。プロポーズの方が重要だと、僕は思うよ」


「うるっさい男だな! モテないお前に、私の苦悩など分かってたまるか!」


 ふいに、ナオミがヨシュアの眼前に立ちはだかった。ぶすーっとした頬っぺたを思い切り引っ張る。よく伸びる様も相まって、白い餅そのもの。


「いだっ、痛いよ! ナオミ!」


「パパをdisるの止めてよね。私、パパ似なんだから。ごめんなさいは?」


「……ごめんなひゃい」


 プルンッ!


 許して貰ってヨシュアは思った。『どうしてこの家族は、結婚という重大なライフイベントに何も言わないのだろう』と。おめでとうムード一色で正直、反応が薄い。


 かまちょな男は、恨みがましい視線をアンナに送った。


「僕はまだ学生なんだぞ。厄介払いが出来るって思ってるだろ、アンナ」


「言いがかりは止めて。面倒臭いのは本当だけど、厄介だなんて考えた事ないわ。7s君だって、今すぐ結婚とは言ってないんでしょう? まあ、ちょっと突然だとは思うけど」


「もしかして、結婚を前提にしたい理由があったんじゃないかな。例えば、他の人に取られたくな……」


「キング!」


 ソファーから飛び跳ねたヨシュアが、両手を空で切る。そのまま弟のえりくびを掴んで強引に引っ張った。


「ちょっと、男同士で話してくる」


 眉間に皺を寄せ圧力をかける。眼鏡を押し上げたキングは「分かった」とだけ言って、リビングを後にした。


 バタン!


 扉が閉まるなり、神妙な面持ちのヨシュアが言葉を選び出した。彼が口ごもるのは、一度目の人生にまつわる事くらいのものだ。


「……ナオミはどこまで知ってる?」


 流石に察していたキングが、苦悩を露わに天井を見上げた。 


「異能があるって事くらい。本当は何があったのか、きちんと話をするべきなんだけど」


 ナオミは、ヨシュアの特異性を知っている。本人の能力も含め、いずれ正面から向き合わなければならない。

 

 かつて世界を大混乱に陥れた張本人が、唇を噛んだ。


「だろうな。7sは、もっと知らないんだ。アイツの場合、ほぼ部外者なのも大きい」


 キングが溜め息をついて、合わせ鏡さながらのブルネットを見やる。『世界から記憶を奪わない』そう選択したのはキングだ。


 時が経つにつれ、祝福ばかりではない事が浮き彫りになる。


 ヨシュアの携帯が音を立てた。7sのメールだ。なんとも言えない沈黙が、兄弟の間を流れてゆく。


 どんよりした過去の業。重苦しい空気を一気に変えたのは、ヨシュアの発言だった。


「そう言う訳だ、キング。


「……はい?」


 ヨシュアは冗談を言うタイプではない。壁ドンならぬ兄ドンをぶちかましたドヤ顔は、至って真剣だった。


「貴様の顔で我慢してやると譲歩しているのだ。いずれ7sも真実を知る。動揺は免れないだろうな。そう言う時のために、キスがあるんだ。年ばかり食ってないで、少しは学習しろ」


 ――兄さんって、こんなにアホだったかな。


 キングは迫り来る同じ顔を見ながら、真顔で考えていた。 

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