第8話:真夏の水着争奪戦

「イヤーッ!」


「あ、ヨシュアって裸が恥ずかしい自覚あったんだ」

 

 ヨシュアの悲鳴で、周囲が異変に気づいてしまった。何事かと視線が集中する。首までプールにかったヨシュアを、ナオミが抱き隠して端に寄せた。


 7sセブンスとホープは、逃げるモブおじを見ている。


「俺、警察に通報するわ!」


 きびすかえしたホープに、7sがロッカーキーを投げつけた。


「必要ない。それより、俺のロッカーに予備の水着がある。ヨシュアに持って行ってやれ」


「ええ!? だけど……」


 7sは、褐色肌の筋肉美をいちべつすると鼻で笑った。


「警察官ならここにいるだろ。俺が逮捕する。あの男、指名手配が出てる。通称オイルマン、窃盗常習犯だよ!」


 吐き捨てるが早いか、7sは人混みをかき分け、走り去ってしまった。ヌラヌラ光る変態を、爆速ばくそくで追いかけてゆく。


 ――オイルマンって言うんだ……


 モブおじの通称にヨシュア、ナオミ、ホープがドン引きしたのは、言うまでもない。





 オイルマンは通称の通り、身体がヌルヌルしていた。芋洗い状態のプールも何のその。つるん、ぬるんとすり抜けてしまう。


 一方の7sは、上背のあるマッチョ。地上を追いかけるのは、分が悪い。身体が当たって怪我人を出しかねない。

 水中に飛び込んだ7sは逆流するプールを、もんのすごい勢いでクロールしていった。


 浮き輪で無邪気に遊んでいたカップルが、7sの起こした水流でくるくる回る。水を掻くド派手な音に、モブおじ――オイルマンが気づいた。

 

「待て! オイルマン!」


 思いっきり泳いでいるのに、ドスの利いた声で叫ぶ7sは、変態から見ても迫力があり過ぎた。


「拙者を知るとは何者? ムムッ、可愛い受君に恋する攻氏とお見受けしました。……お付き合いには至ってないようですね。これは悩ましい展開ですぞ!」


 オイルマンは、己の使命に苦悩した。BL漫画においてモブおじは、じれじれカップルのキューピッドを果たすのが定説だからだ。揺れる欲望の狭間で、先ほどヨシュアからむしられた頭髪に想いを馳せる。


 そうこうしている間に、7sが追いついて陸に上がってきた。息する間もなく、足に力を溜めて走り出す。


 決意を固めたオイルマンが、諭すような口調で叫んだ。


「君の想い人は、解釈違いなんですよ!」


「何をワケの分かんねえこと言ってんだ、てめえ!」


「受君は、もっと弱々しくないとダメでしょ! 何ですか、あの暴れんBOY。拙者の髪をむしった罰です!」


『トドかな?』という勢いで、腹から滑ったオイルマンは、わざとヨシュアの水着をクンカクンカした。ここまで来ると大惨事である。あちこちから「キャー! 変態!」の悲鳴が湧き上がっていた。


 騒動を見ていた水着女性が、ぽかーんと抱えるシャチのゴムボート。そいつを7sが、ウィンク一つでかすめ取る。「やだ、イケメン」頬を赤らめる女性の横で、ビニール製のシャチをぶん投げた。


 夏の日差しを浴びて、光り輝くシャチが空を飛んで行く。


 オイルマンの手前に着地したシャチが、出っ張った腹を突き返した。「ぬぉっ!」自らのヌルヌルで止まれなくなった変態を、7sがこれでもかと蹴り上げる。


 深水プール手前まで吹っ飛ばされたオイルマン。彼は転倒姿勢から、一息で跳ね起きると、ヨシュアの水着を頭から被った。ファイティングポーズをとりつつ、手招きする。


 ――あの変態、受け身を取りやがった! 見た目はあんなんだけど、訓練されてるな。


 訓練されているのであれば、逆にやりやすい。ある程度ボコっても構わない言うことだ。

 7sは反対方向に落ちていた、ビニール製のシャチまで全力で走ると、足で思い切り踏み込んだ。反動をバネに大きく飛び上がる。

 

 人々が驚いて固まっているのを幸いとばかりに、水鉄砲をはいしやく。空中でオイルマンの目を狙い、トリガーを引いた。


 ……!


 ヨシュアの水着を、フェイスマスクにされてしまった。片手で着地した7sに、オイルマンがこんしんのスライディングを決める。不安定な姿勢が仇になって、あっという間にバランスが崩れた。後の深水プールに、背中から突っ込んでしまう。


「ヨシュアの水着を返せ!」


 着水寸前に伸びた手が、オイルマンの頭を掴んだ。ミシッと頭蓋骨のきしむ音がする。執念の7sは、手を離そうとしない。痛みに叫んだ変態も、引きずられてプールに落下した。


 先に潜水していた7sが、オイルマンの背後に回り込む。滑らぬよう、足で水着の上から羽交い締めにする。水中で沈む筋肉はいかり、そのものだ。頭から被っていたヨシュアの水着ごと、オイルマンの首を絞め下げた。


 ――とっとと気絶しろ!


 しかし相手は変態。逆に巨大なヒップを、これでもかと7sの股間に擦りつける。あまりの気色悪さに、顔を歪めた7sが身体を離してしまった。

 一瞬の隙を狙ったオイルマンが、7sのみぞおちにひじてつをくらわせる。次いで、胸を強く叩いた。


「ガボッ!」


 水中で肺の空気を押し出された7sに、もんの色が浮かぶ。一方のオイルマンは、スイーッと泳いで距離を取ると、地上に頭を出して空気を吸い込んだ。

 ヨシュアの水着を被り続けるのは、流石に息苦しい。「デュフ!」匂いを嗅ぎたくなる気持ちを抑え、己の水着に挟み込む。


 ――これは試練なのです。私はこれから、攻氏にベロチューをします。ヨシュアという受君は、そんな彼でも愛せるのでしょうか?


 溺れている筈の7s。その唇をいただくべく潜水したオイルマンはせんりつした。鬼の形相をした7sが、真後ろにいたからである。


 筋肉質の大きな手は、モブおじが大切にしている、残りわずかな毛髪をぜんつかみしていた。

 反応する暇さえ与えず『このままでは気が済まない』とばかりに、オイルマンをぶん回し始めた。


 とっくに空気など残っていないのに、髪を掴んで、しかも水中で振り回す。そんなごうりきがどこから来るのか。一言で言えば、愛のなせる技なのだろう。


 唇を奪っている場合ではなくなったオイルマンが、逃れようと身体をねじった。

 だがしかし、奪われていったのは彼の毛髪の方だった。砂漠の海藻みたいな毛と共に、激しいすいほうが円を描く。


 実際のところ、7sはとうに限界を迎えていた。吹っ飛びそうになる意識を、どうにかしているだけ。


 ――早く、気絶しろ!


 7sは、最早つるっぱげになった頭から手を離すと、オイルマンの腕を捻り上げた。水中で最後の絶叫をしたオイルマンが、ついに気を失った。力のない身体が、ぷかぷかと水上に浮かぶ。


 対する7sは、水底に沈みかけていた。浮上するだけの力が残っていない。


 ――ああ、ダメだ。俺も意識が飛ぶ……


 ヨシュアの水着だけは取り返そうと手を掛けたせつ、愛おしい声が聞こえてきた。真っ白な腕が、7sを抱きかかえる。


「7s! おい、大丈夫か! 警察が来たぞ!」


「……捕まえた。取り返したよ。ヨシュア……大好き」


 水の跳ねる音が激しくて、本人に届いたかは分からない。それでも取り返した水着を手に、7sは微笑んでいた。

 彼はヨシュアの心配する声を耳に、幸せを感じながら意識を失った。


 

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