第5話:プールだよ、全員集合!

 デート当日――


 自室で『初陣の準備』に余念のなかったヨシュアは、肝心な物を忘れている気がして首をひねった。


 ――何を忘れてるんだ? 今日の為に、シミュレーションを重ねて来た筈だが。


 トートバッグをひっくり返して、荷物の確認をする。あれ、これ、それ。過激表現に必要なものは、全て揃っている。携帯からプールのサイトを見た彼は、がくぜんと指を咥えた。


「どうしよう……水着を買うの忘れた」


 レンタル水着もあるのだが、彼は変な所で潔癖症だった。


 クローゼットを引っかき回して、水着を探す。養育者の二人はよく、海やプールにヨシュア達を連れて行った。もちろん、学校で水泳の授業も受けている。流石にプール初体験ではない。


「あった! 良かったー。はっ、急がねば。待ち合わせに遅れる」


 。それを手に取った彼は、素早くバッグに詰め込むと部屋を後にした。


「ヨシュア、出かけるの?」


 玄関に姪のナオミがいた。肩には大きなビニールバッグを掛けている。癖のある赤毛のポニーテールが揺れていた。


「うん。僕はモテるんだ。夏休みは、予定が詰まっていて忙しい」


「そっか、良かったね。楽しんでおいで」


「ナオミも出かけるのか」


「そうだけど……え、誘ったでしょ。聞いてなかったの?」


 ポカンとするナオミ。彼女の言葉を聞き終える前に、ヨシュアは家から出て行ってしまった。

 

 大きな入道雲が、真夏の到来を告げている。バスに乗り込んだ彼は、ハンカチで汗を拭った。冷房の効いている、後部座席に座り込む。

 

 バスの発車する直前、赤いポニーテールが走り込んできた。ナオミだ。彼女はヨシュアを見つけると「あれっ?」声を上げて目を丸くした。それは、ヨシュアも同じだった。


 隣に座った彼女が、ヨシュアの大荷物に視線を落とす。一瞬で青ざめた彼が、トートバッグをギュッと抱きしめた。見られて困るものしか入っていない。


 けれども、ナオミが見たのは水着とタオルだけだった。


「ヨシュア、プールに行くんだ。このバスって街中には行かないもんね」


「ひみつ。お前には、教えてやらない。デートだから」


「……言ってるじゃん。へぇ、だから断ったんだあ。良いな、デート」

 

 ――断った? 何の話をしているんだ。玄関でも誘ったとか言ってたが。


 頭上に疑問符を浮かべるヨシュアをよそに、ナオミはイヤホンをすると音楽を聴き始めた。時折、携帯を見てはメールを確認している。「現代っ子め」そう独りごちたヨシュアは、頬杖をついて外の景色をニマニマ眺めた。


 ナオミはヨシュアと同じ停留所で降車した。『どうして後を着いてくるのか』首をかしげる叔父の後ろを、鼻歌交じりの姪が歩く。


 ナオミは、面倒くさい兄弟(ヨシュアとキング)譲りの、サファイアブルーの瞳をしていた。灼熱の太陽で宝石のように輝いている。


「サングラス、持ってくれば良かったなー。ね、ヨシュアもそう思うでしょ」


 ピョンと跳ねた彼女は、ヨシュアに笑いかけた。通りの先には、アトラクションプールのスライダーが姿を顕している。

 ここまで来て、まだ気づいていなかったヨシュアは、真顔で問いかけた。


「ところでナオミ。お前は、どこに行くんだ?」


「やっぱり話、聞いてなかった! もー、プールに行こうよって誘ったじゃん」


「そうだったっけ……デートで上の空だった。それは悪い事をした、済まない。一人で行くのか? 変わっているな、お前」


 ハァ? という顔のナオミを見ている間に、プールへ到着してしまった。


 笑顔の若者達と家族連れ。夏独特の浮かれた熱狂。


 そんな中、一人だけギスギスしている青年がいる。どうにも目立つ人物に視線を向けたヨシュアは、ギョッとした。


「卒業してから全然、連絡くれないよな。警察官って、やっぱ忙しいの?」


「俺、お前と友達だった事ねえけど」


「あ、ホープ! 7sセブンスもいるじゃん。ヤッホー!」


 脳天気に手を振るナオミに、褐色肌の青年が振り返る。7sがガルガルしていた相手は、ヨシュアの初恋相手ホープだった。


 ちなみに。ヨシュア、ナオミ、ホープは同じ大学に通っている。勉強嫌いを公言していた7sは、亡くなった叔父に憧れて警察官への道を選んだ。


 ホープの金色の瞳がヨシュアを捉えた。罪のない笑顔とは、何故にこうも悩ましいのか。


「よう、ヨシュア。断ったって聞いたけど、来たんだな」


 振ろうとした手を7sがバチンとはたく。早足でヨシュアに歩み寄った彼は、少し乱暴に細身の腕を掴んだ。


 ビックリしていたのも相まって、思わず「痛い」と言ってしまったヨシュア。我に返った7sが、直ぐに手を離してうなれた。


「ごめん、ヨシュア。痛かったよな。ここまで来て貰って申し訳ねえんだけどさ。場所を変えないか」


「ええっ! 折角、準備してきたのに……」


 ヨシュアの言う準備とは、あくまで『初陣道具の準備』である。そんなの知る由もない7sが、怒られた大型犬かのように肩を落とした。垂れたケモ耳でも生えてきそうな勢いだ。


 シミュレーションを無駄にしたくなかったヨシュアが、真剣な眼差しで語りかけた。


「皆で楽しめば良いじゃないか、7s。今から場所を変えるって言っても、街は逆方向だぞ。(お前とホープの裸が見たい)」


 キングから散々指摘されていたヨシュアは、クズ願望を寸前で飲み込むと、筋肉の詰まった二の腕を取った。実力行使上等。裸が見たい。既に入園した二人の後を追う。


 一方の7sは、気持ちの切り替えが出来ず、重たい足取りを隠せなかった。そんな彼を助けたのは、他でもないヨシュアの発言だった。


「なあ、7s。でも、大丈夫だよな」


 珍妙な沈黙が束の間、流れる。次の瞬間こだましたのは、裏返った7sの声だった。


「スクッ、スク水!? クソダサ……じゃなかった、物持ちが良いんだな! あの……嫌じゃなかったらなんだけど、俺のを着ない? どれが似合うか決められなくてさ。お前に選んで欲しくて、何枚か持って来たんだ」


 向日葵ひまわりのようなブロンドが、夏の風に吹かれて揺れている。水の跳ねる音と、賑やかな声が園内から聞こえてきた。

 

 ヨシュアが過激表現の準備しかしていなかった間、恋する7sは水着一枚で悩んでいたのだ。しかし相手は、空気が読めない選手権でもあれば、世界ランク入り確実な男である。


「ありがとう。7sのだったら着れるよ。レンタルは苦手でね。流石に私も、スクール水着はどうかなと思っていたんだ。サイズが合わないだろう」


 問題はサイズじゃねえ。けれども無邪気に笑うヨシュアは、純粋に可愛らしかった。跳ねる黒髪をワシワシした7sは、すっかり気分を直してしまった。


 ――ま。プールデートで、ヨシュアの裸を見たかったのは事実だしな。気分を切り替えて楽しも。


 ――フフッ。7sの水着を貸して貰えるなんて。これはもう間接性行為と言って良いな。


 なべぶたという言葉がある。案外、お似合いなんじゃないかという二人は、似たような思惑を胸に、プールへと入園していった。

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