君が拾ってくれたから

@kubiwaneko

君が拾ってくれたから 前編

プロローグ『路地裏』



体の芯まで凍るような、突き刺す寒さの中。大通りには灯りが灯っており、人々は光の助けを受けている。だが、少し奥の路地裏に行けば、膝を抱えて震える少年がいるのだ。

雪がしんしんと降り積もる中、少年は必死に体温を維持しようと、この世界で生きようと足掻いていた。


「寒い……」


歯の根が噛み合わず、先刻からずっとガチガチと鳴っている。

河が見える。河には橋が掛かっていて、まるで少年を誘っているような雰囲気を醸し出していた。

そろそろ体温も奪われて、いずれ――、

誰とも関わらず、何にも触れず。世界を知らずに朽ちていく少年は、きっと『恨む』という感情すら知らずに死に伏せていただろう。――だが、


「こんなところに……子ども……?」


視界が薄れていく中、目の前に足が見えた。

頭上から、少し濁った低い声が聞こえて、それで、それから、それから――、


「……っ」


少年の意識はそこで途絶えてしまった。


            1


腰を降り、屈んで、少年を見る。

隅々まで洗ったら、きっと綺麗になるだろう白髪。

身長は膝を抱えて座った状態でも察することができるほど小さい。140ほどだろうか。顔はまるで神に愛されたのかと錯覚するほど整っていた。だがイケメンという部類ではなく、かわいい顔の部類だろう。


「おっと、ここまでやばい状態なんだ。早く助けないと」


首に右手を回し、左手は少年の両足。そのままお姫様抱っこのような形のまま、男は自身の家まで急いで、しかし慎重に帰っていった。



1章『だいすき』



カタカタカタと、何かが小さく振動する音で意識が戻った。

太陽ではない、人工的な灯りが、目を瞑っている瞼を貫通して光を届けてくる。その光を受けて、意識がしっかりと覚醒して――、


「ここ……どこ……?」


子どもの見た目に似合った、中性的な声。聞いているだけで癒やされるような声も、幼いが整っている顔も、どちらも困惑を映し出していた。

小さい部屋だった。6畳間ほどの広さに、キッチンや少年が眠っているベット、それに成人男性一人が使えるほどの大きさの机がおいてあった。キッチンも机の上も乱雑に物が転がっている。

そして部屋を見渡して、少年は気づいた。

――少年が眠っているベットの真横で、イスに座って夢を見ている男がいる。その座っているイスが先程の机に元々ついているイスなのだろう。

少年は音を立てないようにベットから抜け出そうとして――盛大に木の軋む音が部屋中に響き渡った。


「……っ!?」

 

男がまどろんだ表情をしながらベットを注視する。

そこにいるのは、気まずそうな顔をした少年が一人いるのみ。

男が口を開く。少年は何を言われるのか、と身構えるが――、


「目ぇ覚めたか! お腹減ってないか? 減ってたら何か作るけど……」


そう言った男はすぐに乱雑したキッチンの上にあるよくわからない物を床に落としに行く。

ガシャガシャとうるさい音が部屋に響くが、男はいつものこととでも言うようにまるで気にしていなかった。


「えっと……あの……」

「ん?」


少年が何か話したそうに口を開くと、うるさい音が止み、代わりに少年に視線が向いた。


「ここってどこ……? あと、お兄さん、誰……?」


男は身長が170後半ほどだ。黒髪に、翡翠色の双眸。肩幅は成人男性と同じくらいだ。

少しタレ目で、鼻筋がしっかりと通っている。

その目尻が少年の質問を聞いて数秒静止したのち――突然目尻が下がり、へにゃりと笑った。


「確かにそうだよな! ごめん、まず俺の自己紹介するわ」


なにか裏があったほうが安心できるくらいあけすけな態度と明るい声だった。


「俺はラーディンってんだ。宜しくな」


ベットの横にあるイスに再度座り、両手で両膝を叩きながら、男――ラーディンは自身の名前を明かす。

ラーディンは先刻からずっとニコニコしている。タレ目なのも相まって、物凄い物腰柔らかな雰囲気が醸し出されていた。


「僕……僕の、名前……」


益体のないことを考えているのは、少年が無意識に『名前』の話題から気を逸らす。だって、そうだろう。少年には、少年には――、


「多分……すてられてて……それが理由で僕、僕の名前わからない……んだ」


ラーディンは刹那だけ息を呑み、だがすぐに笑顔を取り戻した。人を安心させる優しい笑顔で、だがこちらを憂いている表情だった。


「そう……か。――まあ、でも君はこうして生きているんだ。元気を出してほしい! 俺は君を追い出したりしないぜ!」


騒々しく言って、ラーディンはしばし思案する。

何を考えているのか、少年にはまるでわからないが、少なくとも少年にとっていいことを考えているように、見えて。


「そしたら……」


十数秒後。ラーディンが人差し指を立てて、少年に提案した。


「君の名前を、俺と君で、一緒に考えよう」


少年は瞠目する。その目から読み取れる表情は、嬉しいとも、疑心ともとれるものだった。

頼れる人が、誰もいない世界で、少年は初めて世界が自分のことを見てくれた、そんな気がしたのだ。だが、少年は拙い思考でこうも考えた。

――何故はじめて会った僕にこんな優しくしてくれるのだろう。


「――俺、子ども大好きなんだよ」


瞬間、少年の目から心情を読み取ったのか、ラーディンは頬をかきながら少し恥ずかしげに呟いた。

ラーディンは言葉を続ける。


「子どもって、目に映るものなんにでも興味をもつし、行動力もすげえ。――それは、年取っちまった俺にゃできねえことだ。だから、子どもを尊敬してるし、大好きなんだよ」

「――」


口をぽかんとあけて、無言で何度か瞬きする少年を見て、「ちょっと難しい話だったか。わりぃな」と言ってラーディンはイスを机の前に移動させ、なにか作業を初めてしまった。


「だいすき……」


少年も、その意味はわかる。

ベットの中に潜り込んで、少年はラーディンから表情を無意識に見られないようにして――、


「へへへ……だいすき……かぁ……」


心底嬉しそうに、そう呟いた。



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温かい感触を感じながら目が覚める。

記憶喪失になってから捨てられて2日ほど。

温かい空間とは、こんなにも人の心を癒やすものだったのだと、少年は心から思った。


「――お、起きた? もう飯作っといたぜ!」


声のする方を見れば、ラーディンがキッチンで何かを作り終わったところだった。

眼前に出されたラーディンの料理を見て――否、これは料理などではない。


「なんで青色……それに野菜そのまま入ってるし」


頬を引きつらせながら少年は抗議した。

ラーディンは不服そうな顔をしたが、2日間なにも食べていなかったとしてもこれを食べては致命傷を負うと、本能が訴えていて――、


「……職場に料理うめえやつがいるから、そいつに食わせてもらうか?」 

「食えるものなら、なんでもいいよ」

「おっし決まりだ!」


そう言って立ち上がったラーディンについていく少年。その少年にラーディンは不意に振り返り――、


「そうだ。君の名前、サクフィっての……どうだ?」


ニコニコとした顔をしながら、ラーディンが少年に問うてくる。

少年は少し驚いたあと


「ありがとう。大切にするよ……!!」


心底嬉しそうに、本当に喜んで、少年――サクフィは眩い笑顔をラーディンに見せた。


「喜んでくれて、俺も嬉しいよ。じゃ、飯食いに行くか、サクフィ」

「うん!」


頷いだサクフィにラーディンは防寒着を手渡した。何がなんだかわからないサクフィを見てラーディンは苦笑し、頭を撫でて言った。


「この町、今日から『寒期』が本格的になるんだ。サクフィは昨日拾われなかったら危なかったんだぜ?」

「ほんとに? ラーディン、拾ってくれてありがと!」

「――ッ」


純粋無垢な表情のサクフィから目をそらすラーディン。その手からサクフィは防寒着を受け取って、袖を通す。

ピッタリだ。

そしてラーディンに続いて外に出る。


「え……」


――辺りは全て雪が積もっていて、美しい銀世界だった。


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ラーディンの家は小高い丘にぽつんと建っていて、周りにはちらほらと木が生えている。以外と木は大きく、横幅が人一人ほどある。

丘から下を見下ろせば、灯りが大量に使われた町が見えた。 

――サクフィはあそこで捨てられたのだ。


「サクフィ、そっちじゃねえぞ。逆方向だ」


町を見ていたサクフィの背中に声が届き、サクフィはラーディンの後ろを着いていった。

見たところ雪は降っていないが、多分思った以上に積もっている。

流石にここまでやばいとは思わなかった。

もう少し軽い雪かと、サクフィは思っていたのだ。――結果的にそんな妄想は現実に打ち砕かれたが。


「ラーディン、待ってよ、待ってってば!」

「ん、あぁ悪い。まだお前慣れてねえよな」


慣れた様子で銀世界を踏みしめて進むラーディンはサクフィの方に振り返り近づくと――サクフィを肩車した。


「うえ!? ちょ、ラー……」

「寒期に慣れないうちはこれが一番。俺も昔やってもらったぞ」


さも当たり前のように肩車をしたラーディンは、それをした理由を説明した。その説明にサクフィは「そ、それなら……」と納得する。

自身の足で歩かないだけで大分楽になったが、その分ラーディンはきついはずだ。雪で足を取られる感覚はわかったし、頑張れば歩けそうだった。

やはり肩から降りて歩くと、そうラーディンに伝えようとした直前だった。


「サクフィ、着いたぞ。ここだ」


そう言われてサクフィは辺りを見渡すが、周りには何もない。――強いて言うなら、目の前に他と変わらぬような木が生えているだけだ。


「もしかして、この木……?」


ラーディンに聞く気はなく、ただ口の中で呟いただけだったが、ラーディンはサクフィの疑問に気づき、その首を縦に振った。


「ここの地面に……あ、あったあった」


なにかぶつぶつと言いながらラーディンは木の根本らへんをいじくりまわす。その、次の瞬間。――人間が一人通れるほどの横幅の木にドアが表れたのだ。


「行くぞ、サクフィ」


肩から降ろされて、ドアが表れた気に対してぽかんと口を開けるサクフィの手を引いてラーディンは躊躇なく中に入っていった。


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下りの階段を降りて行くと、目の前に分厚い鉄のドアが見えてきた。下りの最終地点という合図だろう。

カツカツと、硬い床を歩く音が響く。電線は通っているから灯りには困らないが、少し急な階段だったからサクフィはいつ踏み外してしまうかヒヤヒヤしていたのだ。

ラーディンはその鉄のドアのドアノブを捻ろうと手を伸ばす、瞬間。――ドアがひとりでに開き、その隔てりがなくなって現れたのはラーディンより一回り小さい男だった。


「――」


メガネをかけていて、紫色の長髪。レンズの奥にある目は髪と同じく紫色で、その下には何日連続で徹夜すればできるのかわからないほどのくまがあった。

――無言でラーディンとその男は視線を交わす。紫色の双眸と翡翠色の双眸が互いに互いを見つめ合う。

何秒経ったのか、はたまた既に数十秒過ぎているのか、サクフィにはわからなかった。――だから、


「ラーディン、この人誰……?」


と、サクフィが無言の時間を終わらせた。


「あ、ラーディンが言ってた子って君か。ごめんごめん、ラーディンが無駄に体格でかいから気づかなかったよ」


――澄んだ水のように、透き通った声だった。だがその声に見合わず発言の内容はラーディンに対してのからかいが含まれている。


「熊みたいに体格がでかいってか?」

「いや筋肉バカって意味」

「お前なあ!」


流れるようなやり取りにおもわずサクフィはくすりと笑ってしまった。


「ほら俺の拾ったサクフィがこんな悲しそうな……あれ笑ってる!?」

「ふっ……ははは……サクフィくんもラーディンが筋肉バカってのは認めてるんだろう」


肩を震わせながら言う男。その内容の、体格がいいというところには共感するが、今ここに来た目的は違うのだ。


「あ、あの……」

「なんだい?」

「僕、食べられるご飯が欲しくて……」

「……あっははは!」


腹を抱えて笑う男を傍観していたサクフィだが、ラーディンは傍観せずに躊躇なく拳を男に振り下ろした。



「――さて、まず自己紹介をしようか」


冷静な風に話しているが、頭に先刻のラーディンから食らった拳でできたたんこぶがあるせいでいまいち締まらない。

男はメガネの位置を調整して、言った。


「僕はルフレ。ラーディンと、とある実験を進めている最中なんだ」


微笑んで、男――ルフレは、そう名乗った。


「僕は……」


サクフィも名乗ろうとしたが、お腹から出た音が自己紹介の時間をぶつ切りしてしまった。


「まあ、まずはご飯を作ってあげよう」


透き通った声でくつくつと笑って、ルフレは部屋の奥に歩いていく。

その数十分後、湯気を上げるコーンスープとパンの匂いが部屋中に充満して、サクフィはすぐにそれを平らげた。その後同じものを4杯ほどおかわりした一幕を挟みつつ、今度こそサクフィはルフレに自己紹介をした。


「僕、サクフィって言います。捨てられてて、ラーディンが拾ってくれて、サクフィって名前を付けてくれたんです」


口にコーンスープの残りが引っ付き、それに気づかないままサクフィは自己紹介をした。


「そう……か。それは不憫だったね。ラーディンは顔だけ物腰柔らかだから、コイツに拾われたのは幸いだったね。まあ、それ以外はラーディンにいいところがないと思うが」


手に持ったコーヒーを啜り、サクフィへの慰めとラーディンへ皮肉を送る。

先程からずっと何か作業をしていたラーディンの耳がぴくっと動いたが、一度深呼吸をしたあとまた作業を再開した。

――少し面白い。


「ここがなんだかわかるかい? サクフィ君」


そう言われてサクフィは周りを見渡した。

部屋としては、25mプール一つ分ほどある大きい部屋だ。

ただ、居住スペースはそのうち半分ほど。残りの半分はガラスの壁で遮られていて灯りもついていなく、何があるのかすら分からなかった。

壁は全面白色で、サクフィとルフレは壁際についているカウンターのような場所で同じ方向に並んで話をしていた。

因みにラーディンはガラスの前にある机に座って作業をしている。


「なん……だろ。わかんないや」


部屋を見渡しても一切何もわからず、サクフィは音を上げる。

その様子を見て、わからないのが当たり前というような表情をしながらルフレはサクフィに問の回答を伝えた。


「人のためになるものを作ってあるんだ。ただ、無闇矢鱈にそれに触れられると暴走してしまうからそれを防ぐためにガラスで遮っているのさ」


あまり答えになっていない気もしたが、ルフレはこれ以上は答えてくれない気がしたから、サクフィはそこで疑問をストップさせた。

ラーディンは机に突っ伏して寝ている。


「あぁ、そうだ。サクフィ君に頼みたい事があるんだが」

「なんですか?」


顔を上げて、サクフィはルフレの目を見た。

宝石のような紫色の目だが、何か後ろ向きな――、


「人のための装置だから、少し人のデータを取りたくてね。ラーディンと僕は既にデータを取ったから、他の人のものが欲しかったところなんだ。」


「協力してくれるかい?」と微笑むルフレの笑顔からは裏があるようには感じられなかった。だから、サクフィは気前よく了承した。


            4


部屋の中央に出されたのはまるで処刑用の電気イスだった。イスの後ろから伸びている導線は全て天井に吸い込まれていっている。

いざ座ってみても痛いなんてことはなく、逆にイスから放たれる心地よい熱で眠くなるほどだ。

――うとうとして、2時間ほどだろうか。


「よし。もういいよ、サクフィ君。」


肩をゆすられて起きたサクフィは、これが人のためになると思うと心がポカポカした。


「今日で全てのデータが取れた訳じゃないから、明日もよければここに来てほしい。……まあ、ラーディンが飯を作れない以上僕が作って、そのついでと思ってくれればいいさ」


ルフレはサクフィの頭を撫でながら言う。


「おし、じゃそろそろ俺たちは帰るか」

「バカでも時間は理解できるんだね?」

「ぶっ飛ばすぞお前」

「あはは」


からかわれるラーディンはサクフィの手を引いて鉄のドアに手をかける。

ご飯も食べさせてもらえるし、世のためになるなんて、なんて素晴らしいんだろうか。そんなことを思いつつ、サクフィはラーディンと共に6畳間の家に帰っていった。


「ね、ラーディン」

「ん?」

「僕のこと、好き?」

「……あぁ、勿論」


そんなやりとりをしながら、サクフィとラーディンは家に帰る。



鉄製の分厚いドアが閉められ、ルフレは小さく、だが確実に――口の端を歪めて笑った。


「驚いたな。……このタイミングであんな収穫物が手に入るとは」


と、そんな言葉も共に。


2章『あなたが拾ってくれたから』



それから、時間はゆったりと、しかし着実に流れていった。

ラーディンから出される料理を食べてしまってはたまらないと、サクフィは料理をルフレから学び、ルフレはサクフィのデータを毎日とった。

ラーディンはルフレにからかわれ、そしてルフレもラーディンもサクフィのことを大事にしていた。

ルフレとラーディンに常識や、言葉。色々教えてもらった。子供だからか、教えられた物事をサクフィはスポンジのようにぐんぐんと吸収していった。

いつまでも、3人で笑い合う。


その間には、絆があると思っていたのだ。

――少なくとも、サクフィは。


           1


その日は、ラーディンが教えてくれた『寒期』から2ヶ月ほど過ぎたある日のこと。

そろそろ気温が上がり、丁度いいくらいの気温になってきた季節。

一つしかないベットを今日もラーディンに譲らせてしまった罪悪感に心を傷ませつつ、ラーディンより早く起きるサクフィは朝ごはんを作り始める。

サクフィのおかげで、キッチンも机も、すっかり綺麗になっている。


「……ふあ……ぁ」


キッチンで料理をしていると、後ろから寝起き特有の声がした。――ラーディンだ。


「ラーディン、おはよ」

「おお、おはようサクフィ!」


「今日も良い一日にしようぜ!」と寝起きの時点で全力のラーディンから元気を貰って、サクフィは丁度出来上がった朝ごはんをラーディンに提供した。

その時の、サクフィに気づかないときのラーディンの表情が少し固いように思えて――、


「あ、ラーディ……」

「うお! もう朝飯か。いつもありがとうな、サクフィ!」


でも、そんな顔も刹那で消え去り、その後出てきたのは物腰柔らかいいつもの笑顔だ。

きっと気の所為だと、サクフィは心の中で結論づけて。

「んああー! 今日もサクフィの朝飯が美味かった! ごっそさん」


両手を合わせて、ごちそうさまをしてくれるラーディンの表情は、やはり少し固かった。


「んじゃ、ルフレんとこ行くか」


笑顔でそう言われて、サクフィは付いていく。

寒期にもすっかり慣れ、転ぶ危うげのない様子でサクフィは歩く。


「あ、ラーディン」

「お? ……あぁ。好きだよ」

「……へへ」


あのやりとりは、サクフィとラーディンにとって、いつの間にか日課のような存在になっていた。

そしていつも通りの道を通って、いつも通り木の前で立ち止まる。いつも通り下りの階段を降りて、中からでてくるのはいつも通りくまがあるルフレだ。

だが、ルフレの表情はいつもより明らかに喜んでいた。

何があったのかと、サクフィが聞こうとする前に、


「サクフィ君! 聞いて驚け! 前々から言っていた装置が遂に完成したぞ!」


珍しく興奮冷めやらぬ様子で、ルフレは笑顔でサクフィに話す。

ルフレに先導されてサクフィは部屋に入る。ラーディンは迷ったような表情を時折見せるが、サクフィが視線を向けるとすぐに笑顔に戻ってしまう。――何か、あるのだろうか。


部屋にはいつもの電気イスのようなものが設置されている。

最初は不安だったが、もう何度も経験していて不安はない。


「君のデータをとるのも、今日で最後だ。長かったようで、短かったようで……いや、長かった、な」


――それは、余人が測ることのできないほどの感情が込められた言葉だった。

サクフィも、ルフレのそんな感情の込もった言葉を聞くのは初めてだった。


「いつも通り。いつも通りイスに座ってくれ」


透き通った声は、サクフィに指示を出す。

サクフィはいつも通りイスに座り――そのイスがサクフィの手足を拘束した。


「え」

「あぁ、勘違いしないでくれたまえ。少々痛みを伴うのでね。これが最後だから、許してほしいよ、サクフィ君」


嫌な予感がする。

不可解を飲み込めないまま何度か瞬きをするサクフィの目の前で、イスはそのまま、突如として、部屋を隔てていたガラス壁が全て割れた。


「――ッ!?」


その、隔たれた奥から表れたのは――、


「……魔法……陣……?」


サクフィでも、一目見れば異様とわかる雰囲気を垂れ流している、禍々しい魔法陣が、ガラスで隔たれた先にはあった。

その魔法陣は段々とサクフィの方に近づいてきて、サクフィの位置が魔法陣の中心になった途端、動きが止まった。


「……ッ」


言葉が出なかった。

不安で胸が詰まりそうだった。

――だから、大好きな人に助けを求めた。


「ラー……ディン……僕のこと、好き? これが、世のためになるの……?」


涙で目を潤ませながら、サクフィは自分の大好きな人に、安心を貰いたくて再度問いかける。今日はもう、聞いたのに。

これ以上、言葉で示させるのは、欲張りな人間のすることなのに。


「――。――――――。――あぁ。それが、世のためになる」

「――そっか。なら、大丈夫」


不安な気持ちが全て晴れ、清々しい気持ちで魔法陣を迎え入れる。

そのサクフィの返答を聞いたラーディンは、酷く心が掻きむしられたような、何かをものすごく悔やむような、そんな表情で。

――貴方が大丈夫だと言ったのに、そんな悲しそうな表情をしないでほしいと、身勝手に人の感情に感想を漏らして。


「ラーディン。君ができると言ったんだ。今更そんな表情をするな。――これは僕の生涯を賭けた勝負なんだ。君の一時的な感情には邪魔されたくない」


冷酷に、非情に、冷たく言い放ち、ルフレは魔法陣に自身の血を1滴、垂らす。――刹那、人間の本能が警鐘を鳴らすような音と光が魔法陣から発生すると同時にそこから現れたのは、スライムのような物体だった。軽自動車程の大きさで、意志があるかも疑わしい、そんな――否、スライムから大人の頭すら覆えそうな手が伸びてくる。そこには明確にサクフィを喰らうという意志があった。サクフィはそれに自身が飲み込まれると幻視する。

だか、心は穏やかだった。何故なら、


「ラーディンが、大丈夫って言ったから」


サクフィにとってラーディンは親であり、教えの師であり、指針であり、目標だった。

あの日、ラーディンが拾ってくれたから、今のサクフィはいるのだ。だから、だから――


「じゃあ、またね。ラーディン」


――悲しそうな、悲痛な表情をするラーディンに、せめて元気が出るように笑顔を送る。

次の瞬間、イスを丸ごと覆った異形のスライムの手が、サクフィを飲み込んでいた。

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