第19話 本番当日




「ありえないからっ! ママのばかあ!」



「だって、2人でぐっすり眠ってるから!! 起こしちゃかわいそうかなって思って……」

 愛衣ちゃんのお母さんはオロオロと呟く。

 真咲はそんな愛衣ちゃんの寝起き第一声を背に、飯野君からの電話をおそるおそる受けた。

 あと少しだねってところで仮眠をとるつもりが思いっきり寝過ごしてしまい、今電話がかかってきたのでその音で二人は起きたのだった。

 真咲ははっと時計を見た瞬間、遊園地のバイキングに乗った時みたいに心臓が妙な浮遊感に包まれる感覚を味わった。

 愛衣ちゃんは「いやあああああ」っと思いっきり頭を抱えて叫ぶ。

 そして、その次に冒頭の「ママのばかあ!」の台詞に至る。



――現在、12月18日、午前10時32分50秒をお知らせします。



 お遊戯会はすでに開幕されているのだ。

「もしもし!」

「飯野君……もういま、どこ?」

「会場だけど……どうしたの?」

「愛衣ちゃん、頑張ってどれぐらいで仕上げられる?」

「1時間っ!」

 愛衣ちゃんは涙目で残りのドレスを手にして叫ぶ。

「あと1時間で仕上げられるみたい」

「取りに行くよ」

「先にもう一着の姫ドレスのパニエをこれからあたしが届ける。中にもう一着着せないと駄目なんだって」

 すると電話向こうで声がする。

「真咲ちゃん。オレがとりにいく」

 ガンちゃんが飯野君の携帯に出る。

 一着は真咲が届けるとしても、もう一着はギリギリだ。

 桃菜ちゃんの泣き顔が浮かぶ。

「桃菜ちゃん泣いてる?」

「斉藤さんたちが一生懸命、メイクして気をそらせてるから!」

「わかったとりあえず、あたしは今からそっちへ出るから」

 じゃ!っと2人一緒に電話を切った。

 愛衣ちゃんはミシンの電源を入れてガタガタガタっハイスピードで残りのパーツを縫い合わせていく。

 真咲は愛衣ちゃんのお母さんに紙袋をもらって、そこに、できたての、パニエ二着を入れてもらい、その隙に顔を洗って、制服に着替える。朝ごはんは? という言葉を振り切って、紙袋を持って、玄関へ向かう。

「お邪魔しました! またきます!」

「真咲ちゃん、ごめんねっ。ごめんねっ」

「焦らないで、落ち着いて! 愛衣ちゃんならできるから大丈夫!」

「うっ、うん」

「ガンちゃんが来るからね! 頑張って仕上げてね!!」

「うん!」

 真咲はローファーに足を入れて、玄関のドアノブを回して、外へ飛び出した。

  



 愛衣ちゃんの家から駅近くにあるキラキラプラネットホールまで、だいたい徒歩20分だ。 


 真咲はバス停沿いの道を走る。本当はもっとショートカットで駅までいけるのだが、偶然タイミングよく、バスが通るかもしれないと踏んで、駅前までのバス通りを選択した。

 二つ目の停留所で駅行きのバスが滑り込んでくるのを見て、真咲はバスに乗りこれで少しは早めに到着できる。

 駅前終点でバスを降りたところで、「真咲ちゃーん」の声が聞こえた。声のする方に顔を向ける。

「ガンちゃん!」

 もう、この声を聞いただけで、いろんな気持ちが真咲の中でぐるぐる回る。

 せっかくここまできたのに、寝坊して台無しにしてごめんとか、ガンちゃんがこうして来てくれてどこか安心したとか、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「できた?」

「ううん、一着なの、今、愛衣ちゃんが、縫ってるのっ」

「っし、オレがとりに行くから、真咲ちゃんはそれを届けてな?」

「ごめん、ガンちゃん、ごめん」

 自分たちが眠りこけなければ。

 最後まで縫い終わってから眠れば、こんなことにはならなかったはずなのにと思うと、真咲は目頭がじわっと熱くなる。

「大丈夫、泣くほどのことじゃないから」

「だって」

「待ってるから。みんな。行って」

「う、うん」

「オレが、ちゃんと愛衣ちゃんからうけとったら、チャリ鬼漕ぎして戻るからな。真咲ちゃんはそれを届けて、な?」

 やっぱり不思議だ。

 ガンちゃん言葉には何か魔法がかかってるみたいだ。

 ぐるぐるしてた思考が落ち着く。

「うん」

 ごしっと拳で真咲は涙を拭うと、紙袋を抱えて、キラキラプラネットホールへと走り出した。



 プラネットホールのロビーで、学生服の一段は一際目立つ。

 真咲が声をかけるよりも早く、みんなが真咲に気がついた。

 ロビーは暖房が入っていて、寒い中を走ってきた真咲は一気に暑いと感じた。

「まさきちゃん」

「……」

「もも、ごめ……あいちゃんが……まだ……」

「大丈夫、お昼には間に合うから、菊池さんのお母さんから電話があったよ。で、いま橘先生が、おやゆび姫を公演のラストに持ってきてもらえるように、交渉中で光一がついてくれてる」

 真咲は一気に力が抜けて、リノリウムの床にヘナヘナヘナっと座り込んだ。

 斉藤が美容師さんのごとく、ヘアアイロンや、スプレーやメイク道具を抱えて、飯野君の傍に立ってた。

「ほら、出来立てのその姫ドレスのパニエをよこして」

「斉藤……中に、パニエ……入ってるから」

「着せるんでしょ? ドレスふわっとさせたいんでしょ?」

 真咲はコクコクと頷く。

「先生に渡してくるから」

 紙袋を渡すと、真咲のお腹がグルグルキュルルと情けない音をたてた。

 斉藤は呆れた顔をして、飯野君は苦笑する。

「あ、お弁当用に、持ってきてるおにぎりあるから」

「い、いいよ」

「遠慮しないで。コンビニで買ったやつだし、みんなの分も買ってあるんだ」

 飯野君がロビーの隅にある私物バックからおにぎりを取り出して真咲に渡す。

「食べて、元気だして、桃菜の泣き攻撃は体力勝負だよ、あいつも結構我慢がピークだしな」

 真咲は頷く。キュルキュル鳴るお腹にせかされるように、ぺりぺりとテープを外して、おにぎりを口にした。

 具はツナマヨだった。口の中に広がるマヨネーズ味は神だと真咲は思う。

「ったく腹は鳴らすし、髪の毛は跳ねっぱなしだし? 100年の恋も醒めるっつうの。岩崎のヤツがいなくてよかったね」

「……途中で逢ったよ」

「そのナリでかっ!?」

 斉藤はそういうと真咲の頭にスプレーを噴射させる。

「なっ」

 あたしゃゴキブリかー!っと叫びたいけれど、そんな力はもう真咲には残っていない。

 ただじたばたするだけで、それこそまるで虫のごとくだったが、斉藤が一喝する。

「動かないでよ!」

 ぴたりと真咲が動きを止めた。

「んとにもう。前から思ってたんだけどさ、あんた絶対毎朝ブローしろ! でなきゃ跳ねは直んないわよっ!」

 真咲の髪に櫛を入れて、ドライヤーのスイッチを入れる。

「さっきね、斉藤さんがね、合奏前に桃の髪をキレイにしてくたんだ。桃はご機嫌だったよ。爪もやってくれたんだ」

 飯野君が言う。

「幼稚園児の爪ちっちゃくてラインストーンちょっとしか付けられない」

「そこまでしたのか」

「幼稚園児でも女子は女子、キラキラには弱いっていうの」

 ドライヤーやヘアアイロンやワックスとかで斉藤は真咲の髪を弄る。

 そして仕上げに、ヘアピンをクロスさせて、サイドの跳ねた髪をなんとか押さえつけた。

「まさきちゃーん」

「も…も……」

 桃菜ちゃんが、真咲に飛びついてくる。

「ももなね、おうたね、がんばったよ。がっそうもね、がんばったよ。ねんちょうさんだから、がっそうは『どらごんはんたーのてーま』で、むずかしいけど、がんばったんだよ。こういちおにいちゃんが、びでおとってくれたから、みてね?」

 真咲はうんうんと頷く。

「まさきちゃんも、まきおねえちゃんにかみのけくるくるしてもらったの? ももなもだよ? かわいいーねー」

 真咲は桃菜の手を握る。

 やっぱり桃菜の手はちいさくてもほんわりとあたたかった。

 館内アナウンスが流れる。

「これにて、さくら幼稚園クリスマスお遊戯会午前の部を終了します。

 午後の部は12時30分から開始されます」

 午後一のプログラムを、先生が最後に変えてくれた。

「昼ごはんの場所取りをしよう。ロビーに敷物強いてお弁当広げてOkだから、もちろん外食する人もいるからそんなに混雑はしないんだ。家が近い人は自宅に戻って食べるらしいし」

 飯野君は手馴れた感じで大きいビニールシートを広げて、場所を確保すると、桃菜は靴を脱いで端っこをなでてぴんとさせる。

「おねえちゃんたちもどうぞー」

 おままごと感覚である。斉藤と飯野君と真咲がビニールシートに座ると1組の女子もやってくる。

「真咲ーあんた!」

「重役出勤かよ!」

「しかもおにぎり食べてっしー」

「ずーるーいー」

 混雑してくるロビーを見て、もう昼ごはんの時間なのかと真咲はようやく覚醒した頭で考える。

 眠気は醒めた。

 愛衣ちゃんは間に合うだろうか。

 寝起きですぐにミシンに電源を入れて高速のスピードで縫い始めたけれど……。

 そんな真咲の心配を他所に、どんどん時間は過ぎていく……。

 昼休みが終って、午後の部が開始時間が近づくと、出番が繰り上がりになったライオン組さんの出し物「不思議な国のアリス」主役のブルーのワンピースにエプロンドレスを着たアリス役の子が廊下を横切り始めた。

 みんなで軽い昼食を終えて、すぐにシートを片付ける。

 光一は飯野君を呼んで、ビデオの様子を確認してもらっている。


 真咲は桃菜の手をつないでプラネットホールのエントランス、自動ドアを出たり入ったりして、ガンちゃんを待った。



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