第6話 菊池愛衣ちゃん



 真咲は片手に給食のトレイを持ったまま、もう一つ手で会議室のドアを開けた。

 そしてその体勢で「失礼しまーす」と声をかける。

 会議室の一角にいた女子生徒が、その一連の動作に注目して、おどおどした表情で真咲を見ていた。

 会議室のドアを閉めると、真咲も目当ての女子生徒の顔を見る。


 ――初めて菊池さん見たけど。美人じゃん。


 保健室が似合いそうな身体弱そうな儚げな美少女というイメージ。

 色白で、真っ黒い髪は切りそろえられた黒いストレートのセミロングヘア。

 大きくてつぶらな黒目の瞳は、バンビちゃんみたいだ。

 制服の袖から覗かせる手首も細い。

 昨日お近づきになった飯野君と並んだら、ちょっとお似合いかも? などと真咲は思った。

 菊池さんは、まさか自分以外の生徒がここに給食持ってやってくるとは思わなかったようで驚いている。


「菊池さん」


 真咲が声をかけると、彼女はびくぅっと身体を硬直させた。

 不安げな表情は真咲が声をかける前よりも、更に濃くなっている。

「頼みがあるの」

真咲の言葉に、不信を顕わにして、彼女が口を開いた。、

「……あなた……誰? 同じクラスだっけ?」

「ううん、隣のクラス。1組の鎌田真咲。よろしく」

「なんで隣のクラスの人が……わたし……誰とも話したくない」


 そう云うと、席を立とうとする。

 真咲はまあまあと、トレイを机の上において、両手で座るようにジェスチャーをする。

 さっきの社会科の中澤先生の目論見はわかる。このことを切欠に、彼女を保健室から通常の教室に戻したいことは。

 しかしだ。

 そんな先生の思うとおりに行くとは思えない。

 世の中も彼女の心もそんなご都合主義じゃないし、こっちも時間はないのだ。

 だから、あえて、先生の目論見は気づかないフリをして、本当に個人的なことだけを彼女に伝えようと思った。


「別に、教室に行けとか云わないから、あたしの話を聞いてよ。手伝って欲しいのよ、放課後でいいの、時間ある?」

「……ナニを手伝うの?」

「菊池さんと同じクラスの飯野君のさ」

 飯野君の名前を出せば、多分どんな女の子もポーとなると真咲は思っていたが、目の前にいる菊池さんは、さっと顔色を変える。

 赤ではなく青に。

 その表情の変化を見て、真咲は「なんで?」と思う。

 飯野君は顔だけではなく妹想いのいい子だと昨日認識したのだが、目の前の彼女にとっては違うのだろうか?


「い……飯野君?」


「そう、梅の木中のアイドル、飯野君のね」

「……もう近づかないし、だから保健室にいるのに……」

「はあ?」

「飯野君には近づかないって云ってるの!」

 いきなり強い口調で言われて、真咲は、目を見開く。

「なんで?」

「なんでって……、そっちこそなんで飯野君なのよ、知っててきたんでしょ?」

「知らない。あたしは、菊池さんの家庭科の成績、特に実技がいいのを記憶していたので、それでお願いにきたの」

「家庭科の実技と……飯野君と……なに? なんの関係があるの?」

「飯野君が母子家庭でお母さんが入院して、妹と2人なんだけど、お遊戯会の衣装を作るの大変なのよ、で、いきさつは省略するけど、その飯野君の妹のクラス全員のお遊戯会の衣装をうち等が作ることになったのね。そこで、菊池さんに手伝って欲しいのよ」

「お遊戯会の……衣装……」

「ウチのクラス大半は手伝いに名乗りをあげてくれてるんだけどさ、やっぱ1人ぐらいは、お裁縫が上手い人とかいた方が心強いじゃん? 作品展示会に提出したパジャマって、菊池さんが作ったんだよね、もしかして、やっぱちょっとはお母さんに手伝ってもらったりした?」

「お母さん、裁縫苦手だもん、わたしは好きだけど……」

「うわーじゃ、アレ、やっぱ菊池さんが作ったんだー。すごーい。お願い手伝ってよ!」

「なんで1組の人がやるの?」

「飯野君とガンちゃんが友達だから」

「ガンちゃん?」

「そう、ガンちゃん。岩崎厳太郎君」

「2組の子は参加してないの?」

「うん。なんで?」

「……2組の子が関わるなら、手伝いたくないから」

 彼女が保健室に引きこもった理由は、どうでもいいかと思っていたが、こうなると知りたくなるのが人情だ。

「ナニが原因で保健室教室なのよ。理由を知りたいな」

「……」

 菊池さんはうつむく。

「云いたくないの?」

「云っても信じてくれないし……」

「いいからとにかく理由をプリーズ」

「……」

「ぶっちゃけ正直、菊池さんが不登校になった理由は興味ない。うちらはあのお遊戯会の衣装が期限内に作れれば問題ないの。だから菊池さんが手伝うよって言う一言が欲しいだけ」

 一方的な真咲の発言に菊池さんは目を丸くする。

 でも、彼女は逆に真咲の言葉を信じたみたいだった。


「飯野君のボタンをつけてあげたのが、原因なの」


 飯野君のとれかかってた制服のボタンをつけてあげようとしたらしい。

 裁縫が得意な彼女のことだ、別に飯野君に限らず、他の誰であってもやってあげただろう。

 が、相手は飯野君だ。

 この学校のアイドルである。

 この現場を見た2組の女子の一部がそれを見てやっかみはじめた。

 最初は冷やかしだったに違いない。しかし、彼女のこのルックスと飯野君のルックスを並べてみれば、絵になるだろう。

 ビジュアル的には美味しい。

 この彼女の美貌が仇となったのだ。冷やかしがやっかみに、そして小さなイジメに変化するには時間はかからなかったに違いない。

 ささいなことが切欠で、ある日突然変化するのが学校生活というものだ。


「最初は、冷やかされたの、男子に……でも、それで女子が面白くなかったらしくて、いろいろされるようになって……」


「証拠を残さず、えげつないことをするからなあ」


 真咲の言葉に、彼女はコクンと頷く。

 ただ、不幸中の幸いは、加減を知らないクラスの女子のイジメ行為がエスカレートするだろうという時期に、上手い具合に夏休みになってくれた事だった。

 そして夏休み明けにはもう学校には登校するのを拒否し始めたのだ。

 それでさっき飯野君の名前にも拒否反応が出たのかと真咲は納得した。

 彼女の気持ちはわかる。

 自分が彼女の立場だったら、飯野君に罪はないが、不登校になった切欠の人物だ。

 放って置いてほしいし、絶対関わりたくないなと思う。


 ――わかるっ! わかるけど~こっちも藁をも掴む状態なのよっ。


「だから、いいよ、教室に戻らなくても!」


 中澤先生ごめんなさい、あたしは、彼女の通常の教室へのカムバック作戦よりも、今、「お遊戯会」のことで頭も心もイッパイイッパイです。



 ――まとめてよ、オレ等といっしょに……。



 昨日の、薄暗闇で笑ったガンちゃんの顔を思い出す。

 不覚にも、ドキンとした。

 ガンちゃんが……喜ぶ顔がみたい。

 それには、この目の前の彼女のOKの一言が欲しい。


「そんな状態じゃ戻りたくないもんね、あたしだったら戻らないよ。けど、どうしても手伝って欲しいのよ~ガンちゃんの手をミシンで縫いつけるわけにはいかないのよ~!」

「針で手を縫うって……」


 菊池さんは呆然と呟く。

 そりゃ、あのパジャマを作ってしまえる彼女からしてみれば、ミシンで手を縫うなんてありえないことだろうけど、ガンちゃんはまさにその覚悟で今回の件に関わっているのだ。


「お願いっ! あたしに出来る事はなんでもしてあげるから手伝って~」


 指を組み合わせたお祈りポーズで、どっかで聞いたことのある口調だなと思いつつも、真咲は菊池さんに言い募ったのだった。



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