3
「え、えっと、じゃあ白川くんの席は……」
何とも
困惑するのも、無理もない。こんな強烈な編入生が来たら、対応に困るだろう。編入生ならぬ、変入生だ。ドン引き必至の自己紹介である。
確か来栖先生は、この学校に赴任してきてまだ日が浅いのでは無かったか。担任を務めるのも、このクラスが初めてなのだと、入学当初言っていた気がする。
そんな生徒を纏めるのにも慣れていない来栖先生にとっては、編入生である白川雪斗は脅威そのものだろう。同情を禁じ得ない。
「あっ!」
そこで運が悪くも、来栖先生と目があった。嫌な予感がする。
「遠海さんの隣が空いてるわね! 白川くん、この列の一番後ろ、窓際に座ってる彼女の隣を使ってくれる?」
来栖先生は白川にそう言って、私の席の隣を指差した。
私の隣は、確かに空いている。しかし、空席では無く空白だ。机と椅子も何も存在しない、一席分の空白。机と椅子は、教室の後ろ、掃除用ロッカーの隣に乱雑に積み上げられている。
来栖先生から指示を受けた白川が、僅かに上履きの踵を床に擦りながら此方に歩いてくる。そして誰に目もくれる事無く、積まれた机と椅子を崩し始めた。
私と同じ様に、隣の席が空白の場所は幾つかある。それこそ、二列隣なんて教卓から見えやすく、更には男子の列が余っているのだから――私の列も同じだが――最適だろう。だというのに、何故来栖先生は彼を私の隣に遣ったのか。それには、おおよその察しが付いていた。
私は、会話が出来ない。いや、正確に言えば声を出す事が出来ない。
心因性失声症。喉や声帯など、発声に関わる部分に何の異常も認められないのに声が出なくなるもので、転換性障害とも言い精神病にカテゴライズされる病だ。自身の意志では声が出せない為、私は筆談でしか人と会話をする事が出来ない。
つまり、彼の無鉄砲と言うべきか、不躾だと言うべきか、そんな自己紹介を聞いて、周囲の生徒とのトラブルを危惧し、比較的大人しい私の隣に彼を遣ったのだろう。
冷淡少女の私であれば、彼とトラブルを起こさないと思ったからだ。
実際、クラスメイト数名――主に男子生徒――が自席から振り返り、私の隣で机と椅子を組み立てる彼に鋭い視線を送っていた。このクラスには大きなカーストは存在しないが、それに似た暗黙のルールの様なものはある。〇〇に逆らってはいけない、〇〇の前ではおこなってはいけない、などと言った下らないものだが、それでもこのクラスの平穏を守る為にも誰もそのルールを安易に崩す事は出来なかった。
彼が、下手に目を付けられていないと良いが。
そんな事を思いながら、漸く椅子に腰を下ろした隣の彼に視線を向ける。
「――お前、名前なんて言うの」
「!」
突如此方に顔を向けた彼が、
無視する訳にもいかなかった為、仕方なく机の隅に追いやっていたタブレットを引き寄せる。ペンを持ち、手早く開いたのは例のペイントツール。
「おい、無視かよ」
事情を知らない彼が、やや苛立った様に声を上げる。
なんだ。こいつ人付き合いが怠いとか言ってはいたけど、人と会話をしない訳では無いんだな。
〈遠海真姫〉
タブレットを傾け、自身の名を書いたディスプレイを彼に見せる。
「と、とおみ……? 読みは?」
てっきりタブレットを使った事を指摘されるかと思ったが、不思議な事に彼はそれには触れず、問いを重ねて来た。まさか名の読みを聞かれるとは思っておらず、理解が遅れる。
こいつ、意外と馬鹿なのか?
そんな事を思うが、ふと病院などの施設でよく苗字の読みを間違えられていた事を思い出した。一般的に見れば、『遠海』は『とおみ』とも読めるのかもしれない。――と納得しかけたが、そもそも先程来栖先生が席を指す時に「遠海さん」と口にしていたでは無いか。こいつは話を聞いていなかったのか。
やはり、あの自己紹介通りの男の様だ。
そう呆れつつ、ペンシルを走らせ名の上にふりがなを振る様に読みを書く。
〈えんかい まき〉
「えんかい、か。……なんで〝あ行〟なのに席一番後ろ? このクラス、五十音順じゃねぇの?」
〈始業式に席替えをした〉
「あ、そう。じゃあ遠海も、此処に座るのは初めてなのか」
〈そうでもない。席替えと言ってもくじ引きじゃなくて自由に席を選べるから、私は比較的窓際を選ぶ。一学期の中間にやった席替えでも此処と同じ場所を選んだ〉
タブレットを見た彼が、動きを止める。何か言いたげな顔をしている気がして、タブレットを傾けたまま白川の顔を見つめていると、「なんで?」彼が又もや、不思議な問いを投げ掛けてきた。
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