いつか花咲くきみへ
晶中ゆき
第1話
駅に近い小路の一角にひっそりと佇んでいた、お気に入りのカフェが昨日閉店していたからだ。真希はカフェで過ごした至福の時間に思いを巡らせる。
あの舌の上を優しくふんわりとしたミルクが包み込み、ビターなエスプレッソを感じるカフェラテ。雲のように軽く柔らかいホイップクリームを纏わせ、季節のフルーツをふんだんに散りばめたパンケーキ。
慎ましくも幸せだった、穏やかな休日のひと時。それがもう訪れることはないのかと思うと、この世から色彩が消えてしまったかのように絶望感を感じる。
「あ、あたしの生き甲斐がぁ……」
小路の隅の溶け残った雪が冬の気配をまだ感じさせる。3月ももう直ぐ終わると言うのに、氷のように冷たい雨が街中の音を静かに掻き消し、憂鬱な気持ちに拍車をかけていた。
真希は踵を返して、来た道を引き返した。
予定を切り上げて行きつけの古着屋に行くことにした。うなだれながら雨の中を歩いていると、前から同じようにうなだれながら、小柄な女性が足取り重く歩いてくる。
人と行き交うことが少ないこの小路で珍しい。真希はそう思った。やや猫背になりながら、ゆっくりと歩くその女性とすれ違う瞬間に、傘からちらりとその顔が見えた。
白い肌に柔らかく流れるような長い髪。目は伏し目がちなものの、人よりも大きく見えた。その大きな目には長いまつ毛が並んでいる。横顔だけだが整った顔立ちで、言葉にできない魅力を感じる。だがその大きな瞳には光がなく、淀んでいるように見えた。
(かっわいい〜)
多分、誰が見ても美人。そう答えるだろう。東京だったらスカウトされていてもおかしくないと思った。
と同時に、不思議な感覚がした。すれ違った美人はどこかで会ったことがある気がする。そう感じた。その女性が歩く姿に目を奪われていると、小路の側にある雑居ビルに続く階段を上がっていった。
(あれ、ここって……)
この雑居ビルを知っている。真希も通っていた。
真希は、今ここを歩いていること、休日のカフェで生きがいを見つけたこと、その女性が入っていったビルを冷静に見つめられていること、そして真希が今、真希でいられること。それらすべてが奇跡なんだと思った。
***
普段通りの休日が終わっていく。
車で1時間かかる家までの道のりはお気に入りの曲を流していた。車の運転は苦ではなかった。母の作る手料理。辛いのが苦手な真希に合わせた辛さ控えめのカレーだった。バラの入浴剤が入った風呂が冷たくなった身体をじんわりと温める。
自分の部屋に戻ると、今日の疲れが出てきた。まだ22時を少し過ぎたばかりだが、すでにまぶたが重い。6畳ほどの広さの部屋は真希が小学生だった頃から使っている。校内スポーツ大会で賞を取ったときの賞状や、陸上大会のトロフィーやメダルが所狭しと並んでいる。
ふと、壁にかけられた写真を見た時、気がついた。
(あっ!今日見た人って)
大人びてはいるものの、顔立ちが中学生当時の面影を残していることに気がついた。
(……千夏だ)
中学で疎遠になっていた、幼馴染の一ツ
(帰ってきてたんだ……知らなかった……)
心がざわつき出す。さっきまでの眠気はどこかに行ってしまった。普段通りの休日が、眠れない夜になった。
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