第56話 皇太子はロジャーが大嫌い

 ウィンウッド公爵が、ジャルディネイラ王国の王女であり、純真無垢のコーデリア殿下をたぶらかして永遠の愛を誓ったにもかかわらず、結婚後は自分に成りすまし、王女を騙して身代わりで結婚生活を営むよう悪魔に迫った……ということを理解した皇太子アンリは、そもそもなぜ王女がリンゴにいるのか疑問に思った。


 すると、「婚約が成立する前に一目会っておきたい」コーデリアの健気な願いに悪魔が応じ、身分を隠してこっそり遠目から見るつもりが、ウィンウッド公爵に身バレし、あの手この手で口説かれて……こうなりました、と話す悪魔とダニエル、そして具体的な説明はしないまでも、二人に同調して、「あの公爵はクズです、ゲスです、クソ野郎です」と力説するトレス侯爵の圧力で、皇太子アンリもまあまあこの突飛な事情に納得する。


「つまりウィンウッド公爵が非常識な振る舞いをして、王女を悲しませた、そういうことかな?」


「そうです」とダニエル。

「いえ、ちょっと付け足し!」と挙手する悪魔。


「うちの王女様は、ゲス公爵に騙されているなんて知らないんです。手と手を取り合って永遠の愛を誓ったカップルだと信じてるんです。健気なんです、純粋なんです、乙女なんです。それなのに、あの死神クズ公爵は、ケスティにあんな黒髪死神男に変身して、王女と偽装結婚を送るよう迫るなんて、まさに極悪非道。あの公爵はケスティが大切に大切にお育てしたコーデリア王女を人質にして悪魔を脅すのです」


 悪魔はもう一度強調した。大きく息を吸い、言い放つ。


「悪魔を脅すのです、脅迫するのです!!」

「国の恥ですよ」


 訴えるダニエルの目は皇太子がたじろぐほど鬼気迫っていた。


「キャロル様との結婚でもそうでしたが、公爵には人の心がないのです、外道、非常識、極悪人! 結婚証明書にサインしたら、あとは知らんぷり、妻の名前さえ忘れて人を惨殺することに喜びを感じ、血を浴びていないと禁断症状で震えが走るばかりか、睡眠よりも殺戮することで癒しを得る人物なのです」


 ダニエルは天に喚くようにして、手を振り仰ぐ。


「まさに死神公爵! 閣下に長年仕えてきたわたしが証言するのです。これは真実です。わたしだってかつては死地を共に潜り抜け、命を救っていただいたこともある恩人を裏切るなんてしたくありませんでした。けれどもまたひとりの女性を生き地獄に落とそうとしていると知れば、いてもたってもいられなくなったのです」


 振り仰いでいたかと思えば、ダニエルは這いつくばり、床をだんだん殴り出す。


「さらには、悪魔様を脅して、己の意のままに操ろうとしているのです。殿下!」

「な、なんだっ」


 ダニエルが、あまりに勢いよく顔をあげたので、思わず戸口まで下がる皇太子アンリ。


「そこで殿下のお力が必要なんです」

「だから、わたしにどうしろと……」


 叱り、道理を説いたところで、あのウィンウッド公爵が反省するとは思えなかった。アンリは、七歳年上の公爵ロジャーとはイトコの関係だ。昔から彼がどんな人物なのか、わかりすぎるほど知っていた。


 あれはアンリ皇太子が五歳の時だったか。


 スヤスヤ昼寝中だったアンリの服の中に、ロジャーがカエルを突っ込んできた。驚き、おもらしをしてしまったアンリ皇太子。その時のロジャー十二歳の嬉々とした喜びようといったら。それだけでなく、その後会うたびに、この話題でいじってくる醜悪ぶり。


 他にもある悪戯の数々。思い出すだけで目に涙がにじんでしまう。


 それでもここ数年、公式行事であってもロジャーが姿を見せることがなくなったので、皇太子アンリの傷心もやっと回復期に入った。というのに、魔法使いにさらわれてロジャーと同じ地に足を踏み入ることになるとは。


 あの男と同じ空気を吸いたくない。

 視界に入りたくない、入れたくない。


「わたしにできることなどないよ」


 もう一度、念を押す。


 コーデリア王女のことは気の毒だとは思う。でも和平の条件にウィンウッド公爵の名を出したのは先方だと聞いているし、停戦に向けての交渉は総司令官のチェスター公爵に一任している。下手に皇太子の自分がしゃしゃり出ても、場がこじれるだけだ。


 というわけだから、アンリはさっさと皇宮に帰りたがった。でも。


「王女を救い出せるのは殿下だけなんです」

「うちのコーデリア王女に真の愛とやらを見せてやってください、お願いします!」


 しがみついて揺さぶってくるダニエルと、土下座する金髪の悪魔。この悪魔がモデルにしている「邪悪な天使」の異名を持つマルシャン卿本人を知っているだけに、アンリ皇太子は複雑な心理になった。本人はそれはそれは尊大で、絶対土下座などしない。国王を地べたに座らせてあごで使う魔王みたいな人物だからだ。


「だから」


 アンリはダニエルを引きはがし、床にひたいをこすりつけて懇願してくる悪魔に、手を差し伸べた。


「わたしの出る幕はないと思うのだが? 困りごとなら、チェスター卿に相談してください。トレス教授」


 お声がかかったトレス侯爵は部屋の隅で飛び上がった。元々は彼の部屋なのだが、王女を想う悪魔の切実な振る舞いに胸を痛め、声を殺して泣いていたのだ。


「殿下。ぼくからもお願いします。悪魔様をお救いください」

「無理だよ。ほら、ゲートを開いてくれ。公務の予定があるんだ」


「国の一大事に何が公務ですか」

「どうせ貴婦人のバザーで笑顔振りまくだけでしょ」


 ダニエルと悪魔がわめく、それに対し、


「新しくできた救貧院のテープカットに行くのだぞ」


 憮然と答える皇太子アンリ。


「大事な務めだ。バカにするな」


「バカにしてませんよ」と悪魔。

「でも王女の純情を踏みにじった悪を野放しにして駆け付けるほどのことですか」

「そうです、公務より宿命に従い下さい」ダニエルが訴える。

「救いたもう、我が王女!!」悪魔が叫べば、

「ひとりの乙女が悪の手に落ちようとしている!」ダニエルが迫真の台詞を吐く。


「貴国の王女は、公爵が好きなんだろう。いいじゃないか、人の好みはそれぞれだ」


 皇太子は冷たく返す。あのロジャーに騙されたとはいえ一時でもあの外道に惚れたような娘に興味はない。そもそも人の恋路に自分がどう関われというのだ。本人が良いといってるなら、やいやい騒ぐのはどうかしている。


 ……とは思ったものの、育ちの良いアンリ皇太子である。


「コーディちゃんが可哀そう」とエンエン泣く悪魔と、「一人の姫を救いたまえ、我が帝国の星よ。その力を見せてやるのです!」と叫ぶダニエルに、優しく、「わたしよりチェスター公爵を頼りなさい」と辛抱強くいった。


「チェスター公爵は既婚者です」

「お孫さんまでいます」

「どう解釈したんだね?」


「どうか」


 悪魔は護衛官から王女コーデリアに姿を変えた。しかも普段彼女を着ているようなドレスではなく、貧しい下女が着るような擦り切れた布のワンピースと薄汚れたエプロン姿だ。


「王女の目を悪党の呪いから覚ましてやってください。真実の愛を! 新しい恋が何より特効薬になるんです。このままでは王女は悪の餌食です、お救いを、お助けを!」


「殿下、王女にその気品と健康的な美を見せつけてやるのです。横柄で血の臭いがする腐れ閣下が、死肉を漁るカラスなら、殿下は白鳥、鷹、ペガサス!!」


「ペガサス!!」


 悪魔とトレス侯爵まで復唱して万歳している。


「馬になってるじゃないか」

「ペガサスっ」三人は譲らない。


「いいかい」


 皇太子はひたいに手をやり嘆息した。


「妻はいないが、わたしにだって婚約者はいるんだ。たとえ一時とはいえ不誠実な真似はしない。王女には悪いが事実を伝え、ロジャーの魂胆を明かせ。それでも本人が納得するなら問題ないだろ? それよりも」


 もう一度ため息をつき、いう。


「公爵は大公女と離婚したのか? そちらの話が影響して協議が進展しないと聞いているのだが。どうなってる?」


「離婚はしましたよ」とダニエルが答えたが、

「あのー」女性の声がした。全員がそちらを振り向くと、戸口の隙間から、侍女が顔をのぞかせていた。サラだ。

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