呪いの少女 2

「あー、そりゃあいつだ。不幸を呼ぶ女に違ぇ無え」


俺が今朝体験した【ニンジン疾走事件】を語ったところ、退屈そうに頬杖を突いていたニックが急に姿勢を正した。




放課後の言語授業の時間になっても雨は一向に降り止む気配がなく、窓の外から地面を叩く陰鬱な音が響いている。




「不幸を呼ぶ女?」




まるで怪談に出てくる妖怪のようなネーミングに少し興味をそそられた。




「オメエは転校してして来たばっかで知らねえだろうけどよお、不幸を呼ぶ女はこの学校じゃ有名人だぜ? なあ紅花!」


「アイヤー! ちょっと待ってヨ! もうすぐ宿題終わるヨ!」




紅花は必死にペンを動かしていた。




「おいおい。こんなギリギリに宿題やってちゃダメだろ」


ニックの態度からは余裕が滲んでいる。


「ニック、今日は珍しく宿題をやってきたようだな」


「え? やってねえけど?」


何だその態度は。




「やっと終わったヨー!」


紅花は両手を広げて大きく伸びをした。細い腕と対照的に肉付きの良い上半身のシルエットが美しい。




「アイヨー。不幸を呼ぶ女なら魔法料理学部の中でも知らない人居ないネ。多分全生徒が知ってるヨー」


紅花は魔法料理学部の生徒だ。何でも実家の料理屋の後を継ぐため、ここで料理修行を行っているらしい。




にしてもその不幸の女とやらがいる医療魔法学部の校舎は、俺やニックのいる魔法戦闘学部の校舎と近いが、紅花のいる魔法料理学部の校舎とはかなり離れている。




だから紅花と俺たちは使う学食も図書館も違うし、同じ学校に通っていながら、この授業以外は全く会う機会がないのだ。その魔法料理学部の紅花たちが知っているということは、不幸の女とやらは相当な有名人である事だけは間違い無いのだろう。




「そうであったか……その女の名前を知っているか?」




二人は顔を見合わせ、若干苦い表情になった。紅花は小刻みに首を振っている。「私は言いたくない」という意思表示のように見えた。




「ルナだろ。ルナ・グレイプドール」




少し間を置いたのち、ためらいながら口を開いたのはニックの方だった。


不意に天井に灯った魔石灯がチカチカと点滅した。妙な空気が教室を漂っている。




「ああ、言っちまったよ! 本当は名前も言っちゃダメなんだよお!」




ニックは手で顔を覆い、天を仰いだ。彼のいつもの冗談なのだろうか。いや、本当に嫌がっているように見える。 




明らかに二人の反応がおかしい。いつもは底抜けに明るくて、こういう話題も笑い飛ばしてしまう二人なのに、今日はやけに怯えているように見えた。


彼らの状況を見て俺も不安になってきた。俺、名前を呼ぶどころか、本人と目を合わせて会話してしまったんだが?




「何故、本名ではなく不幸の女などと呼ばれているのだ?」


「そいつと関わると不幸になるって有名なんだよ」




ニックの話によると、そのルナ・グレイプドール自体がかなり運の悪い少女なのだが、彼女と関わる人たちにも容赦なく不幸を振り撒いてしまうらしい。




例えば、彼女に告白したある男子生徒は、下校中、たまたま飛んできた毒魔法に当たり、身体中からキノコが生える体質になってしまった。抜いても抜いても生えてきて、しかも美味しいキノコだったので世界中のキノコハンターから狙われる事になってしまう。


やむおえず彼は退学し、今はひっそりキノコ栽培業者を営んでいるそうだ。




他にも、孤立したルナ・グレイプドールを可哀想に思ったのか毎日積極的に話しかける男子生徒がいた。しかし彼は学校の植物園で、飼育しているモンスターの世話をしている途中、突如凶暴化したモンスターに襲われてしまう。


普段は大人しく、絶対に人を襲うようなモンスターではなかったそうだ。


そのモンスターに触手で襲われた彼は、以後触手でしか満足出来ない身体となり、そのモンスターと結婚して寿退学して行った。




他にもキリが無いほど被害者がおり、「絶対にルナ・グレイプドールに関わってはならない」というのがビナー魔法学園での暗黙の了解になっているそうだ。




「オメエが見たって言う全裸のおっさんと走るニンジンは間違いなく不幸の女が引き起こした事件に違ぇ無え。だからオメエも気ぃ付けろよ?」




ニックの顔は笑っていない。紅花も怯えたように眉を下げ、手提げ鞄を胸に抱いている。雨が強くなってきた。俺たちの話し声もかき消されそうなほど音が大きく、外はもう隣の校舎も見えないほど視界が悪くなっている。


こんな時に言うのも何だが「全裸のおっさんと走るニンジン」って児童書にありそうなタイトルだな。無いか。




「はーい、みんな席に着いてー」




三人の気まずい沈黙を破ったのはメランドリ先生だった。いつもと変わらない笑顔に俺たちはホッとする。




「先生こんにちハー! 今日も綺麗だネー!」


「はいありがとう。でも小テストはするからね」


「アイヤー!」


「先生ー! 宿題やってきたけどクラウスに食べられましたあ!」




何で俺になすりつけるんだよ。




「もう、クラウス君お腹空いてたの?」




何で信じるんだよ。


先生が入った事でいつものクラスの調子に戻ってきた。ひとまず不幸の女の事は忘れよう。


教科書を開こうとした時、急に何も見えなくなった。

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