第10話

「ロペス子爵、ご無沙汰しております。正式にフローレンス商会会頭を引き継ぐことになりまして、ご挨拶に伺いました。今後ともよろしくお願いいたします」


 キラキラの余所行きの笑顔でアルフレッドがロペス子爵へと挨拶する。

 格上の相手からの挨拶に子爵は恐縮しきりだ。そして、その横にはかわいらしい女性。きっと娘さんよね。アルフレッドに向けてその大きな瞳を潤ませている。

 そりゃぁ、将来有望な次期伯爵様とくれば家格差があってダメ元でも顔合わせするわよね。

 ロペス子爵は、私に目を向けて、「そちらは…」と聞く。

 私は覚悟を決めて胸を張る。


「フローレンス商会でアルフレッド様の執務補佐をしております、オリビアと申します。本日は素敵な会に参加させていただきましてありがとうございます」

「…執務補佐?」


 きょとんとした顔のロペス子爵に若干気まずい気持ちになる。

 ほら、平民が何しに来たのって思われてる!絶対!!上から下まで見回して、分不相応なものを身に着けてるって思われてるわよ!!


「…会頭の就任のご挨拶ですので同行させていただきました。この衣装は、商会の宣伝も兼ねております。今後ともフローレンス商会を御引き立てくださいますと幸いです」


 ほほほ、と笑ってごまかす。

 子爵は、私とアルフレッドを見比べるように見ている。何と言っていいか分からないのだろう。そして娘さんの視線が強い。怖い。


(ほらぁ、平民わたしなんか連れて来るから…)


 扇の陰でため息を押し殺す私。

 すっと、アルフレッドの手が腰に回る。

 ひぇっと声が出そうになって何とか耐える。


「僕の大切な方ですから、どうぞよろしくお願いしますね」


 にっこりと笑ってアルフレッドがロペス子爵に言う。

 ぎょっと目を開く私。

 でも、この場で制止などできない。

 ロペス子爵もその娘さんも絶対勘違いしてる!私、愛人じゃないですから!この人との関係、雇用関係しかありませんから!心の中は大荒れでも表面上はおすまし顔を保つ。

 しかし、アルフレッドが私を連れてきた理由が分かったわ。

 そうよね。こんなところに一人でいたら、ロペス子爵の娘さんみたいな挑戦者チャレンジャーが押し寄せてくるものね。私、体のいい虫よけってわけね…

 遠い目をして、ロペス親子から目をそらすと、会場の隅に見たことのある人影がよぎった気がした。

 あれ?と思ったところでアルフレッドにさらに腰を引き寄せられる。

 ぎょっとして見上げると意味ありげな顔で笑われる。


「僕というものがありながら、何に気を取られているんですか?ほら、行きますよ?」

「ちょっ!?」


 そこまで過剰な演技が必要!?

 あわあわしているうちに、会場の中央に連れ出される。


「踊っていただけますか?オリビア先輩」


 差し出した手で強引に私の手を取る。

 ちょっと待って、私、承諾してない!!

 きっとアルフレッドを睨み上げると、ふっと笑われる。


「しっかりドレスと宝石商品PRしてくださいよ。ルーシーと特訓したんでしょう?ここで逃げ出すなんて無様な真似、先輩らしくないなぁ」

「誰が逃げ出すですって!?受けて立ってやるわよ!」


 小声での応酬の後、曲が始まる。

 ちょっと待って他の人は!?

 この会では当然、伯爵家のアルフレッドより高位の貴族はいない。となると必然的に、はじまりのダンスを踊るのはアルフレッドになる。こうして私は会場全体からの視線を浴びながら、ダンスをさせられる羽目になった。

 …逃げておけばよかった。後悔先に立たず。


 ダンスが終わって、這う這うの体で会場の隅に逃げる。アルフレッドは、ちょっと席を外すと言っていなくなってしまった。少しだけほっとした。アルフレッドといると、人の視線が突き刺さる気がするから。

 給仕のものに冷たいドリンクをもらって喉を潤す。


「ちょっと、あなた!?」


 はい来たー。

 少しげんなりとする。アルフレッドと離れると人の視線からは逃れられるけど、絶対来ると思ったのよね。


「何でしょう?えーっと…」

「マリカよ!」


 ロペス子爵のお嬢さんが胸を張って立っていた。


「聞いたわ。あなた平民なんでしょう?」


 そう言ってマリカお嬢さんは、後ろに引き連れていた令嬢の一人を見る。


「アリシア…」

「あら嫌だ。呼び捨てにしないでくださる?」


 アリシア・バレット子爵令嬢は私の学園時代の同級生だ。

 私とは違い、彼女は学園の授業を淑女教育花嫁修業に全振りしていたので、ほぼ授業が被ることはなかったが、彼女は私のことを目障りに感じていたようだ。

 というか、私は同級生の女子からはほとんど嫌われるか遠巻きにされていた。

 私は領地を出ても家計を支えられるように、職業婦人になるのが夢だった。将来は城に上がり働きたいと思っていた。持参金はきっと用意できないし、結婚する気もなかった。淑女教育を疎かに、男勝りに勉強ばかりする。彼女たちの常識では測れない存在だったのだろう。


「相変わらずアルフレッド様にまとわりついていらっしゃるのね?」

「…まぁ、たまたま縁があって」

「あぁ、嫌だ。貴女って昔から本当に空気が読めない方でしたものね。アルフレッド様が迷惑されているのが分かりませんの?…そんな分不相応なドレスまで用意させて…」

「……ぜひ同行してほしいと言ってきたのは彼ですけどねー」


 私は遠い目で答える。できれば私だってこんなとこ来たくなかったよ。

 御令嬢たちはまぁ、っと扇を口元にあてる。


「ちっとも変わりませんのね。ご自分は特別だとでも思ってらっしゃるのかしら!?」


 えぇ―…そんなこと言ってないのに。ダメだ。アリシアとはいつもこう。話が通じない。


「アリシアお義姉様の言うとおりだわ!貴女、ご自分の身の程をわきまえたらどうですの?アルフレッド様がご厚意で言ってくださったとしても、辞退するのが筋でしょう!?」

「…仕事ですから」

「まぁ!ああ言えばこう言う…!」


 マリカお嬢さんまで参戦してきた。ちょっと現実逃避したくなってきた。

 …というか、アリシアってロペス子爵家にお嫁入してたんだ。


「貴女みたいな平民、所詮はなれたって愛妾止まりよ。貴賤結婚なんて許されませんからね。貴女が、アルフレッド様の隣に立てるなら、私の方が相応しいわ!」

「あー。最後のそれが本音ですかー…」


 アルフレッドの隣は、がら空きですよ。私に宣言してないで、本人に立候補してきてください。

 いい加減面倒くさくなってきて、対応が投げやりになってきた。暖簾に腕押しの私の反応にいい加減腹が立ったのだろう。マリカお嬢さんが実力行使に出てきた。私の頬を打ち据えようと扇を振り上げる。視線をおいしそうなご飯に移していたせいで、反応が遅れた。

 ゲッと思った瞬間、横に向かって引っ張られる。

 アルフレッドの胸に倒れこみ、マリカお嬢さんの扇は空を切った。アルフレッドはにっこり笑って、横に引き連れてきたロペス子爵に声をかける。


「素晴らしく礼儀のなっていないお嬢さんですね。主賓の連れに手を上げるとは…それ以前に暴力に訴えるような人は人間性を疑いますけどね」

「あ、アルフレッド様…!違うんです。この方が私にひどいことを!」

「多勢に無勢のこの状況でよくそんなことが言えますね。そこにいらっしゃる他の方々に証言してもらいましょうか。もちろん、傷害事件として警邏隊を呼んでからですが。あぁ、もちろん偽証は罪になりますので」


 アルフレッドの言葉に、アリシア以外の人間が「私たち何も見てませんわ」と散っていく。

 マリカお嬢さんとアリシアは逃げることもできず顔を真っ青にして震えている。


「さて、先輩に怪我がなかったようですので、僕たちも帰りましょうか」

「ど、どうしてそんな平民の女なんかに…!私の方が…!若いですし!」


 おぉ、マリカお嬢さんガッツある…こんな怖い顔したアルフレッドによくやるよ…

 アルフレッドはマリカお嬢さんの方を虫でも見るような顔で見下ろす。


「誰の許可を得て私に口を利いている。…ロペス子爵、彼女のためにも良い修道院をご紹介いたしましょう。それでは、また機会があれば」


 最後の言葉を子爵に向けてかけると、アルフレッドはそっと私の肩を抱いて会場を去る。ロペス子爵は青を通り越して紙のように白くなった顔に、大量の汗をかき、口をパクパクしている。周りの貴族たちがひそひそと噂をしているのが見える。

 …ご愁傷様。

 明日の夕方には社交界中にロペス子爵家とフローレンス商会の決裂が面白おかしく吹聴されるであろう。…私の存在も面白おかしく噂されるだろうけど…。あぁ気が重い。


「すみません、先輩。僕が離れたせいですね」


 帰りの馬車でしょんぼりとしたように、アルフレッドが俯く。


「あなたの所為じゃないわ。…でも、私が行ったらって予想できるでしょう?」

「……それでも。また一緒に参加してもらえますか?」


 上目遣いでアルフレッドがこちらを見る。…どこで覚えてきたのそんなの。


「……どうしてそんなに私を参加させたいのか分からないけど…。まぁいいわ。仕事だもの」


 私は肩をすくめた。せっかく、ルーシーの地獄の特訓に耐えたんだものね。

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