百日紅が散る、その日まで

第1話 雨音

絶え間なく、雨が降っている。

薄重い空。自分の心を反映しているようにも思える。


窓の外には、赤や青の雨傘がまばらに行き交い、

公園の脇では、雨に濡れた紫陽花が、項垂れている。


カーテンを、そっと閉じる。

この、淡いブルーのカーテンは、彼が選んだ色だ。

私らしい、夏の始まりの色だと、照れながら笑っていた。


あの、くしゃっとした笑顔を思い出すたび、胸の奥がキシキシと、音を立てる。


5月14日。

私は、運転免許の更新に来ていた。

晴れて優良運転者だ。日頃から運転には気をつけている。

彼と一緒に出掛けて、片道ずつ運転するのが好きで、ふたりでよく旅行に出かけた。


行く先は決まっておらず、待ち合わせで会った瞬間に、ふと思いついた先へと車を走らせる。

彼の好きな、ドノヴァン・フランケンレイターが、いつものBGM。

彼は、海が好きだった。私は、山が好きだった。

けれど、ふたりで出かけると、どんな場所も、特別に感じられた。


その日も、同じように。

鵠沼海岸へと出かけて、大好きなサーフィンを早くやりたいと、砂を蹴りながら心を躍らせている彼の背中を見ていた。

波の音に耳を澄ませて、日差しでゆっくりと温められた砂を踏むと、自然と顔が綻ぶ。


手を繋いで、一歩ずつ踏み締める。

白いTシャツにデニム。袖から覗く、細くもたくましい腕に包まれている時間は、何にも替え難い。

麦わら帽子が、風にさらわれそうになると、咄嗟にその腕が伸び、私の頭に帽子が戻される。

見上げると、彼はいつものようにくしゃっとした笑顔で「蛍。俺さ、今すごい楽しい」と言った。

太陽に照らされた私の頬が、その笑顔でさらに熱を帯びた。


行きは、彼が運転してくれたから、帰りは私の番。

日が沈み始めて、冷めた風が肩を撫で始めた。


「帰ろうか」と私が言い切る前に、彼がゆっくりと唇を塞ぐ。

西陽で染まったオレンジ色の海と、彼のお日様のような存在が愛おしい。

「今度来る時は、サーフィンできるかな」

「前より上達した?」

「うーん。ちょっとはね。あ、聡太(そうた)も一緒にやりたいって言うからさ。今度3人でまた来ようよ」

「聡太くんかぁ。しばらく会ってなかったね。うん、今度は3人で来よう」


車に戻り、彼が助手席に座ってから、私もシートベルトを閉める。

よく通った道だった。

いつも通りの−−–。


対向車の車にフッと目を向けた時だった。

中央の車線を越えてこちらに向かってくるのが、わかった。

次の瞬間、何もわからなくなった。


気がつくと、静かに雨が降っていた。

車体をパタパタと叩く雨音で、意識がゆっくりと戻ってくる。

あちこち出血しているが、体は、なんとか動く。

運転席から這い出すと、全身を冷たい雨が包んだ。


「……春馬」

口を出た最初の言葉。返事はない。

ふらふらと歩き、助手席側に回る。

泥水で汚れた麦わら帽子が、雨に打たれていた。


そのすぐそばに、彼はいた。

目を閉じたまま、身動きひとつ取らない。


「……春馬」

それから、何度彼を呼ぼうとも、目を覚ますことはなかった。


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