旧校舎のグリーンサム

金澤流都

ソメイヨシノ

1 ぼっち弁当

 野々原純恋ののはらすみれは一人でグラウンドのベンチに腰掛け、弁当をまるで親の敵みたいに食べていた。冷凍食品の、弁当箱に詰めるだけのおかずに故郷の村でも焼かれたのか、という勢いで食らいつき、ガツガツむしゃむしゃと弁当をとにかくすさまじい勢いで食べていた。


 純恋には一緒に弁当を食べてくれる友達はいない。中学校のころは、岩見一子いわみいちこという、すごく親しい友達がいたが、同じ高校に入学したというのに一子は生徒会が忙しく、純恋にかまってくれなくなったのである。


 それにしたって新しい友達のひとりふたりいたっていいものだが、純恋はクラスメイトたちに、「なにを始めるか分からない一触即発トリニトロトルエン女」だと思われている。


 純恋には、小さいころから癇癪というか、精神的なダメージを食らうと、壁だの机だのに頭を打ち付ける癖があった。中学のころには、その癖は治っていると思っていた。


 しかし、母親はシンガポール、父親はロンドンで働いていて、ひとりこの東北の街に残された純恋は、いやだったことやつらいことを打ち明ける相手がいなかった。その結果、高校生になったのに、頭をガンガンする癖が復活してしまったのである。


 グラウンドは静かだ、純恋の昼ご飯を妨害する冷ややかな目線はない。純恋は自分が他人にどう思われているか想像はついていた。さすがに高校生にもなればそれくらいふつうだろう。


 しかし、想像できたとしても、その境遇のまま教室で一人弁当をするのはいやだった。


 高校一年生の一学期、入学式のときはまだつぼみだった桜が、びっくりするほど見事に咲いている。東北の遅い春を無視して、純恋は弁当と戦っていた。


 純恋はふと足元を見る。スミレが咲いていた。純恋は自分と同じ名前の花を一瞬だけ視界にいれて、こういうのは好きじゃないんだ、と目をそらした。


 純恋の目線の先には、ローカル展開している「フジノヤ」というスーパーマーケットがあった。大手の全国チェーンのスーパーと違って、新鮮なとれたての地物野菜を売っているが、そもそも純恋は野菜というものがあまり好きでなかった。


 ……帰りにグミでも買って、家で気晴らしに食べよう。純恋はそう思った。


 なんで、こんなにみじめなんだろう。


 せっかく、地域でも屈指の進学校に進学して、しかもすごくかわいい制服を着ているのに。一子と同じ高校に進学したのに。


 合格を辞退して、父親と一緒にロンドンにいけばよかったろうか。


 しかしこの羊歯高校は何人も国会議員や大臣を輩出した名門で、ロンドンに行ってそのへんのハイスクールに入ることを想像すると、やっぱり蹴ることはできなかった。


 この羊歯高校の合格発表の次の日に、父親の転勤の辞令が出て、純恋の父親はロンドンに行くことになったのだ。母親はだいぶ前からシンガポールで働いている。


 こんな寂しい思いをするくらいなら、一人で残るなんて意地を張らなきゃよかった。

 純恋はあたり一面に広がる桜の花を眺めながら、デザートに詰めてきたイチゴをもっくもっくと咀嚼した。甘酸っぱい。


 コロナ禍が終息して、家族がキャリアを求めてどんどん遠くに行ってしまうことを思うと、あの窮屈で息苦しいコロナ禍というものが懐かしく思い出されてしまう。せっかくマスクなんかつけなくてもよくなったのに。


 だれかと一緒に、おしゃべりをしながら弁当を食べたいと、純恋はずっと思っていた。

 でも一緒に弁当を食べる友達なんて、純恋にはいないのだった。


 中学でとても仲のよかった一子は、クラスが違う。同じクラスだったとしても、社交的な一子のことだ、新しい友達を次々作って、純恋なんか気にも留めなかったにちがいない、と、純恋はかつての親友についてとても冷たい判断をした。


 どん詰まりと言えた。純恋はスマホを取り出し、誰かにメッセージを送ろうか考えたが、しかしメッセージを送る相手などおらず、ただただむなしい気分になった。


 しょうがないので夕飯の献立を考えようと、純恋は冷蔵庫に入っているものを思い出す。ええと、キャベツと玉ねぎ。それからなんだっけな、イチゴの残りか。


 ――とりあえず豚肉でも買ってきて、キャベツと玉ねぎと炒めるか。

 献立が秒で決まってしまい、純恋はまたなにも考えることのない暗闇に放りだされる。


 部活にも入らねばならないのだが、純恋はとりあえず一学期は考えないことにしていた。


 スポーツも苦手だし、歌とか楽器も得意じゃないし、絵を人に見せるなんて恥ずかしいし、文章もしかり。演劇なんて恐ろしくてとてもとてもできない。科学部にも興味はない。だから、この問題はできる限り先延ばしにして、考えないようにしよう。先生たちにせっつかれたら、そのときまた考えればいいだろう。


 グラウンドの片隅で、純恋が弁当箱をハンカチに包んでいると、旧校舎のほうからなにやら声が聞こえた。

 え、なんだろう。おばけ?


 純恋は、恐る恐るL字型の旧校舎の、ちょうど陰になっているところを覗き込んだ。

 制服のリボンの色から察するに、同じ一年生の女子がふたりと、どうしても好きになれない体育の五木先生が、鉢植えの花を眺めてニコニコしながら弁当を食べていた。


 それにしても旧校舎でランチとは悪い趣味だ。だいたい、いつもおっかない顔をしている、しかし見た目が女子中学生なので今一つ怖くない体育教師が、なんでこんなにニコニコしてるんだろう。


 とりあえず幼く見えるから髪を襟足でふたつにくくるのはやめたほうがいいと思う。

「いやあ、今年も桜咲いたなあ……」

 体育の五木先生はのどかぁにそう言って、弁当をもぐもぐと味わっている。

 そう言えば五木先生の下の名前はさくら、だっけ。


「桜ってなんでこんなに、日本人の情緒を刺激するんでしょうね?」

 と、広いおでこが賢そうな女子生徒。


「わからーん。奈良時代は梅のほうが好まれたって聞くけど、やっぱりソメイヨシノは一気に咲くように改良されてるから、さすがにこれだけ豪勢に咲かれると違うんじゃないか」


 さすが授業では「気合いいれろー」しか言わない体育教師だ、言うことにまとまりがない。

 眼鏡に長いお下げの女子生徒が、

「去年の雪で折れちゃった木もあるんでしたっけ。樹木医さんってすごいですよね」

 と、一言呟いた。なかなかの小声だった。


 ふーん、と純恋はその三人を眺めてから、教室に戻った。基本的に教室は純恋にとって針のむしろなのだが、学生の本分は勉強である。教科書を取り出す。

 だれも、純恋と楽しい話をしてくれる人はいない。


 そのまま五時間目六時間目を終え、掃除と帰りのホームルームを終えて、自習教室でどうやら苦手科目らしいと気付いた物理のプリントをもらって、純恋は帰路についた。


 高校のすぐ隣にあるスーパーフジノヤで豚肉と牛乳、それからグミを買って、高校から徒歩五分のところにあるアパートの鍵をあけて入る。鍵は古くてちょっと渋い。


 純恋が中学生のころ、父親と暮らしていたところはもうちょっと新しくてちゃんとしたアパートだった。しかし一人暮らしをするにはいささか広いので、そこを引き払ってこのアパート、あおい荘に越してきた。


 一人暮らしには充分、というかギリギリ満足できるアパートである。台所と風呂場とトイレが申し訳程度ついていて、あとは四畳間とベランダがあるだけだ。


 洗濯物をとりこみ、畳んでタンスに仕舞う。


 テレビをつけるも大して面白い番組はやっていないので、純恋は物理のプリントをうなりながら解き、たたみに大の字になった。はあ。


 グミをもぐもぐ食べながら、純恋は己の境遇を呪う。


 どんな名門校でも、独りぼっちなら意味がない。


 みんなと仲よくしたい。友達がほしい。純恋はそう考えて、こぶしを握り固めて自分の頭をぽかっと殴った。

 誰ともまともに話さないということが、こんなにストレスだったなんて。


 このまま声が出なくなるような気がして、純恋は怖い、と思った。

 だれかと話したい。でも家族は世界中に散り散りになっているし、保護者、ということになっている親戚もよく知らないので話すことはない。


 スマホを見る。「岩見一子」という名前があるが、一子は生徒会の活動で忙しいはずだ。

 そっ閉じして、すみれはでかいため息をついた。

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