二 商い

 藤吉は呉服問屋加賀屋へ商いに行くたびに、「御内儀様へ」、あるいは「加賀屋様へ」と言って、銀の簪や銀の煙管などの銀細工を手土産に渡している。

 そのため菊太郎は女房の佐都ともども、藤吉を快く思っている。当然のように、藤五郎にも優しく接している。


「ありがとうございます」

 藤吉は藤五郎とともに、主の菊太郎に深々と御辞儀して、それでは商いをさせて頂きます、と言って、加賀屋の店の横から勝手口へまわった。



 御店で商いをするにも、御店の主に筋を通しておけば揉めずにすむ。藤吉はいつも訪れる御店に挨拶して付け届けしているため、気軽に大店の勝手口に出入りできた。


 藤吉は背負っている小間物箪笥の風呂敷包みを勝手口の板敷きに下ろして、御店の下女たちに挨拶した。肌着の上に筒袖の小袖を着て裁着袴たつつけばかま(膝から下を細く仕立てたはかま)に黒足袋に草鞋わらじを履き、胸当むなあてのある前掛けをかけて、小間物屋藤吉の印半纏を着た藤吉と藤五郎を、女たちは快く迎えた。



「藤五郎ちゃん。これはおやつだよ。あとでなめるといいよ」

 藤吉が商いをする傍らで、下女のサヨが紙包みを藤五郎に渡した。


「ありがとう。おねえちゃん」

「おやまあ、おねえちゃんとは、うれしいねえ。」

 サヨは喜んでいる。

「藤吉さんの小間物はみんなきれいだね。

 あたしももう少し若けりゃ買うんだけどさ・・・」


 サヨは藤吉が拡げた小間物箪笥の引き出しの中身に興味が無いらしく、藤五郎に話しかけるともなく話している。

 藤五郎はサヨの話に耳を傾けるようにして、藤吉の商いを見ていた。


「藤吉さん。もっと安くしとくれよ」

 下女たちが藤吉に銀の簪を値切っている。

「二朱の簪を、おおまけにまけて 一朱でして」

「そこをなんとかしておくれよ」

「考えてもみてください。 一朱は銀でできてます。この簪も銀です。

 簪は、細工をとっても、目方は簪の方がはるかに重いのは一目瞭然。

 銀の簪を 一朱、つまり二百五十文で売るってんだから、この藤吉も、とんだお人好しってもんですぜっ」

 藤吉の口上に下女たちは納得している。


 藤五郎も納得した。だが、それは父の理屈に従った場合の筋道だと藤五郎は思った。


「藤五郎ちゃんは商いを見ていておもしろいかい」

 サヨは藤五郎の眼差しを追った。

 藤五郎は藤吉の話を聞きながら、藤吉の指先が示す小間物と、小間物を見る下女たちの顔を見ていた。

「うん」

 藤五郎はそう言ったまま何も答えなかった。


 藤五郎は藤吉から、余計な事を話すな、と口止めされていた。それにサヨから、おもしろいか、と問われても、下女たちに対する藤吉の駆け引きを何と答えていいか、藤五郎は見当もつかなかった。

 なぜなら、二朱の簪を一朱で売るのだから儲かるとは思えない。なのに藤吉はにこにこしながら一朱で売ろうとしている。訳がわからない。

 藤五郎はその事をサヨに訊きたかったが、訊けばサヨは答える気がした。そして、その話を下女たちが聞きつけて、藤吉の商いの駆け引きがだいなしなるのも気づいていた。

 藤五郎はサヨからもらっ紙包みを開けた。中に金太郎飴が入っていた。藤五郎は一つ摘まんで口に入れた。これをなめている間は、何か訊かれてもすぐに答えなくてすむ・・・。


 藤五郎がこうした考え方をするようになったのは訳があった。

 藤五郎は亀甲屋の隠居した婆さんに面倒をみてもらっている。いつも腹一杯食べているから、藤五郎は空腹を気にせずに、興味ある事に集中できた。

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