一 仲間割れ

 卯月(四月)下旬の晴れた日。

 十歳の藤五郎は廻船問屋亀甲屋の軒下からじっと見ていた。


 田所町の筋向かい、新材木町の稲荷神社の境内で香具師同士が殴り合っている。なぜ殴り合っているか、藤五郎はなんとなくわかっていたが、それをさらに詳しく知ろうとはしなかった。

 なぜなら、いずれ時が経てば事の結果が現れて、何が原因で殴り合いになったかわかるからだ。子ども心に藤五郎はそう思っていた。


「何を見ておる・・・。仲間割れか・・・。

 先が見えぬ馬鹿者ばかりだ・・・。困った者よなあ・・・」

 亀甲屋から出てきた香具師の元締め藤吉は、息子の藤五郎の頭を撫でた。藤吉は風呂敷に包んだ商い用の小間物箪笥を背負っている。


「儂のすることを見ておれ・・・」

 藤吉は藤五郎を連れて通りを横切り、新材木町の稲荷神社の境内に入った。


 境内は狭くて十坪にも満たない。そこに社と狛狐の像と鳥井がある。二人の香具師はそ

の鳥井の前の狭い境内で殴り合っている。


 藤吉は静かに稲荷神社の境内に入ると、これまた静かに、背負っている荷を降ろして藤五郎に見張らせ、今度は電光石火の如く、二人の香具師に襲いかかって、あっという間に二人をその場に殴り倒した。


 我を忘れて殴り合っていた二人だった。境内に藤吉が現れたのに気づきもせず、ふたり揃っていきなり殴り倒されて、呆然と藤吉を見あげた。

 藤吉の身の丈は六尺ほどだ。倒れた二人は五尺四寸ほど。藤吉の体躯は二人より遥かに大きい。


「てめえら、お稲荷さんの前で何をしてやがるっ。

 人様の迷惑になることをすんじゃねえぞっ」

 藤吉は二人の毒消しを一喝した。


「元締っ。こいつが、俺の所場を荒しやがった。こいつがいけねえんだっ」

「なんだとっ。俺の所場に入ってきたんは、てめえだろうっ」

 毒消しの角助は唾を飛ばしながら立ちあがった。

 

「三日前に、小伝馬町から住吉町まで、ここ長谷川町と田所町の通りは南北に長くて広いから、二人で商いをしろ、と言ったはずだ。二人で商って、稼ぎは折半だとな。

 そういう事で、薬種問屋から亀甲屋に毒消どっけしをまわしてもらって、二人に仕入れさせたのを忘れたか」

 藤吉は角助ともう一人の毒消し売りの涼太を睨みつけた。


「忘れちゃいませんが、こいつが稼ぎをてめえの懐に入れやがるんで・・・」

 涼太も唾を飛ばして喚き、立ちあがった。


「最初にやったんはてめえだろっ。俺に商いをさせて、居眠りばっかりしやがって・・・」


「諍いはやめろ!」

 今にも涼太に襲いかかろうとする角助を、藤吉が止めた。

「それなら所場を割りふるぜ。

 角助、お前は小伝馬町から長谷川町一丁目までだ。

 涼太、お前は二丁目から住吉町までだ。

 二人とも仕入れた毒消しの量は同じだ。払った銭も同じだ。

 今までの稼ぎは折半せずに、そのままお前たちが持ってて依存はねえなっ」

 藤吉は二人を睨んで念を押した。


「へい、ありやせんっ」

 二人は納得した。


 二人が風呂敷包みを背負った。藤吉に挨拶して稲荷神社の境内から去った。


 稲荷の境内から二人の姿が見えなくなると、藤吉は藤五郎に言った。

「銭が絡むと話がこじれる。皆が同じように銭を稼げるように考えてやらねばならぬ。

 さあ、行くか。今日は呉服町をまわろうと思う」

 藤吉と藤五郎は、筒袖の肌着の上に筒袖の着物と裁着袴たっつけばかま胸当むなあてがある前掛けをかけて、手っ甲、黒足袋に身を包み、草鞋を履いてる。行商姿だ。


 藤吉は藤五郎を連れて稲荷の境内を出た。

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