幼少期の無い僕ら
水風船
第1話 遅れてきた思春期
月曜日の早朝は憂鬱で、僕は顔を地面に向けながらため息をついた。
つい数時間前、僕はレトロなバーにいた。
そこは今の世界では感じることが出来ない刺激を与えてくれた。
少し湿気のある店内には白髪混じりのバーテンダーがいて、退屈そうにグラスを拭いている。
「あの、まだ時間大丈夫ですか?」と丸眼鏡の奥にあるバーテンダーの目を見て僕は言った。
バーテンダーは僕の問いかけに少し頷き、カウンターに僕が座るまでをまじまじと見ていた。
「こちらにどうぞ」
カウンターの端の方に座った僕を見て、自分の前の席に僕を誘導する。
店は広々としてるのに、他の客が一人もいない事に少し戸惑いながら目前にいるバーテンダーにカクテルを頼んだ。
「弱めのカクテルを一杯」
「かしこまりました、味は甘めでよろしいでしょうか」
「なるべく甘めで」
カクテルという飲み物自体最近ではとても珍しい。そもそも一般的にはアルコールを取らないのが普通だ。
「失礼ですがご年齢はいくつで」
バーテンダーは手馴れた感じでカクテルを作りながら、僕との会話の糸口を掴もうとした。
「すいません、分からないんです」と僕は言った。歳を聞かれたらいつもそう答えてしまう。
「随分若く見えますがね、私は羨ましい限りですよ」とバーテンダーが言う。
その時僕は少し困惑した、いや、大いに困惑した。
自分の内側にある気色の悪い違和感、「破壊衝動」とも取れる違和感。
「若さ」ただそれを失うのが怖いだけじゃない、僕のこの違和感はもっとこの社会の根本的なもので、これからもずっと付き纏う事だけは分かっている。
そういえばこのバーに入った時、何故か懐かしさを感じた。僕の胸が高く鳴った。
―――まるで恋をしたように。
どのくらい沈黙を続けただろうか、それほど長く続けた気はしないが、バーテンダーはいつの間にか僕にカクテルを差し出していた。
「ここのバーとは長い付き合いになりそうですよ」と僕は言って薄い白濁色をしたカクテルを飲んだ。
「それ程長くは付き合わないと思いますよ」とバーテンダーは物憂げな表情をして言う。
正直なところ、このバーに入った時からその事は分かっていた。
カウンターの後ろにあるダーツボートはまるで女性から一度も相手にされない僕みたいに見えた。
「ダーツ、やってもいいですか」
「是非とも」
僕は着ていた茶色のセータージャケットを脱いで、ダーツと向き合う。
「ダーツの経験は御有りですか?」とバーテンダーがカウンターから出てきて僕に聞く
「無いけど、やったことはある気がします」そう僕が言うとバーテンダーは少し微笑み背後に座った。
ダーツの矢を手に取り、的に集中する。
―――外は雪が降っているというのに、僕は少し火照っていた。
ぎこちない構え方で矢を的に向けた時、少し頭の中が静かになった。
そして脳内で、とても写実的な存在が僕の目の前に現れた。
「子供」いたいけな瞳、太陽の様な笑顔、そしてかけがえのない思い出。
僕は、その子供目がけて矢を放った。
矢は真っ直ぐ飛んだ、真っ直ぐ飛んで、的に当たって跳ね返る。
床に矢が落ちた、僕は少し安堵した。
背後にいたバーテンダーが矢を拾って僕に渡す。
「―――刺さるまで、やってみなさい」
結局矢は一回も刺さらなかった、何回も本気で矢を飛ばしたつもりだった。
金を払って、店を出た。外はもう明るかった。
月曜日の早朝は憂鬱で、僕は顔を地面に向けながらため息をついた。
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