冷血姫と氷雪の領主

手羽崎キコ

一話 冷血姫

「パリョータの民たちの投票により、次期領主はハナ=プロムに決定した」


 領主の名代を務めている伯父の声は、少し震えているように聞こえた。意外な結果だと思っているとしたら、それはあまりにも外のことをわかっていない。(まあ、それは私もそうだったけれど)エリスはふっと口の端で笑った。横に並んでいる次期領主のハナは、見なくてもわかるくらい動揺しているのが伝わる。今更領主の重責に怖気づいたのだろうか。拍手がエリスとハナの後ろから鳴り響く。ハナを推薦したクニグリーク家の者や、権力を持つ人間を嗅ぎ分け、追従するだけの貴族たちだろう。


「二人とも、顔をあげてよろしい」エリスはすっと姿勢を正して、リグランタ家の天下の終焉を告げた伯父を見つめる。伯父は不安と恐怖を必死に威厳で取り繕った顔をして、エリスを見ている。エリスが負けたことへの非難が弱気な瞳に見え隠れする。元から父の言いなりで、何も考えない男だ。これからはクニグリーク家へ取り入るために奔走するのだろう。


「候補者の二人は、皆の方へ向くように」エリスに貴族たちの無遠慮な視線が刺さる。慣れているとはいえ、好奇と嘲りに満ちた不愉快さに思わず眉を顰める。五代もの間、大陸の中央部であり、各地の交易の拠点である大都市パリョータを統治してきたリグランタ家の後継となった娘が、その地位から転げ落ちる瞬間に立ち会っているのだから、貴族たちにとってはこの上ない興奮と昂揚を感じているのだろう。


 今まで、特にエリスの父であるリーゴが領主だったときは、権力集中により、貴族たちはろくに発言もできなかったのだ。無駄を嫌ったリーゴは、存在感を内外に示すだけの会合や行事をことごとく廃止し、自らの情報網と頭脳のみで統治を進めていた。貴族たちは参政とは形ばかりの飾りに過ぎず、豪勢な会食や娯楽で鬱憤を晴らしていたのだった。


 その中で、腐ることなく新しい統治の形を考えていたのがクニグリーク家だった。三代ほど前の当主は貴族に仕える小間使いとして働いていたが、その能力を認められ、跡継ぎのなかったクニグリーク家の養子になったのだった。そのような経緯から、貴族だけですべてを決める現状の統治に異議を唱え、身分を問わず優秀な人間で政治を行うべきだと、たびたびリグランタ家と衝突してきた。そして、昨年の冬から病に臥せっていたリーゴが亡くなり、エリスが領主になろうとするタイミングで、「今こそ民のための政治をするべきだ」と声を上げたのだった。


 リーゴは厳格で、貴族からの便宜を図ろうとする接待や賄賂を全て断ってきた。その潔癖さが仇となり、唐突な「領主は民の意志で決めるべきだ」という貴族たちの熱狂を、リグランタ家の者たちは跳ね返すことができなかった。民にありがちな、全ての悪いことは領主の不手際だとされる傾向も、またこの年が凶作で税が重いと感じていた民たちの不満が溜まっていたこともまずかった。そうしてあれよあれよという間に、リグランタ家は権力を失ったのであった。


 緊張のせいか小さく震えているハナと、毅然と前を見るエリスは対照的だった。エリスは冷ややかな視線を巡らせる。愛嬌がなく、父に似た孤高な雰囲気は、人形のような顔立ちを氷のように無表情にしてしまう。エリスにも自覚はあり、陰で「冷血姫」と揶揄されているという噂を耳にした時は、上手いことをいうと感心したくらいだった。そんな冷血姫のまなざしにぶつかると、拍手を盛んにしていた貴族たちは、その勢いを落として、気まずそうに下を向いてしまう。


 そしてエリスの視線は、クニグリーク家の者たちに向く。明るい太陽を体現したような、クニグリーク家の4人の息子たちが見える。父と共に、民衆のための政治を目指す長男のエル。幼い頃から様々な武術を習得し、戦いに生きがいを見出している次男のロベルト。貴族の子女を思わせる風貌、何よりも本を愛し、様々な分野の研究者から教えを請い、膨大な知識を持つ三男のカイン。そして歌と楽器を愛する自由人にして天性の人たらし、四男のリヴ。いずれもエリスの冷たい視線を受け流し、様子を見守っている。(勝者の余裕ね…)


 クニグリーク家の者たちは、当人たちが次期領主として好捕するのではなく、街の雑貨店で看板娘をしていたハナを推薦した。ハナはその突然の申し出に驚いたが、エルの説得を受けて、最終的にはクニグリーク家に住み込み、学ぶ身となった。そして、愛らしくて美しい、天使のような娘がパリョータの未来のために声を上げ、必死に訴えかける姿は、効果てきめんだった。ハナ当人は市井の苦労や大変さを減らしたいという気持ちでいるだろうが、これから様々な人間達の利害関係に振り回されるのかと思うと、エリスは自らの境遇も忘れ、同情したい気持ちになった。


「では、次にエリス=リグランタの処遇について」エリスの後ろから、伯父の声が響いた。(罪人に対する判決のような物言い…領主ではなくなっただけで、こうも違うのね)冷静にいようとしても、心臓がばくばくと音を立てる。「エリス=リグランタは領主の権利を放棄し、ノスモルの領主フロウ=ドラクセルに嫁ぐものとする」貴族たちがざわざわと騒がしくなった。クニグリーク家の息子たちも、エル以外は驚いた表情を浮かべている。「そんな…」ハナの顔が青ざめ、エリスを見た。エリスはふう、とため息をついた。ノスモルは北のはるか遠い、寂れた地にある。パリョータの華やかさや豊かさの欠片もないだろう。(首をはねられるよりはいいけれど、流刑のようなものか…)


「あ、あの!」エリスが言い渡された処遇を頭の中で反芻していると、ハナが声を上げ、伯父の方へ振り向いた。場がしんと静まる。「エリス様にはたくさんの知識と御父上から受け継いだ経験があります!統治の形が変わるからといってすべてを捨てる必要はあるのでしょうか?」「そ、それは」伯父は意見が出ると思わなかったのか、動揺している。(ハナ…)エリスの他人を寄せ付けない雰囲気に物怖じすることなく、ハナはエリスと積極的に交流しようとした。そしてハナの明るい笑顔に触れると、エリスもなぜか邪険にできず、教えを請われれば惜しみなく知識を与えていた。領主の座を争う関係ではあったが、決して険悪な仲ではなかったのだ。


「ハナ、これからは君が新しいパリョータを作り、新しい旗を先頭で振ることになるのだよ」エルが静かに声をかけ、歩み寄ってくる。「勿論私たちも協力する。…エリスの実力は皆がわかっている。おそらく御父上に並ぶ手腕を持っていると思う。わかっているからこそ、北の地でその力を活かしてもらいたい。君とエリスは、それぞれの場所で新しい生き方を始めるんだ」


 エリスは、芝居じみた身振りと話し方で場を変えようとするエルを冷ややかに一瞥した。昔からそりが合わない男だった。何度か貴族の討論の場に居合わせたことがあるが、絵空事を熱心に信奉している夢見がちな男としか思えなかった。平凡な暮らしを享受していたハナを巻き込んでまで、絵空事の実現に猛進する姿は恐怖すら感じる。だが、何も知らない民衆は、明るい金色の髪と緑色の美しい瞳の男に簡単に魅せられ、夢に酔うのだ。


「私はまだエリス様から学びたいことがあるんです。だから…」(もう、うんざり)エリスは目を閉じ、この見せしめと茶番が早く終わることを願った。

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