雨の海を泳ぐ僕ら
朝霧ゆめ
ビニール傘~side彼女~
「パンッ」
灰色に曇る空気の中、駅中のコンビニで一つだけ買った大きめの傘を彼が開く
ビニール越しに映る世界はキラキラと輝いて、何だかそこだけがまるで切り離されているみたいだった
隣にいるまだあどけなさの残る彼の顔を見あげる
いつもの無表情なその顔が私を見下ろしてかすかに笑った
雨音と終電間際の週末の雑音が響き渡るロータリーで2人とも黙ったまま歩き出す
傘を持つ長くて白い指が私の胸を締め付ける
ロータリーを抜けて最初の交差点の赤信号で足を停めると
「家こっちですか?」
とようやく彼が声を出す、締め付けられたままだった胸がつかえながら
「うん」
と小さく答えるのが精一杯だった
せめて掌を繋いでくれれば雨水の溜まりすぎたダムの放流のように気持ちが溢れて、逆に楽になれるのにと思いながら歩く
10年以上歩き慣れた家まで10分程の距離を頭に思い浮かべながら
何を話しながらどんな風に帰ればいいかと考えながら見つめた地面に
どんどん強くなる雨が弾かれては消えてく
「ねぇ…」
と彼が何か話そうとしたけどこんなに近くにいるのに強くなる雨音にかき消されてよく聞き取れない
2人ともそれが分かると静かに沈黙のまま歩き続けていた
曲がり角に来る度に傘の下で少し斜め前を歩く彼の背中に
「こっち」
と指をさしながら言うだけで時間はすぎ家までの距離は縮んでいった
10分の間に私の頭の中は少しづつ冷静さを取り戻していた
いや無理やり取り戻そうとしていただけだったのだろう
10年前に離婚を経験した
当時の夫の浮気が原因で…とよくある話だ
生まれ育った実家をでてそのまま同棲し結婚した
そして離婚を気に初めての一人暮らしをはじめたアパートに今も住み続けている
10年も住めばいわずともそこは私の小さなお城になっていた
築35年家賃5万5000円
玄関を開けてすぐの6畳のダイニングキッチンに引き戸の先に6畳の和室があるだけの小さな私のお城
その門の前に10歳も年下の男の子と立ちすくむ日が来るとは想像もしていなかった
「パタン」
と傘をとじる音が響く
見慣れたはずのアパートの廊下が今日はちっとも見慣れた景色でなくなっている
「傘どうします?」
そう聞かれてハッと別世界から現実世界に引きもどる
「うーん適当に玄関の前に置いといて」
鍵をあけながら発した自分の声が想像してたより冷静で安堵する
玄関を開けるとそこにかけてある木のビーズのれんがいつも通り少し揺れる
ここで生活するために再就職した事務の仕事は面白いほど正確に定時に終わる
家に帰っても1人の時間を持て余していて寂しいとまではいわないがとにかくつまらなさを感じていた
それならばいっそこの部屋を自分のお気に入りの空間にしよう
ずっと好きだったアジアンテイストのカラフルなアイテムを少しづつ揃えたい
ランタンのランプが欲しいなとか
モロッカンの絨毯を敷きたいなとか
そう思うと先立つものはお金
となんなく安易な考えで始めた1つ隣の主要駅にある大手のカラオケ店での深夜のバイト
そのバイト先に去年新卒で入社してきた男の子が何故か今日は隣にいて
小さな四角の玄関で靴まで脱いでいる
離婚してから10年とにかく自分で自分を労り続け慎ましく暮らしていた私には
すでにどんなに頭をフル回転させても何か一つの答えすら見つからない状況になっていてもう考える事をやめていた
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