第38話

 ただ待つのも無駄なので、僕は次についてを考える。次というのは、これからの生活のことだ。

 宿泊する場所と、食べるもの、着るもの。これを用意しなくてはならない。どうしたものか。

 僕は試行錯誤して、胴長の下に履いたズボンから財布を取り出す。中には……現金3万円とクレジットカードがある。だが、カードの方は意味がない。なぜならこの当時僕は18歳、成人年齢の引き下げも先のため、このカードはまだ存在していないからだ。

 現金も大学生の財布にしては入っている方だと思うが、これではもって一週間が限度だろう。

 アルバイトもできない。高校の学生証は返却したし、大学の学生証も、免許証も保険証も、すべて記載されている年次と僕の年齢がちぐはぐになってしまう。そもそも、そんなことをしていては酒井のことを調べられないのでどちらにせよダメだ。


 頼れる人間はいないのか。僕は考える。まず浮かんだのは両親だが、すぐにダメだと結論付ける。この頃の僕は普通に生活しているし、経緯を説明したところで信じてはもらえないだろう。

 坂口さんはどうか。時期的に、指を失った頃だろう。ならば彼はすでに未来で何が起こるのかをある程度知っている。助けてくれるかもしれない。

 でもすぐに、これもダメだとなる。彼は教授の話を信じているからだ。未来の整合性を守るために、過去を変えることを許すはずはない。さらに言えば、彼はマシンの研究の継続も望んでいないから、僕を二年半幽閉し、マシンを破壊してしまう可能性もある。危険だ。

 加藤さんは……厳しそうだ。そもそも貸してくれるだけのお金を持っているのかすらわからない。


 他に誰かいないのか。


 脳裏に、一人の人物が浮かんだ。ブレイザーだ。

 鳩羽教授と関係のある彼なら、話を信じてくれるだろう。それに、彼はマシンのことについては良く知らないはずだ。そうだとすれば、過去を変える行為にも協力してくれるかもしれない。

 夜になり、僕は来た時と同じ場所を目指した。例によって鉄格子には鎖がかかっていたので、破壊して外からバレない様巻き付けておく。

 水路を進み、来たのと同じ土手に到着した僕は、胴長を脱ぎ捨てて街へと出た。来た時よりも気温は高く、下に着ていた服には汗が滲む。

 とりあえず今日は夜も遅いので、ネットカフェに泊まることにした。


 夜が明け、パソコンを使ってブレイザーが何者なのかを調べる。どうやら彼は、日本支店でそこそこのポストにいるらしい。

 アポイントを取るのは大変かもしれないが、やってみる他はない。行き先は東京第一支店だ。

 ビルへと到着して中に入り、辺りを見回す。周りにいるのはスーツを着た人ばかりで、一般的な銀行とは違うものであることが伺える。

 気にしても仕方がないと、僕は受付の女性に話しかける。


「すみません、ブレイザーさんにお話ししたいことがあるのですが」

 すると彼女は、僕のラフな服装を上から下まで眺めてから、答えた。訝しげと言うぐあいだ。

「お約束はされていますか?」

「いいえ。でも、大事な話です」

「すみません、ブレイザーは現在立て込んでおりまして」

「では、せめて『鳩羽譲司と2022年の事故について、湯川成章が話にきた』とお伝えいただけませんか」

 追い払おうとする彼女に、僕はそう食い下がった。すると彼女はため息をついてから「わかりました」とだけ答えたので、感謝を伝えてカウンターを離れて椅子に着いた。

 彼女が電話で誰かに話しているのが見える。相手はブレイザーであってほしい。


 すると彼女は眼を見開き、驚いた顔を見せた。かと思うと、僕の方を一目見てから露骨に眼を逸らした。どのようなやり取りがあったのか知らないが、自分が予想していたのと違う結果になって納得がいかないらしい。

 そんなことを思っていると、エレベーターからブレイザーが姿を現した。


「貴方が湯川さんですか?」

 相変わらず流暢な日本語で、彼は言う。まあ『相変わらず』と言っても、この彼は僕が以前会った彼よりも前の彼なのだが。

…………ややこしい。


「はい、そうです。お会いできてよかった。お忙しい中ありがとうございます」

「ふむ。ということは、貴方は未来……おっと、ここではいけませんね。私のオフィスに来てください」

 立ち上がって答えた僕に、彼は途中まで言うと口を押さえて周りを見てからエレベーターの方を指差した。


 エレベーターには19階まで階が設定されており、高いビルであることがうかがえる。

到着のベルが響き、振動もなく静かに停止したエレベーターは15階へと僕を誘う。

 タイムマシンもこのくらい静かに止まってくれればいいのに、と思う。

「こちらへ」

 通された彼のオフィスは、中々豪華なものだった。

 まず広さは先程のタイムマシンが収まっていた空間ほどあり、天井は少しだけ高い。そして大きな窓があり、そこからは東京のビル街が覗いている。

 部屋の真ん中奥には黒い木材で出来た高級そうなデスクが鎮座していて、隅には観葉植物があった。これは確かベンジャミン……と言っただろうか。

「すみません、少し仕事が立て込んでおりまして。すぐに済ませますのでそこでお待ちいただけますか」

 彼はデスクにつき、部屋にあるソファを指差した。

 僕はそれに従い、ソファに腰かける。想像していたよりもずっと腰が沈み込んだので、思わずひっくり返りそうになる。

 どうやらこれもかなり高級なものらしい。


 そこから20分ほどが経ち、仕事を終えたらしい彼がパソコンのモニターから眼を離し、僕の方を向いた。


「お待たせ致しました。さて、お話とは?」

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