第27話
「どういう意味ですか?」
彼の発言の意図がわからず、問う。しかし彼は何も答えず、僕に背を向けた。
よく見ると、実験室はいつもと雰囲気が違った。モノが圧倒的に多いのだ。というより、本来研究室にあるものがすべて実験室にある。書類や資料、パソコン類だ。研究室から移動したのだろう。
だが、足の悪い彼が、一人でどうやって運んだというのか。
「湯川くん……。来てしまいましたか。ということは、これは日記に書かない方が良さそうですね」
そんなとき、そう教授の声がした。見ると、彼はマシンのドア前に立っている。ますますわけがわからなくなる一方、荷物のことについては納得がいった。二人で運んだらしい。
「これは、私がしなくてはいけないことなのです」
混乱する僕をよそに、彼が言う。
「待ってください。どういうことですか。日記?しなくてはならない……?それに、どうして資料をそっちに……」
考えがまとまらず、つい日本語がおかしくなる。
「ふむ……。私の部屋に行ってください。鍵は開いています」
それに対し、彼は奥の部屋を指さした。教授と庄司さん以外入ることが許されない部屋。そこに、何があるというのか。
僕は指示に従い、そのドアを開いた。中は3畳ほどの小さな部屋で窓はなく、椅子と机、本棚があるだけだった。
例によって、そこにパソコンの類はない。書類も同様だ。壁にちぎれた付箋の跡があるのを見るに、ここにあったものも実験室に運んだのだろう。
机の引き出しに手をかける。そこには、一冊の古びたノートがあった。背表紙は茶色い革で作られ、厚さは辞書の半分ほどある。これには、見覚えがあった。以前教授と庄司さんが見ていたものだ。
ベルトを外し、最初のページを開く。
1997年5月13日火曜日:自宅の庭から、Xとこの日記を発掘する。
私の名は鳩羽譲司。これから、ここに記してある通りに行動してもらう。理不尽だとは思わないで欲しい。これを書いた自分もまた、すでにこの指示に従ったのだ。
ノートは日記のような使い方をされているらしく、最初のページにはそう書いてあった。
飛ばしながら、中身を見る。
2008年12月7日年:試作一号機完成。
試作が完成、翌日実験を行う。ただし、これは成功せず、マシンは丸ごと消失する。
2018年4月8日:加藤季郎入室
2021年4月3日:湯川成章、斎藤ひかり入室
他のページを見ても、ずっと同じようなことが書いてあった。出来事。実験の日付と内容、結果。マシンの構造、それに関わった人物の名前。
どうやら、ここには未来に起こることが確定事項として記されているらしい。
そして……。
「教授!!これはどういうことですか!」
最後のページの内容を見て、僕はすぐに研究室へと引き返して彼に叫ぶ。
『最初に人を乗せた実験は失敗する』
最後のページのタイトルには日付がなく、内容にも、人物名が書かれていなかった。あったのは、実験は失敗して今から200年ほど前に飛ばされるということだけだった。
「最後のページだけは、なぜだか曖昧に書いてありました。きっと、これを書いた未来の私が配慮してくれたのでしょう。自分を犠牲とする選択を、自分自身の意思によってできるように」
「そんな……。そんなもの、無視すればいいじゃないですか!実験をやめるんです。このノートも捨てて、なかったことにすればきっと……」
「ダメです。それでは、過去が変わってしまう」
僕の抗議に対し、彼は首を振る。
「変えてしまえば良い!!過去を変える!それが、タイムマシンというものでしょう!?」
「それはできません。これを見てください」
再度言った僕に、彼は落ち着き払って答えるとマシンからノートを取り出した。それは今僕の手にあるのと同じ装丁の、新品だった。
「ノートを掘り起こした次の日。私は、本当にこれを書いたのが私なのか不思議に思い、同じものを買ってみたのです。その結果、どうなったと思いますか?」
僕の方に見せながら、彼が問う。答えずにいると、彼は続ける。
「この傷がつきました」
彼が指を指したのは、ノートの背表紙についた、10㎝ほどの傷だった。何か尖ったもので革の表面をなぞられ、その部分だけ白くなっている。
そしてその傷には、僕も見覚えがある。そう。僕が今もっている古びたノートにも、全く同じ傷がついているのだ。
「買ったばかりの時に落としてしまいましてね。帰ってから、見比べて驚きましたよ。これはもう、人智を越えた運命かなにかなのでしょうね。この出来事以降、ノートを疑うのをやめました。
書いてある銀行口座からお金をおろして研究費に充て、書いてある通りに実験を行い、書いてある通りの人物を入室させる。その毎日です。
基本的に簡単なことでしたが、大変なこともありました。なにせ、悲劇も記してあるのですからね。庄司くんの足と坂口くんの指があることは決まっていました。
知っているのに止められないというのはむなしいものです」
「止めればよかったじゃないですか!運命なんだとしても、抗うべきです!」
ふざけたことを言う彼に、僕は再度叫び、ガラスを殴りつける。しかし強化ガラスのそれはビクともせず、ゴツンという鈍い音を立てるだけだった。
「教授、準備ができました」
そんな中、庄司さんがマシンから出てきて言った。
「わかりました。では、最後の作業をします」
彼はそう答えると、書類やパソコンの置いてある方に歩を進めた。そして、地面に置いてあった缶を手に取った。それはガソリン携行缶だった。
そして彼は、中身を書類とパソコンにかけ始めた。
「なんてこ」
「こうするべきなのです!」
声を出しかけた僕を遮るように、彼が叫ぶ。彼が声を荒げる姿を見るのは、初めてだった。
「……失礼。取り乱しました。タイムマシンは、先の運命を固定する、作ってはいけない装置だったのです。だから二度と作れないよう、資料を焼くのです。Xについても、すでに処分しました。」
それを聞いて、金庫の中がカラになったことを思い出した。減っていたのは、そういうことだったのか。
「待ってください!僕はどうなるんですか!僕は過去に……」
「過去は変えられません。それでは」
最後の説得を心みたがもう遅く、彼はポケットからライターを取り出してガソリンに火を着けた。
勢いよく燃え盛り、書類は一瞬で炎に包まれる。それを見た僕は身体に力が入らなくなって、地面にへたりこんだ。
大量の黒煙に覆われ、ガラスの向こうは見えにくくなる。ただ実験室は密閉されているようで、こちらに煙が来ることはない。
「教授、早く!」
「乗りました。扉を閉めてください」
そう声がして、金属音が鳴った。マシンのドアが閉められたのだろう。
起動音がなり、昨日と同じように空中への放電と電灯の点滅、地面の振動が始まる。黒煙の中行われるそれは、まるで雷雲のようだなと、のんきにも僕はそう思った。もう、何もする気にならない。
バシュー――!!!
マシンの転送音が響く。彼らは、旅立った。200年前に。
「クソ!!」
それを見届けて、僕は地面を殴りつけた。眼の前には、黒煙に包まれた実験室だけが見えている。
教授と庄司さん。そしてなにより、マシンをいっぺんに失った。僕はこれから、どうやって生きていけばいいのだろうか。酒井を助けることは、叶わないのか。
心臓が重くなる。
「すごい音がしたけど、どうし……何これ……火事!?」
音を聞いたのか、斎藤が飛び込んできた。研究室がカラになっていることへの動揺と、実験室が燃えていることへの驚きが、言動に現れている。
「教授が……つけたんだ」
立ち上がって椅子に移動してからそう伝える。
「もう、ダメなんだ。酒井は助けられない。僕は終わりだ」
机に肘をついて、眼を覆う。
「ちょっと待ってよ!意味がわからない!どういうことなのか教え……」
バシュー―――――!!!
彼女が僕に説明を求めた時、再び轟音が響いた。衝撃波が耳を貫き、身体が宙に浮く。まもなく背中に激痛が走って、僕はそのまま意識を失った。
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