第7話
彼に連れられ、僕は研究室壁側のデスクを教えてもらった。
紹介されたそれは汚く、真ん中に置かれたパソコンの前や横、後ろには書類やカラの缶、ペットボトルなんかが散乱している。
「俺の隣があいているから、そこを使ってくれ」
隣を指されたが、机が隣とつながった構造となっているために、そこにも彼の持ち物が流れ込んできている。これのどこが「あいている」なのか。
「加藤さんは、ここでは何の担当をしてるんですか?」
ひとまず椅子に座り、机上について何か言いたくなる気持ちを抑えつつ、そう訊ねた。
「ああ、俺はコアとその制御機関を担当してる」
「コア?」
「ああ。コアっていうのは、簡単に言うと時間を遡らせるためのエンジンみたいなものだ」
彼は書類の山からノートを取り出し、余白に図を描く。
説明によると、タイムマシンで一番重要なのは「X」と呼ばれる物質だという。これは聞いたことがあった。確か鳩羽教授が発見した物質で、時間を逆に進む性質を持っていたはずだ。
タイムマシンでは、その『X』にまた別の物質を接触させ、その際起こる作用を利用して過去へ行くらしい。
そして、その進み方なんかを制御する装置がコアであり、彼はその担当をしているというのだ。
「最重要の部品じゃないですか。そんなものの助手に、僕みたいな学部一年がついてもいいものなんですか?」奇妙に思い、訊ねる。
「それはあまり重要じゃない。俺だって、先代からコアを引き継いだのは学部生の時だ。あの時は急だったから焦ったよ」
「急だった、とは?」
「ああ、事故が起きてね。その時先代は指を失くして、やめちゃったんだ」
その話を聞き、改めてこの研究の危なさを実感する。
「なるほど……」
「まぁ、そんなことは良いんだ。これを渡しておくよ」
彼は「暗い話はここまでだ」と言った様子で言うと、机の下から何か分厚い冊子を取り出し、僕の前に鈍い音を立てて置いた。
それはa4サイズであるにも関わらず厚さは辞書近くあり、いたるところから付箋がはみ出している。
「これは?」
「コアの設計とかその理論、必要な物理の分野とか、それを学ぶための参考書の情報が書いてある冊子だ。言わば入室者用の教科書だな。何度も改稿されてるから少し汚いが、かなり役に立つはずだ。隅から隅まで読んで、それを全部理解できるようになったら、やっと基礎の基礎のさらに基礎が終わる感じだ。あ、もちろん普段の講義はキチンと受けていることが前提になる。頑張ってな」
それについて訊ねた僕に、彼は早口で答えると、あとは知らんと言った様子でパソコンに眼をやった。
「わかりました」
指示に従い、僕は机にスペースを作って読み始める。わかってはいたことだが内容はかなり難しく、高校の物理やなんかとは格が違った。これは大変なことになりそうだ。
その日はそれを理解するかしないかに関わらず、とりあえず読むことに専念した。
しかし一向にページは進まず、あっという間に終業時刻を迎えた。
「どうだ。理解できそうか?」
冊子と対峙する僕に、加藤さんが帰り支度をしながら訊ねる。
「……さっぱりです」
「だろうな、俺もそうだったから。それ、持って帰っていいぞ」
「え?でもこれって機密とか……」
普通こういった研究に関する資料は、持ち出し厳禁ではないのだろうか。
「問題ない。その情報だけじゃタイムマシンは作れないし、何より教授がいいと言っている」
「そういうものですか」
「おう。それじゃあまたな」
彼は軽く手を振り、茶色の手提げ鞄を持って研究室を後にした。
疲れたので、僕も早く帰りたい。しかしこんなに大きな本、どうやって……。
「その鞄には入らないでしょう、これをどうぞ」
冊子の処理に困っていると、後ろから声がした。見ると教授がいて、手には大学のロゴが印字されたカンバス地のトートバッグを持っている。「どうでした?一日目は」
「あ、ありがとうございます……。正直なところ、これの内容を理解できるか不安です」
それを受け取り、冊子を入れながら答える。
「きっと湯川くんなら大丈夫ですよ。貴方はきっと、いや、確実に、この研究において重要な人物になります」
まだ出会ってまもないというのに、彼はそんなことを言った。
「あまり期待されても怖いですよ」と苦笑いで返すも、彼はふふと笑い、そのまま斎藤にも僕にしたのと同じように絡んでいた。
研究室を閉めるのを手伝い、斎藤と共に駅を目指す。
「湯川は何をすることになったの?」道中、彼女が訊ねる。
「コアとかいう部品と、その制御機関の助手をするらしい。こんな分厚い冊子を渡されたよ。これをわかってやっと基礎だと」
僕は右手で冊子の厚さを表現してみせた。「斎藤はどうなんだ?」
「私はね、そのコアを格納するのと、その他人員とか物資を乗せるための構造物を手伝うみたい。それと似たような冊子を渡されたから、私も頑張らなきゃ……」彼女は眼を伏せ、少し不安そうに言う。
「まあ、タイムマシンなんて難しそうなものに関わるんだから当然だよなぁ。むしろこの程度で基礎になってくれることに感謝したほうが良いのかもしれないよ」
「それもそだね」
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