第5話
研究室に向かう途中話を聞くと、彼女は斎藤ひかりと言うらしい。僕と同じく、タイムマシン研究のためにこの大学を志望したとのことだ。
僕は動機が少々……いや、かなり歪んでいるので、純粋に研究を求めてやってきた彼女に対し、負い目を感じる。
曲げていた右足が伸びてきたころ、それらしき建物に到着した。見たところコンクリートで作られており、柱が外側に出っ張っている。いかにも頑丈そうだ。
「たぶんこれがそうよね」
「看板もあるし、間違いなさそうだ」
僕が指さしたドアの上には、横書きで『鳩羽研究室』と書かれた木製の看板が掲げられていた。
僕らは移動し、ドアの前に立った。それは特別なものではなく、プレハブ小屋についているような、一般的な丸ノブのものだった。
「さて」
僕はそうつぶやき、右中指でドアをノックする。
いや、してない。ノックとしようとした瞬間にドアが開いた。
「入室希望の一年生だよね。待っていたよ。どうぞ、中に入って」
中から男性が顔を覗かせたかと思うと、彼はそう言ってドアを全開にし、手招きをした。四十代くらいに見える彼は眼鏡をかけていて、真面目そうに見える。
建物に入ってすぐの場所は、事務室になっていた。事務机と椅子があり、その上にはキチンと整えられたバインダーやファイルが並べられている。恐らくは事務的な書類だろう。
「狭くてごめんね。奥の研究室は広いんだけど、その前に名前を聞いておきたくてさ。じゃあまず、君から」
彼は事務机の椅子に腰かけると、着ているシャツについたポケットからペンを取りだし、僕を指した。
「湯川と申します。タイムマシンの研究がしたくてこの大学に入りました」
「OK、じゃあ、次は君」
そう答えて見せると、今度は斎藤にペンを向ける。
「斎藤ひかりです。私も彼と同じ理由で入学しました」
「OK、じゃあ決まりだ。教授!新入生ですよ!」
彼は二人の話を聞き終えると、奥に続いているであろうドアに向かって声を上げた。
「はい、今行きます」
そしてドアの向こうから声がしたかと思うと、まもなくして六十代か七十代の、白い髭を生やした男性が姿を見せた。服装はワイシャツにニットのベストと、実に大学教授らしいものをしている。
「ささ、中に入ってください」彼は内開きのドアを開けると、さきほどの彼がしたのと同じように手招きをした。
入ってすぐ、その内装に衝撃を受ける。広いというのもそうだが、入って右手の壁はガラス張りになっていて、その向こうにはコンクリートがむき出しの作業場が、こちらには学校の理科室を思わせる机と椅子、棚がある。イメージしていたものよりも、だいぶオシャレだ。
しかしそれら机の上には大量に付箋が貼られたパソコンと、それが埋まりそうなくらいの紙資料が山と積まれている。パソコンごとに散らかり具合が違うのを見ると、ひとりにひとつデスクの領域が割り振られているようだ。今日は誰も来ていないようだが。
「さて、自己紹介をしましょう。私は鳩羽譲司、この大学で教授として、タイムマシンの研究をしています」
彼は僕らに向き直ると、両手を広げてそう言った。白髪のオールバックに整えられた白い髭、そしてあたたかな眼つきは、研究者としてのカリスマ性を感じさせるとともに、どこか穏やかな印象も与える。
その後、彼から研究室についての説明があった。
それによると、今いるこちらの部屋を「研究室」、ガラスの向こう側の部屋を「実験室」と呼んでいるらしい。
イメージとしては「科学者の部屋」と「技術者の部屋」といった感じだ。もっとも、ここでは同じ人間がどちらの仕事もするようだが。
研究室の奥にはもうひとつ部屋があるが、そこは主に教授が使うため、気にしなくていいとのことだった。
「さて、何か質問はありますか?」
説明を終えると、彼はそう訊ねた。
「特に、ありません」
僕と斎藤が答えると、彼は「わかりました」と言い、比較的書類の少ない机に着いた。
「君たちもどうぞ」彼が向かいを指したので、僕と斎藤はそれに従った。
「庄司君、こちらへ」
「はい、はい。よいしょ……と」
教授が事務室に向かって少し大きな声を出すと、さっきの男性がひょこひょこと歩いてきて、彼の隣に座った。名前は庄司というらしい。
「今、見せられますか?」
「大丈夫ですよ、ちょっと待ってくださいね」
教授が問うと、彼は身体を屈ませて足元の何かを弄った。そして金属音がしたかと思うと、大きなワイングラスのような形状のものが机におかれた。
細長いそれは銀色に光る金属と白いプラスチックで出来ており、どこかSF映画にでてきそうな印象を持たせる。
それは、彼の『脚』だった。
白衣の裾と長ズボンに隠れていたのでわからなかったが、どうやら彼は左脚がないらしい。
「驚いた?こうして見るのは初めてかな」
神妙な面持ちでそれを見る僕に、彼は冗談めかしながら、それでいて無気味な笑みを浮かべた。
これが、タイムマシン研究の恐ろしい所だ。どれだけ安全に気を使っても、現代の物理学では説明できない領域が多いため、稀に事故が起きる。きっと彼は、それで脚を失ったのだろう。
「タイムマシンの研究は、たまにこういうことが起こります。湯川くん、斎藤さん。それでも、この研究室への入室を望みますか?」
脚が置かれた机越しに、教授がそう訊ねた。先ほどの微笑みはなく、少しだけ眉に力が入っている。
「もちろんです。覚悟の上で来ました」
「私もです。怖くありません」
僕と斎藤は、すぐに答えた。
「ありがとうございます。まぁ、このくらいで引かないことはわかっていたのですが、大学のルールで聞くことになっていましてね。さて、君たちにはうちのメンバーになってもらいます。明日は研究員も来るので、詳しいことはまたお話ししましょう」
彼は僕たちの答えに言うと、今日はこれで終わりであることを告げるとともに、同意書を渡してきた。
それはケガに関するもので、大学が必要以上に責任を負わないためのものだった。
「これからよろしくね!」
研究室を出ると、そう言って斎藤が右手を差し出してきた。表情は笑顔で、無事入室できたことを心から喜んでいるようだ。
「ああ、よろしく」
僕はそう答え、その手を取った。身長のわりに、意外と小さな手だった。
その後は彼女からの提案で、ファミレスに移動した。
女子と二人で出かけた経験は何度かあるものの、こんなにキラキラした人とは初めてなのでなぜだか緊張する。ただ食事を摂るというだけのことで、他意などありえないというのに。
「湯川は、どうしてタイムマシンの研究をしようと思ったの?」
注文したものを待つ間、彼女が訊ねた。
「うーん……」
突然の難題に、僕は頭を悩ませた。まさか『死んだ恋人を助けるため』などと本当のことを言うわけにいくまい。
「好きな映画にタイムマシンを使ったのがあってね。実際に存在したら、ロマンチックかなって」
少し考えて、僕はそう嘘を吐いた。そんな映画はない。あるかもしれないが、僕は知らない
「へぇ、なんていう映画?」
「えーと……なんて言ったかな。覚えてないや」
「好きな映画なのに?」
「だいぶ昔に見たから、あらすじと、『好きだった』って記憶だけが残ってるんだよ」
深く切り込んでくる彼女に、僕は苦し紛れにごまかす。
「ふーん……」
しかし彼女は、少し疑うような眼を僕にやった。
「まあそれはともかく、斎藤さんの方は、なんでタイムマシンを?」
まずいと思った僕は、話題を逸らすべくそう訊ねる。
「私?私はね……」
すると彼女は首をかしげ、いたずらっぽく笑って、続けた。
「彼氏を取り戻すためだよ」
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