第26話 仕事初日

 時刻は5時半を過ぎた頃。

 高い場所に本部があるので、山の側でも海が見える。水平線から朝日が少しずつ顔を出す。海面がキラキラと輝き、とても美しい。イオリはなんとか五時に起きる事ができ、眠い目をこすりながら身支度をする。そして、ハゼリと一緒に玄関の掃除をしようと外に出てきて、明るくなってきている事に気付いた。玄関を出ると左手に海が見えたのだ。昨日は緊張していて、周りを見る余裕もなかった。その美しさに、眠気も一気に吹き飛ぶくらいの衝撃を受けた。

「キレイだろう? 私はこの瞬間が一番好きなんだよ。今日もがんばろうって気持ちになる」

 ハゼリも隣に来て、朝日を見ている。

「はい! よく分かります」

 太陽の熱が伝わって来る。ガイヤの温かい心も伝わって来る気がして、イオリも胸が熱くなった。ほうきを握り、掃除を始める。広々とした宿舎の玄関、宿舎の周りをほうきで掃き、ちりやゴミ、雑草を取り除いていく。




 宿舎の部屋に明かりが灯る。兵達が起きたのだ。徐々に賑やかになってくる。そうして、本部へ向かう為に玄関へやって来た。最初に来たのは新兵だ。先輩よりも早く向かい、仕事準備にとりかかる。

 セーニョ島に行かなかった兵は、帰還した同僚達にイオリという人物を連れ帰った事を聞いた。空から突然落ちて来た異世界の者で、船で敵に襲われた事も話題になる。宿舎に兵達が帰って来た頃に、ハゼリが彼らに改めてイオリを紹介してくれた。彼女を実際目にするのはこれが初めてという者もいて、イオリは最初の第一印象が大事だと、震える手をぎゅっと握って頭を下げ、丁寧に挨拶をした。


「あ、イオリさーん」

「おはようございます」

「行ってきますね」

 敵ではないと理解してくれた彼らは、イオリを受け入れてくれた。それに感謝し、イオリは精一杯の笑顔を送る。

「行ってらっしゃい!」

 ハゼリも満足そうだ。ミソール達女性軍人も、イオリの仕事初日を応援してくれた。




「お、おも……」

 掃除が終わり、兵達を全員見送ると、次は洗濯だ。シーツは使用した個人がシーツ回収かごに入れてくれるので、各部屋に取りに行かなくて良いのは楽。しかし、一枚でもけっこうかさばる。十枚ほどを両手で抱え、一階にあるランドリールームへ。これを二回繰り返す。洗濯機がある事は救いだった。これを一枚ずつ手で洗っていたら、一日がこれだけで終わってしまう。

 数枚を洗濯機に入れて、洗剤を投入。スイッチオンだ。ゴウンゴウン、と聞き覚えのある音を聞きながら、ハゼリと一緒に洗い上がったシーツを宿舎の東側にある物干し場へ。パンッ、と気持ちの良い音を立ててピンと張り、シーツを干していく。白いシーツが何枚も干され、風になびく様子は、とても清々しかった。

「やっぱり、一人より二人だねぇ。しかも若い子だから、すぐに干せたよ」

「良かったです」

 これだけ動くとスッキリ目が覚める。イオリはシーツを入れていたカゴを持ち上げた。


 ぐぅ。


「あ……」

 恥ずかしくて顔が赤くなるイオリ。ハゼリはにっこりと笑った。

「お腹空いたね! 今洗ってる分は、ごはんを食べた後にしようか」

 遠くでゴウンゴウンと洗濯の音が聞こえる。まだ脱水まで時間があるようだ。

「はい!」

 イオリは元気に答えると、二人並んで歩き出した。






「なーんだ。盗み見か?」

「……仕事初日だから、様子を見てただけだ」

 ニヤニヤしているルクスをちらりと見て、ジェイドは眉間にしわを寄せながらぼそりと言った。

 ここは本部。ジェイドの仕事部屋だ。窓から宿舎が小さくだが見えるので、コーヒーを飲みながら外を眺めていると、これまた小さい人影が二つ、ちょこちょこ動いているのが見えた。イオリは身長が大きい方ではない。シーツを干そうと、一生懸命腕を伸ばして頑張る姿は、遠目で見ても良く分かった。

「グレイスは充電してきたのか?」

「そりゃあもうっ! フル充電だぜ。ベビーちゃんも大丈夫だったしな。グレイスにイオリの事を話したら、会ってみたいってさ」

「は? 何でイオリの名前が」

「あの子、妊婦の知識が多少あるみたいなんだ。船で話した時に聞いた。向こうの世界の知り合いに、妊娠出産の事を教えてもらったとかって」

「おい、グレイスにあいつが異世界の人間だって話してねぇだろうな?」

「言ったと思う?」

「彼女に嘘は付けねぇタイプだろ」

「当たり!」

「……」

 ジェイドがルクスを睨む。ルクスは肩をすくめた。

「そんな怖い目で睨むなよ。基本的に、グレイスには隠し事はしない主義だが、こればっかりは言ってないよ。彼女には外国出身の子で、賊に襲われて家族と生き別れたから保護したって話した」

「そうか……」

 ふぅ。小さく息を吐く。


 イオリをこの町に入れるに当たり、連れて来た事情を第五団の兵全員で口裏を合わせる必要があった。リオマスの町は人々の距離がとても近く、町に住む人間皆が家族のように仲が良い。噂など、あっという間に広がってしまうのだ。軍が一人の娘を保護したなど、噂の恰好のネタ。どこで話が漏れてしまうか分からない状況なので、イオリの設定を決めたのだ。真実を混ぜながら、異世界の人間である事は絶対に禁句。

 そうして決まったのが、賊に襲われ誘拐されたという話だ。家族と生き別れた事、そして外国出身という事にすれば、真実からそれほどかけ離れてはいない。

 この設定は、イオリ本人にも了解を取り、ハゼリにも徹底させている。


「それで? ジェイド大隊長殿の目には、あの子はどう映ってる?」

「現段階では、普通のどこにでもいる女に見える。言動を見ても真面目だしな。何か企んでる様子もない」

 窓から宿舎を見た。イオリは建物の中から再び洗濯が終わったシーツを持ってきて、物干し台に広げている姿が小さく見える。ちょこちょこと動くイオリを見て、ルクスはふっと笑った。

「かわいい子じゃないか。あの子が世界を滅ぼすとは思えないけどな」

「後からどう変わるか分からん。観察は続ける」

 ジェイドが腕を組んだ。

「ガイヤの守り手ってのも、大変だな。そうそう、船でイオリの追手と戦った時、装填そうてんせずに何発も弾を撃てたのって、柱の力か?」

 後で聞こうと思っていた疑問を、ルクスはぶつけてみた。頷くジェイド。

「ああ。実戦では初めて使った。役目に関係ない所で力は使うなと言われてるせいでな」

 その言葉を聞いたルクスは、目を丸くした。

「人の言う事を聞かないお前が、ちゃんと指示を聞くなんて!」

「人聞き悪い事を言うな。納得のいかない事に、わざわざ従うつもりはねぇってだけだ。師匠は――……言う事聞かねぇと、やべぇんだよ」

「やべぇって」

 ジェイドの眉間の皺が深くなる。

「俺の師匠は風をつかさどる。風の精霊を従えてるんだ。つまり、今話してるこの内容も、精霊がチクれば師匠に全部筒抜けって事だ」

「え?」

 開け放たれている窓から、心地良い風がさぁ、と吹き抜けた。二人の髪の毛を揺らす。

「俺がやらかしたら精霊の奴、師匠に全部報告しやがる。師匠の教えに反した事をすれば、俺はバラバラにされる」

「うわぁ……。すごいお仕置き」

「そういう事だ……」

 彼なりの事情と苦悩があるのだろうと察したルクスは、ポケットに入っていたアメ玉を机にコロンと置いた。

「まぁ、がんばれ。手伝える事があれば言えよ。力になるから」

「じゃあ、机の書類、全部ハンコ押して連絡事項まとめておいてくれるか?」

「それはお前の仕事っ!!」



 コンコン。

 誰かがジェイドの部屋の扉をノックした。

「入れ」

 ガチャリと扉が開き、兵が一人入って来た。

「大隊長、全員整列しました。朝礼の時間です」

「分かった」



 ジェイドは外をちらりと見た後、ルクスを連れて部屋を出る。開いたままの窓は、風で揺れてキィキィと音を立てていた。

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