第12話 夜
イオリは教えてもらった言葉を反復して、発音を口に覚えさせていた。部屋から出られないので、やることなど限られてくる。発音練習に疲れたら窓から海を眺め、それに飽きたら紙袋に入っていた読みかけの本を呼んで時間を潰した。親友からもらったしおりがページから見える。仲の良い彼女とも会いたい。赤とピンクの透明の石が、揺れていた。
家族からのプレゼントを見ると、やはり胸がずきりと痛む。生きているだろうか。そればかりを考えてしまう。
あれからジェイドの顔を見ていない。大隊長は忙しいとジョリー達が言っていたので、イオリは考えないようにして、ただ、静かに部屋で過ごしていた。ごはんは美味しいので、それが今、唯一の楽しみとなっている。
「ふぅ」
もう夜だ。窓の外は真っ暗で何も見えない。部屋の明かりで窓に自分の顔が映る。驚いてしまった。やる事もないので、寝てしまおうかと考えていた時だった。
コンコン。
「はい」
イオリの返事を聞いて、扉が開かれた。
「特訓の成果が出てるようだな」
「ジェイドさん」
入って来たのはこの船の一番偉い人、ジェイドだった。途端に緊張してしまう。
「お、おかげ様で……」
「ジョリー達が、覚えるのが早いと褒めていたぞ。イオリを気に入ったらしい」
「嬉しいです。皆さん、教えるの上手いです。とても優しい人達です」
ゆっくり話す。本当に彼女達は教えるのが上手かった。何度も反復して教えてくれ、褒めて伸ばす教育方針のおかげで、少しずつ身につけられたのだ。まだカタコト気味だが、数時間で明らかに上達していた。
ジェイドは、椅子をイオリの前まで引っ張って来て座る。
「気分はどうだ? 体調が
彼からイオリを気遣う言葉が出て来たので、少し驚いて目を丸くした。
「見張られている状態だから、良い気分ではない事は分かるが、何かあれば外の部下に言えば良い」
「ありがとうございます。大丈夫です」
敵意を向けられているわけではない事は理解出来ているので、イオリは笑顔を見せた。
「あ、あの」
「何だ?」
「何で私がこの世界に来たか、なんて……分からないですよね……」
一番の謎がこれだ。世界を飛ぶなど、あり得ない事があったのだから。イオリには心当たりがない。自分がここに来た時、近くにいたという彼なら、何か知っているかもしれないと思ったのだ。
ジェイドは腕を組み、少し考えた。
「ちゃんとした事は分からない。あんたを見つけた島の巫女のばあさんは、あんたが世界の命運を握るとか言っていたが。要は、厄介事に巻き込まれたって事だろ」
話が現実離れし過ぎていて、イオリは全く実感できない。
「俺もまだちゃんと把握して、納得してるわけじゃない。そういう事情に詳しい人物に心当たりがあるから、時間が出来たら話を聞きに行こうと思ってる」
「その時は、私も連れて行ってください」
「いいだろう」
自分の置かれている状況は分からないが、イオリはジェイドの存在に救われていた。夢で見ていた彼だったが、本当に頼りになる。気にかけてくれていた事が、何よりうれしかった。
(それに、こんなに会話が出来るなんてっっ!!)
内心、浮かれていたイオリだったが、彼の次の言葉に固まってしまった。
「イオリが襲われたと言っていたフードの人物だが、追って来る可能性が高い」
「え……!?」
あの時の事を思い出し、背筋が冷たくなる。
「可能性があるというだけだ。確証はない。イオリの母親が、何か知っていそうな感じだったが、何も聞いていないのか?」
ジェイドは事情聴取の時、母親が狙いはイオリだと言って逃がそうとした事に、引っかかりを覚えたのだ。イオリは首を横に振った。本当に何も知らないのだ。
「そうか。狙われているのがイオリなら、また襲って来ると考えるのが自然だろう。まぁ、はっきりした事は分からん。その時はその時だ。襲われた時は俺達がいるから安心しろ」
「はい……」
イオリの表情が暗い。またあの連中と会うなど怖すぎる。そんな彼女の表情を見て、ジェイドは頭をがり、とかいた
「心配しすぎるなよ。あんたを
ジェイドを見たイオリ。
「監視を解除?」
「ああ。明日の夕方ごろには本土へ到着する。指令室以外の船の中を歩き回ってかまわないが、手洗い、風呂以外で一人にはなるな。必ず視界に軍の人間が常にいるようにしろ」
狙われている疑惑がある以上、一人にさせるわけにはいかないと考えるジェイド。確かに危険はあるが、イオリを部屋に押し込めていると彼女が精神的に参ってしまうだろう。気分転換に歩き回れるよう、行動制限を緩める事にしたのだ。ルクス達も了承済み。
「分かりました。ありがとうございます」
礼を言う。ちゃんとジョリー達に教わった通りに言う事が出来た。イオリの返事を聞いて、ジェイドは立ち上がる。
「それじゃあ、俺は指令室に戻る。今日はもう寝ろ」
「まだお仕事、ですか?」
「ああ。こっちの事は気にせず休め。じゃあな」
ぱたん、と扉を閉め、ジェイドの足音が遠くなっていく。イオリは、しばらくジェイドが座っていた椅子を見つめていた。
(部屋から出て良いって言われたけど、皆さんのお仕事の邪魔しちゃいけないし……ん? 仕事……?)
はた、と気付く。
(明日、本土に着くって言ってた……。私、家ない。あっ、お金もないっ! 学生じゃなくなったから、仕事をしなくちゃいけないの!?)
狙われる問題よりも、現実的な生活基盤をどうするかの問題にぶち当たり、頭を抱える事に。
心配になり、なかなか寝付けないイオリだった。
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